『ロング・ロング・トレイル』全文公開(28) 第六章 ボクが旅に出る理由 (2/2)
2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。
※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(27) 第六章 ボクが旅に出る理由 (1/2)はこちらから
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穂高 友との約束の山
2012年の10月、我々は穂高山頂を目指して、紅葉に染まる涸沢を駆け抜けていた。
早朝の6時に上高地の奥座敷、徳沢のキャンプ場を出発して、穂高の頂きに立ち、その日の夕方までには徳沢に戻る……というのが我々の計画だった。ところが標高3000メートルの穂高山荘までは行けたが、前日に降った雪のために、その頂きに立つことは叶わなかった。
徳沢からほぼ走って登ったので、皆、短パンにランシューズという軽装で、本格的に登山をする人から、顔をしかめられそうな格好だ。もちろんアイゼンも持っていない。この先は諦めて撤退するしかないのだ。
「いつかまた近いうちに」
軽い気持ちで、一緒に登った友と約束したが、その友は、翌年、厳寒の浦安の海にカヤックで漕ぎ出し、そのまま帰らぬ人となった。
彼とはすごく親しい仲ではない。
ボクが主催した小さなアドベンチャーレースに出場してくれたことがきっかけで付き合いが始まった。
そのレースで、「ワラーチ・プロジェクト」で神戸まで一緒に走ったケイとチームを組み、それから何度か会った。ケイの兄貴分のような存在で、穂高登頂にチャレンジした時にも、ケイたちと一緒にその上高地キャンプに参加したのだ。
上高地キャンプは、涸沢の紅葉を見ながら、酒を呑むことが主目的だった。
毎年、10月になると涸沢は見事に紅葉する。自然の植物たちがこんなにも美しい色彩を放つのか! といった感動的な美しさである。が、その美しさはたったの2週間。早すぎると紅葉が見頃ではないし、遅すぎると雪が降る。ということで、毎年10月が近づくとヤキモキしながら天気予報をチェックする。
ところで何年か前までは涸沢カールのキャンプ場でテントを張って、そこで酒を呑みながら紅葉を愛でていたのだが、その美しさがどんどん評判となり、今では恐ろしいほどの混雑で、涸沢カールでのキャンプ泊が不可能になってきた。そこで我々は涸沢よりずっと麓の徳沢にベース・キャンプを張り、そこから日帰りで穂高の頂きを目指したのであった。
だがいつものことながらボクの山は、頂きに立つことが目的ではない。百名山にも興味はないし、その標高にも興味はない。山に対する唯一の興味は「山容」である。
麓から山を見上げる。そしてその頂上なり稜線が見えると、「そこではどのような景色が広がっているのだろうか?」とあれこれ夢想する。低い榛松の木の中に一本の細いトレイルが続き、コケモモやシャクナゲなどの高山植物が榛松の根元にひっそりと息づいている。そしてその脇を小さな沢が流れる時もあれば、万年雪の下で水の音が聞こえる時もある。
徳沢~穂高は雪で阻まれたが、リベンジを約束して、その反省会という名目で、翌年の新年会を我が家で開催した。このような「反省会」はとても愉しく、その時の失敗談やエピソードを肴に、美味しく杯を重ねることができる。彼はしこたま酒を呑んで踊り、歌い、最後には意識を失くすまで愉しんだ。
彼は星野道夫さんの愛読者でもあった。
はにかみながら「妻との初デートが星野さんの写真展だった」と語った彼の顔が忘れられない。
反省会の翌日、呑みすぎてバツの悪い表情を浮かべる彼に、「必ず返してくれ!」と言って、星野道夫さんのエッセイを何冊か貸した。
そしてまた一緒に走って呑もうと約束した。
彼は貸した本も返さず、穂高岳へのリベンジも果たさず、再び馬鹿騒ぎする約束も果たさず、強風吹き荒れる2月の冷たい海で帰らぬ人となった。
寒かっただろうな……怖かっただろうな……。
アドベンチャー好きな彼にとっては、ある意味、相応しい最後かもしれない。
が、遺された我々にとってはあまりにもつらい別れだ。
「トウキチさん、あんな細いピッケルの先に自分の命を預けるなんて……ボクはアイスクライミングなんてやりたくない!」と、酒に酔いながらも真剣に語っていたが、ボクにしてみれば、幾ら細いピッケルの先でも、自分でコントールできる限り、そこに命を預けることには恐怖はない。もっとも怖いのは、予測不能な自然環境に自分の身を置くことだ。
彼は、ボクがもっとも恐れる状況に身を置き、そして二度と戻ってくることはなかった。
それから5年。
2013年から始めたキャンプ場の業務などで忙しく、10月に上高地に行くことさえ叶わなかったが、2017年の10月、ようやくその「友との約束」を果たすべく、我々は上高地へと向かった。
今回は横尾山荘にベースキャンプを設けることにした。
実は2017年の春から「ロングトレイル」を歩くことを趣味とし始めた。
繰り返しになるが、ボクは山にはよく登るが、山の頂上に立つことにはあまり大きな意義を感じることはない。いや、確かに達成感は感じる。だがもっと大切なことは、その頂きに至る道でなにを発見するのか? あるいはなにを感じるのか? ということである。そういう意味に於いて、山の頂きを目指すより、トレイルを歩く方が、さまざまな発見があることに気付いたのである。特に2017年の春に糸魚川と松本を結ぶ「塩の道 千国街道」を歩いた時には、日本人の信仰心のあつさを再確認することができ、とても興味深いハイクになった。
上高地の入り口である河童橋から横尾山荘までは約12キロの距離があるが、そこをテント泊に必要な荷物(水を除いて約12キロくらい)を背負って、往復することも、ロングトレイルを歩くシミュレーションとして、今回の山行のプランに組み込んだ。
上高地に入って約2時間半歩いて横尾山荘へ。そこで素早くテントを設営して狭いテントの中で夕食を済ませる。
翌朝、前夜と同じようにテント内で朝食を摂る。10月初旬といえども、横尾の朝の気温は5度を下回っている。テント内は狭いが、そこで煮炊きして食事を摂ると、寒さに震えることはない。
簡単な朝食を済ませて6時に横尾山荘を出発。約1時間45分後に涸沢に到着。そこで暫く涸沢カールの紅葉の美しさに魅せられ、カメラのシャッターを押しまくる。8時過ぎに再び歩き始め、そこから約2時間半、ついに10時半に標高3190メートル、日本第三位の穂高岳の頂上に立つ。
今回は前回の反省もあり、軽アイゼンも持参したが、雪はまったくなく、快晴の中、登頂に成功した。
近くに槍ヶ岳、遠くには富士山もくっきりと見え、亡き友からの祝福の声が聞こえてくるような気がした。
一旦、穂高山荘まで下りて、携帯食でランチ。前回、ここで登頂を断念した時には、ポケットコンロで湯を沸かし、コーヒーを飲みつつ雪に覆われた頂上を眺めたが、今回は穏やかな気候の中、のんびりとランチを食べた。
紅葉が美しい秋の穂高
故、永六輔氏の作品に『生きているということは』という歌がある。
その歌詞にもあるように、人は人生の中で「いろいろな借り」を作って生きていく。特に旅の途上では、その「貸し借り」が頻繁に発生する。慣れぬ旅先で人は困り、時に困った人を助け、また自分も助けられる。その時に恩義を感じ、そこから心の中の約束が生まれる。
人生は「心の中の約束を果たしていく旅」でもあるのだ。
木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。
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