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私なりの惚気。

今日の話は暗いようで明るい話です。

私は人からの愛情に不信感を抱きやすいのです。
きっとそれは両親からの愛情が確かか不安な時期があったからでしょう。
幸いなことに、関係が修復された以降は彼らの愛情が深いことに気づけています。

ですが、幼少期に抱いた疑念というのは簡単には無くなりません。愛情に貪欲な、飢えていると言った表現が正しいように思います。
そんなものは無いと分かりつつ、確かな友情や関係性を望むのです。

連絡するのが私からの一方性であることに不安になるし、愛情に縋りついて好きでない人に好きと言ったことだってあります。切るべき縁だと分かりつつ、依存してしまうのもこのせいです。

思ったよりも暗い話になってしまいましたが、最近明るいことがあるんです。信じられる存在が増えました。私のことを必要に思い、大事に思ってくれているという信頼です。

この先彼との関係性が絶対かはもちろん定かではありません。それでも、そんな存在が両親以外に生まれたことに価値があると思うのです。

Canon A-1 × FUJIFILM 400

私が死にたいと言った時、私以上に涙する人です。
死にたいという逃げ道を塞ぐことの不安を分かってくれる人です。
自分のために生きられなくても、その人のために生きたいと思わせてくれる人です。
とても愛らしい人です。

絶対な関係はないかもしれませんが、そんな存在ができたという事を、後世の私にも大事に思っていてほしいのです。

私にしては珍しく、暗いようで明るい、ただの惚気話です。

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