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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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#美味しい

「全国最中図鑑」74 狸最中(東京都北区)

東京の王子といえば、江戸時代から狐の町として知られている。東国三十三カ国稲荷総社の格式を持つ王子稲荷神社には、毎年大晦日になると、稲荷のお使いの狐が、近くの榎の木の下で装束を整えてから初詣をしたという言い伝えが残っている。人間国宝になった五代目柳家小さん師匠が十八番にしていた落語「王子の狐」も有名だ。 そんな狐の町・王子で、なぜか狸の最中を売り出したのが、創業100年以上の老舗和菓子店「狸家」。なんでも先々代の当主が最中を考案するにあたって「王子は狐で有名だが、狐はズルがしこ

「全国最中図鑑」29 烏賊もなか(佐賀県唐津市)

九州の北西部、玄界灘に突き出した東松浦半島の北端にある佐賀県唐津市呼子町は、全国でも屈指のイカの町。10月中旬から4月中旬はアオリイカ、1月から3月はヤリイカ、4月中旬から10月中旬まではケンサキイカと、一年中美味しい烏賊が食べられる。 呼子名物の「イカの活き造り」は、鮮度抜群のイカを素早く活き造りにしたもので、味も食感も素晴らしく、一度食べれば貴方もイカの魅力のトリコになること間違いなし。福岡市内から車で約1時間という便利な場所なので、佐賀にお出かけの際にはぜひご賞味いただ

「全国最中図鑑」28 和銅最中(埼玉県秩父市)

和銅開珎は、和銅元(708)年に鋳造・発行された銭貨で、我が国で最初の公的な流通貨幣といわれている。 埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から和銅(純度の高い自然銅)が産出したことを記念して、年号を「和銅」に改名するとともに和銅開珎が作られたと伝えられている。デザインは唐の「開元通宝」を見本にしているらしい。 これはその日本最古の流通古銭「和銅開珎」を形どった最中。明治39(1902)年に秩父神社前に創業し、一世紀余り和菓子を作り続けている八幡屋本店が売り出したもので、秩父の銘菓と

「全国最中図鑑」27 天明最中(栃木県佐野市)

佐野の町には、1000年も前から作り続けてきた鋳物がある。 「天明鋳物」である。天明とは、江戸時代の佐野一帯を表した地名である。 天明鋳物の歴史は、「天慶の乱※」を鎮めるための武器を作ろうと、下野の豪族・藤原秀郷が河内国から鋳物師を招いたことに始まる。その後、風呂釜や鍋などの日用品から茶釜・花瓶・火鉢などの美術工芸品、燈籠や梵鐘など、数多くの鋳物製品が作られた。 「天明最中」は、その中でも名品と呼ばれるものを最中に型取った菓子。皮の模様には重要文化財の「六角釣燈籠」、惣宗寺の

「全国最中図鑑」26 卍最中(青森県弘前市)

弘前の目抜き通り・土手町通りに店を構える開運堂は、明治12年創業の和菓子の老舗である。その開運堂の代表的銘菓が「卍最中」。卍は一般的には寺の地図記号として知られているが、実は弘前城主だった津軽家の旗印でもある。 明治39年、津軽藩の藩祖・津軽為信公の没後300年を記念して、開運堂の初代・木村甚之助が旗印の使用を許されて作ったのが始まりだそうである。さらに明治以降、卍は弘前市の市章にもなっていて、皮全体に卍の一字が大きく浮き上がった卍最中は、弘前のシンボル的な菓子となっている。

「全国最中図鑑」 23 急須もなか(静岡県島田市)

静岡県は全国の茶園面積の約40パーセントを占める日本一の茶どころ。その静岡県にあって、わずか数千人が暮らす小さな山里・川根町が生み出す川根茶は、日本茶初の天皇杯を受賞するなど、各種品評会で幾多の栄誉に輝き、全国のお茶屋さんで高級茶として別格の扱いを受けている名品である。 その川根町で和菓子店を営む三浦製菓が、川根茶とともに味わってもらおうと考案したのが、この「急須もなか」。ぽってりとした可愛らしい急須の形をした皮は、店主が形にこだわったというオリジナルデザイン。あんは「お茶あ

「全国最中図鑑」 22 貝合わせ最中(京都府京都市)

京都三大祭りのひとつ「葵祭り」が行われる下鴨神社と上賀茂神社の中間あたりに本店を構える京橘総本店の名物最中、宮中古来の雅な遊び「貝合わせ」をモチーフにした優雅なお菓子である。 本来、貝合わせは、貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競いあったりする貴族の遊びだった。 また貝合わせは、夫婦和合の象徴として、また結婚や夫婦円満などの良縁を表すものともされている。 ハマグリ型の小さな二枚貝を型どった外観は、つい手に取ってみたくなる可愛らし

「全国最中図鑑」20 起き上り最中(岐阜県岐阜市)

最中の由来にもいろいろと歴史上のエピソードが登場するが、今回登場するのは、あの織田信長。 永禄5年5月、信長は美濃の難攻不落の城・岐阜城(稲葉山城)の攻略を開始し、以来7回にわたって攻め続けたが、どうしても攻め落とせなかった。だが不撓不屈の精神で諦めることなく、永禄10年8月、数万の兵を率いて実に8回目の攻略を開始した。このとき信長は従者に「我、正に起き上り最中なり」と告げ、ついに岐阜城を征した。 この「起き上り最中」の由来にならい、「起き上り最中」を発案、また何度転んでも起

「全国最中図鑑」17 切腹最中(東京都港区)

仕事でミスをした時、客先にこれを持参して土下座すれば、笑って許してくれるかも‥‥という便利なお菓子がある。その名も「切腹最中」。 モナカの皮がパックリ開いて、中からはみ出さんばかりに覗く内臓、じゃなかった、黒々としたたっぷりの餡。結晶の大きい純度の高い砂糖で煮て、大きな求肥が入ったあんは、甘さを抑えたさっぱり味。最初はその量の多さにちょっと驚くが、食べてみると意外にサクサクいける。 製造元は、東京・新橋で大正元年から営業している新正堂。 「忠臣蔵」で知られる、江戸城中で刃傷沙

「全国最中図鑑」16 最中印籠(茨城県常陸太田市)

常陸太田市にある西山御殿(西山荘)は、水戸藩2代藩主・徳川光圀(別称・水戸黄門)が藩主の座を退いた後の元禄4(1691)年から元禄13(1711)年に死去するまでの晩年を過ごした隠居所である。 光圀はこの家で「大日本史」の編纂に専念したといわれている。 小林製菓の「最中印籠」は、この常陸太田市に深い所縁のある黄門様の印籠を象った最中。あずき粒あん、ゆずあん、しそあん、巨峰あんの4種類の味があり、特に県内有数の巨峰の産地である常陸太田市ならではの巨峰あんが美味しい。 小林製菓

「全国最中図鑑」14 塩もなか(長野県大鹿村)

南アルプスの雄大な自然に包まれた人口1,100人ほどの小さな村、大鹿村。 映画『大鹿村騒動記』で一躍有名になったこの村には、ここでしか味わえない名物もなかがある。甘さを抑えた白餡に、村内でとれる山塩を加えた、約50年の歴史を持つベストセラー「塩もなか」である。 大鹿村では、地元の鹿塩温泉の源泉を煮込んで山塩を作っているが、山塩は全工程が手作りで、1リットルの塩水から30gしか作れない貴重な塩なので「幻の塩」とも呼ばれている。 この山塩を白餡に練り込んだ餡は、ほんのり塩味が利い

「全国最中図鑑」13 貝がら節もなか(鳥取県鳥取市)

鳥取市の浜村海岸では、昔、板屋貝が大量に獲れていた時期があった。その頃、漁師たちが作業しながら唄っていたといわれる民謡「貝がら節」。板屋貝の不漁と共に忘れられていたが、昭和初期の民謡ブームを受けて復活し、また地元で歌われるようになった。 浜村温泉「貝がら節の里 旅風庵」から徒歩10分ほどの場所にある菓子店みどりやが、この歌にちなんだ最中を売り出した。皮は二枚の貝合わせの形になっていて。小倉あん、生姜味の白あん、柚子あんの3種類の味がある。3種ともそれぞれ個性を生かした味だが、

「全国最中図鑑」12 とおあし最中(群馬県安中市)

安政2(1855)年、安中藩主板倉勝明は藩士の鍛錬のため、藩士98人に安中城の城門から碓氷峠の熊の権現神社まで、7里の道の徒歩競走を命じた。「とおあし」と呼ばれたこの競走は、日本におけるマラソンの発祥といわれている。 2019年にはこの史実をもとに映画「サムライマラソン」が作られ、安中のとおあしは全国的に知られるようになった。 この出来事を最中にしたのが、安中市の小野屋が製造販売している「とおあし最中」。安中藩の家紋「左三つ巴」を配した皮に小豆あんと白あんを包んだ、サクサクと

「全国最中図鑑」11 樽丸最中(千葉県野田市)

樽丸最中は、創業170年の老舗菓匠・丸嶋屋が明治中期に考案した、醤油の郷野田市の銘菓。 野田は約400年前、永禄年間に生まれた醤油の産地。昔は、野田の醤油は樽で作られていたという。 樽丸最中は、野田の代表的醤油ブランドであるキッコーマンとキノエネの醤油樽をかたどったもので、あんは小倉あん、白あん、ゴマあん、そして野田ならではの醤油あんもある。醤油あんは、甘くてねっとりしているが、ほのかにさっぱりとした醤油の風味も感じられて、なかなかの逸品だ。 丸嶋屋 千葉県野田市野田355