見出し画像

【日本全国写真紀行】 57 愛媛県今治市小島

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。


愛媛県今治市小島

元禄時代に隣の来島から数世帯が移り住んで開拓した
元禄時代に隣の来島から数世帯が移り住んで開拓した。
島民は全て来島の村上水軍の末裔と言われる



日露戦争に備えた「芸予要塞」が当時のままに残る島

小島は、今治市の来島海峡に浮かぶ、周囲4キロほどの文字通り小さな島である。今治の波止浜港から船で10分、船旅を楽しむほどの時間はなく、あっという間に到着する。1日10便運行しているそうだが、この日の乗客は我々4人と郵便局の職員2人のみ。帰りも同じ人数だった。
 ここ小島には、日本が日露戦争に備えて、ロシア海軍の進攻を防ぐために築いた要塞が当時のまま残っている。「芸予要塞」と呼ばれるこの施設は、明治22年から2年間で、当時30万円という巨費を投じて砲台や弾薬庫、兵舎などが作られたものである。だが明治38年9月、日露戦争は我が国の勝利に終わり、小島の砲台は一度も使用されることなく廃止処分となった。
 船を降りると、桟橋のすぐ左手に原寸大の大砲のレプリカが置かれている。NHKで2009年から2011年にかけて放送された「坂の上の雲」で使われた28cm榴弾砲で、撮影が終わった後、今治市が譲り受けてここに設置したという。
海岸に沿って少し歩くと、小島の集落に入る。小島は古来無人島だったが、元禄時代に隣の来島から数世帯が移り住んで開拓した。島民は全て来島の村上水軍の末裔と言われる。路地の左右に民家が建ち並び、けっこう大きな集落に見えるが、よく見ると居住している家はほんの僅かで、大半が空き家である。しばらく散策したが、ほとんど住民に出会うことはなかった。
昭和40年代、残された芸予要塞を観光資源にしようという気運が芽生え、桟橋から要塞跡への道路が整備されて遊歩道となり、両側に2500本の椿が植えられた。今も地元のボランティアの手で清掃や草刈り等が続けられていて、船着場には各砲台への案内板が設置され、遊歩道は椿の並木道になっている。私たちが訪れたのは四月で、もうあまり花はなく、僅かに赤い花びらがそこかしこに落ちている程度だったが、開花シーズンには遊歩道全体が真っ赤に彩られてさぞ壮観だろうと思った。
要塞の主な見どころは、探照灯跡、発電所跡、南部砲台跡、弾薬庫跡、中部砲台跡、北部砲台跡などで、それらがほぼ島の東半分に残っている。どれもほとんど使われなかったせいか新品同様で、今でも充分使えそうである。全部を見て回れば約2時間〜2時間半くらい。かなり見応えがあり、訪れる価値はあると思う。だが、集落の住民は現在わずか9人で90歳代が3人とのこと。いつまで人の住む島でいられるのか、非常に心配な状況である。

※『ふるさと再発見の旅 四国』産業編集センター/編 より抜粋



NHKドラマ『坂の上の雲』の撮影用に作られた28cm榴弾砲のレプリカ
NHKドラマ『坂の上の雲』の撮影用に作られた28cm榴弾砲のレプリカ
小島に咲く桜
小島を後にする



他の写真はこちらでご覧いただけます。


愛媛県今治市小島をはじめ、愛媛、香川、高知、徳島に残る懐かしい風景が多数掲載されている『ふるさと再発見の旅 四国』が2024円4月15日に発売されました。ご購入はお近くの書店、もしくはこちらから↓