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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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「全国最中図鑑」78 しっぺい太郎最中(静岡県磐田市)

磐田市の見付神社には「しっぺい(悉平)太郎」の伝説が昔から伝えられてきた。 その昔、毎年家の棟に白羽の矢が立った家の娘は、8月10日の見付天神の祭りに人身御供として神に捧げられる、というしきたりがあった。村人たちは祭りのたびに泣いて悲しんでいた。 ある時、村を訪れた旅の僧がこの話を聞いて不審に思い、それが神ではなく怪物の仕業であることを突き止めた。そして怪物たちが信濃国の「しっぺい太郎」という人物を恐れていることを知る。僧が信濃で調べたところ、しっぺい太郎は人ではなく、駒ヶ根

「全国最中図鑑」77 ちんとろ最中(愛知県半田市)

「ちんとろ最中」とはまた変わった名前だが、半田市で毎年春に行われる『ちんとろ祭り』からきているらしい。 『ちんとろ祭り』は、上半田地区の住吉神社境内の池に2隻の「まきわら」の舟を浮かべ、その舟の上で子供三番叟の舞を奉納する。その「まきわら」舟を「ちんとろ」と呼ぶ。「ちんとろ」の名の由来は、舟上にたくさん飾られる提灯が「珍灯籠(ちんとうろう)」であることと、奏でられるお囃子が「チントロ、チントロ・・・」と聞こえるところからきていると言われている。 丸初製菓の「ちんとろ最中」は、

「全国最中図鑑」76 修禅寺物語(静岡県伊豆市)

ちょっとコワいお面の形をした最中だ。顔面が縦二つに割れ、目にはポッカリと穴が空き、恐怖に近い悲痛な表情をしている。 この古いお面、実は鎌倉幕府の二代将軍・源頼家の顔を模したもので、本物が修善寺の宝物殿に安置されている。頼家は頼朝と北条政子の嫡男で、18歳という若さで将軍になるが、独裁政治が過ぎるという理由で出家させられ、修善寺に幽閉される。そして修善寺で温泉に浸かっていた時、湯口から大量の漆を流し入れられ、全身がかぶれて病に伏せるようになり、結局死んでしまう。死ぬ前に頼家は、

「全国最中図鑑」48 とまやの最中(大分県杵築市)

大分県北東部の国東半島の南端にある杵築市は、江戸時代の風情が色濃く残る城下町である。この町の代表的な商家である苫屋は、享保年間(1716〜1736年)に創業した老舗のお茶屋で、お茶一筋に営業を続けること約280年、現在の当主は10代目になる。 白壁瓦ぶき・純木造入母屋造りの本店の建物は明治8(1875)年築で、平成30年に杵築市で初めて国の指定登録有形文化財に指定されている。 その苫屋が、家業のお茶に合う和菓子として作ったのが「とまやの最中」。屋号の苫屋の由来から、草葺き屋根

「全国最中図鑑」38 甘ほたて(岩手県大船渡市)

大船渡は海と山が近く、山の雪解け水が海に流れ込んで海中のプランクトンがよく育つ。そのプランクトンを食べて育った帆立は、大粒で肉厚、帆立本来の味が濃く、甘味が強いのが特徴である。 その大船渡の帆立をモチーフにした最中が「甘ほたて」。クルンとした可愛い帆立貝の形の皮に、羽二重粉で作った求肥とつぶあんが入っているが、求肥は帆立の貝柱を表現しているんだそうである。和菓子と海の幸との組み合わせは一見ミスマッチのように思えるが、食べてみると、ぽってりとした皮と柔らかい甘みの餡がうまく溶け

「全国最中図鑑」31 軍艦島もなか(長崎県)

中が空洞になった不思議なおまんじゅう『一○香』で知られる茂木一まる香本家には、『軍艦島もなか』というユニークな最中がある。 軍艦島は小さな海底炭鉱の島で、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」で世界遺産に登録された。正式名は「端島」。岩壁が島全体を囲い、鉄筋コンクリートの高層建築が建ち並ぶ外観が軍艦「土佐」によく似ていたところから、「軍艦島」と呼ばれるようになった。 その軍艦島をかたどったこの最中、見かけはちょっとハードな感じだが、外は

「全国最中図鑑」28 和銅最中(埼玉県秩父市)

和銅開珎は、和銅元(708)年に鋳造・発行された銭貨で、我が国で最初の公的な流通貨幣といわれている。 埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から和銅(純度の高い自然銅)が産出したことを記念して、年号を「和銅」に改名するとともに和銅開珎が作られたと伝えられている。デザインは唐の「開元通宝」を見本にしているらしい。 これはその日本最古の流通古銭「和銅開珎」を形どった最中。明治39(1902)年に秩父神社前に創業し、一世紀余り和菓子を作り続けている八幡屋本店が売り出したもので、秩父の銘菓と

「全国最中図鑑」27 天明最中(栃木県佐野市)

佐野の町には、1000年も前から作り続けてきた鋳物がある。 「天明鋳物」である。天明とは、江戸時代の佐野一帯を表した地名である。 天明鋳物の歴史は、「天慶の乱※」を鎮めるための武器を作ろうと、下野の豪族・藤原秀郷が河内国から鋳物師を招いたことに始まる。その後、風呂釜や鍋などの日用品から茶釜・花瓶・火鉢などの美術工芸品、燈籠や梵鐘など、数多くの鋳物製品が作られた。 「天明最中」は、その中でも名品と呼ばれるものを最中に型取った菓子。皮の模様には重要文化財の「六角釣燈籠」、惣宗寺の

「全国最中図鑑」25 都電もなか(東京都)

明治44年から都民の足として都内を縦横に走っていた都電が、自動車交通量の増大により全面撤廃と決まったのは昭和40年代のこと。47年には全ての都電が廃止となった。だが、三ノ輪橋〜早稲田を結んでいた荒川線だけは、10万人を超える利用者がいたこと、軌道の9割が道路と分断された専用軌道で道路渋滞の影響が少なかったことなどから、存続が決定した。 その都電荒川線「梶原」駅前商店街の入り口にある菓匠明美が、今回のお店。都民の足として慕われていた都電の廃止が決まった時、当初は荒川線も廃止の予

「全国最中図鑑」 23 急須もなか(静岡県島田市)

静岡県は全国の茶園面積の約40パーセントを占める日本一の茶どころ。その静岡県にあって、わずか数千人が暮らす小さな山里・川根町が生み出す川根茶は、日本茶初の天皇杯を受賞するなど、各種品評会で幾多の栄誉に輝き、全国のお茶屋さんで高級茶として別格の扱いを受けている名品である。 その川根町で和菓子店を営む三浦製菓が、川根茶とともに味わってもらおうと考案したのが、この「急須もなか」。ぽってりとした可愛らしい急須の形をした皮は、店主が形にこだわったというオリジナルデザイン。あんは「お茶あ

「全国最中図鑑」 21 かまくらもなか(秋田県横手市)

明治35年創業の和菓子の老舗・木村屋は、初代が東京・銀座の木村屋総本店で修行を積み、暖簾分けしてもらい、ここ横手で開店した店である。代々、創意工夫と遊び心に溢れたさまざまな和菓子を創案し、人気を得てきた。 かまくらもなかは、雪深い横手の冬の風物詩・かまくらをモチーフにしたもので、かまくらの灯りや暖かさを表現している。かまくらの中で、子供二人が火鉢にあたりながら餅を焼いている様子を型取っていて、かなり手の込んだ造形。横手の町の厳しい寒さの中で、かまくらでひとときの暖を取る子供た

「全国最中図鑑」19 鶴亀もなか(広島県広島市)

お菓子の老舗「高木」が、戦後の復興をめざす中、おめでたいお菓子を、という願いを込めて作ったという「鶴亀もなか」。 「鶴」という字の「へん」と「つくり」の間に「亀」の字を入れたユニークなデザインの鶴亀マークが、皮に刻まれている。 広島県産の餅米を使ったもなかの皮に、備中産の大納言小豆の粒あんと、抹茶あんの2種類のあん。程よい甘さで、滑らかで上品な味わいだ。ちょっと大きめだが、皮に溝が入っていて食べやすい。小豆あんと抹茶あんがそれぞれ小豆色とうぐいす色のパッケージに入っている。

「全国最中図鑑」17 切腹最中(東京都港区)

仕事でミスをした時、客先にこれを持参して土下座すれば、笑って許してくれるかも‥‥という便利なお菓子がある。その名も「切腹最中」。 モナカの皮がパックリ開いて、中からはみ出さんばかりに覗く内臓、じゃなかった、黒々としたたっぷりの餡。結晶の大きい純度の高い砂糖で煮て、大きな求肥が入ったあんは、甘さを抑えたさっぱり味。最初はその量の多さにちょっと驚くが、食べてみると意外にサクサクいける。 製造元は、東京・新橋で大正元年から営業している新正堂。 「忠臣蔵」で知られる、江戸城中で刃傷沙

「全国最中図鑑」16 最中印籠(茨城県常陸太田市)

常陸太田市にある西山御殿(西山荘)は、水戸藩2代藩主・徳川光圀(別称・水戸黄門)が藩主の座を退いた後の元禄4(1691)年から元禄13(1711)年に死去するまでの晩年を過ごした隠居所である。 光圀はこの家で「大日本史」の編纂に専念したといわれている。 小林製菓の「最中印籠」は、この常陸太田市に深い所縁のある黄門様の印籠を象った最中。あずき粒あん、ゆずあん、しそあん、巨峰あんの4種類の味があり、特に県内有数の巨峰の産地である常陸太田市ならではの巨峰あんが美味しい。 小林製菓