第18橋 多々羅大橋(広島県/愛媛県) 後編 |吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」
2羽の白鳥が翼を広げたような
美しい斜張橋
しまなみ海道を自転車で旅していて、オアシス的な存在なのがたまに現れるコンビニだ。少なくとも自分にとってはそうだった。トイレを借りたり、飲み物を買ったり。体力を消費しているせいか、自転車をこぎ続けていると妙にお腹が減るから、しばしば買い食いしたりもした。
因島の西側の海岸沿いで見つけたコンビニに自転車を停め、ここまでの行程を振り返っていた。尾道のレンタサイクル・ステーションを出発し、渡し船で向島へ上陸。そこから高低差の激しい道を懸命に漕ぎ進んで辿り着いた因島大橋を渡った。
因島に着いてからは、海岸沿いを走り続けた。そうして重井西港で、この旅をいったん中締めとしたところまでを前編で綴った。尾道行きの船に乗り込んだ娘二人と妻たちとは別行動を取る形で、父親は単身自転車をさらに先へと走らせることにしたのだ。
最終的な目的地である多々羅大橋までは、まだ15キロはある。ゆっくり走る子どもたちに合わせる必要がなくなったからと、自転車を漕ぐペースを上げたが、すぐに息切れしてしまった。日頃の運動不足がたたっている。
ある意味、ここからは自分との戦いだろう。山を上って、橋を渡って、島を巡っていくしまなみ海道の自転車旅。お気楽な自転車散歩とはやはりいささかスケールが違う。汗をかくのはもちろんのこと、長時間サドルに乗せている尻がだんだん痛くなってくるし、足の疲労感も蓄積していく。
看板に書かれた「今治へはこちら」という意味合いの案内板を見る度に、自分を奮い立たせた。本州から四国へ。広島から愛媛へ。たまにはがんばっても罰は当たらないだろう。
瀬戸内には無数の島々が存在するが、因島のことは中学生の頃から知っていた。戦国時代を舞台にした時代小説で、村上水軍の活躍について読んだからだ。この漢字で「いんのしま」と読むことにも驚き、なおさら強く印象に残っていた。
宣教師ルイス・フロイスは、村上水軍について「日本最大の海賊」と記している。海賊と聞くと、船を襲って金品を奪う無法者をイメージするが、村上水軍の実態は異なる。航海の安全を保障し、交易の秩序を支えた存在だったという。
前回の今治から出発した旅でも、村上水軍の居城があった能島をこの目にした話を書いた。ほかにも、しまなみ海道の島々には水軍に関連する史跡が数多い。自転車好きだけでなく、歴史好きにもたまらないのがこの地域の旅なのだ。
さらには、美味しいもの好きにとっても満足できる旅先だ。因島から橋を渡り、次に訪れた生口島には、とっておきの名産品があった。それは何かというと、レモンである。
生口島は傾斜の多い地形で陽当たりが良く、柑橘類の栽培に適している。生口島がある瀬戸田町は、レモンの生産量がなんと日本一を誇るのだという。実際、島を自転車で走っていると、黄色い実をつけた果樹をしばしば目にする。考えたらレモン畑なんて、なかなか見る機会はない。まさに「レモンの島」なのだ。
話が前後するが、因島と生口島を繋ぐ「生口橋」についても書いておこう。長さは790メートルと、しまなみ海道の橋の中では小規模な部類に入るが、これがなかなか立派だ。塔から斜めに張られたケーブルが橋桁を支えている。いわゆる「斜張橋」は、個人的にもとくに好みの橋タイプといっていい。
そして、生口島と次の大三島とを結ぶ「多々羅大橋」もまた斜張橋だ。というより、これら2つの橋は外観がよく似ている。違うのはその大きさで、多々羅大橋は長さ1480メートルと生口橋の約2倍である。
レモン畑の中を突っ切る形で坂道を懸命に上っていくと、やがて辿り着いたのが多々羅大橋だった。橋の向こうは愛媛県。今回のサイクリング旅の目的地である。
瀬戸内の静かな海の中に、2つの白い塔が屹立する。その左右からケーブルが斜め下へと伸びている。まるで、2羽の白鳥が羽を広げたかのような美しさ。大げさな喩えかもしれないが、こういうのは想像した者勝ちだろう。
橋のちょうど中間地点あたりに、広島県と愛媛県の県境が白い線で引かれていた。ミーハーだけれど、グッとくる演出だ。「ああ、旅しているなぁ」としみじみ。
その白い線を、自転車に乗ったまま越えた。橋を渡り終えたところで、「もうすぐ着く」とラインで妻にメッセージを送った。尾道へ帰った妻子に車でピックアップしてもらうことになっていた。
待ち合わせ場所の道の駅に到着したときには、足がガクガクになっていた。
「しまなみかいどう、はしったぞー」
もう一度、今度は一人で静かにそのセリフを口走った。
吉田友和さんの著書『いちばん探しの世界旅』の購入はお近くの書店、またはこちらから↓
「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」をまとめてご覧になりたい方はこちら↓