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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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#連載

「全国最中図鑑」58 茶むすめ (埼玉県狭山市)

「色は静岡、香りは宇治と、味は狭山でとどめさす」と言われる狭山茶の中でも、鮮やかなさみどり色と清純な香りで知られる狭山抹茶『明松』を使ったもなか。『明松』は色・味・香りが飛びやすく、その良さを活かすのはとても難しいという。その繊細な素材を独自の手法で活かしてたっぷりと詰め込んだコクのあるキレイな緑色のあんに、餅で作った香ばしい皮がピッタリとマッチしている。 あんは、この抹茶あんと丹波大納言のつぶあんの2種類。茶壺の形が噛んでも崩れにくく、こぼさずに食べられるのもうれしい。 お

「全国最中図鑑」49 「庚申最中(さる最中)」(大阪府大阪市)

大阪の四天王寺庚申堂の境内には、三猿堂というお堂がある。庚申信仰では猿が庚申尊の使いとされていて、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の木彫りの像が祀られている。「病気に勝る」「魔も去る」との縁起をかついで痛みに効くとも言われ、また、庚申の日に願い事をすると成就するとも言われている。 大正13年から庚申堂前で営業している、日本初の甘納豆専門店「青山甘納豆」で、この逸話にちなんで作られたのが「庚申最中(さる最中)」。 砂糖控えめで素材本来の味を楽しめる甘納豆は絶品で、全国菓子大

「全国最中図鑑」47 大内もなたん(山口県山口市)

中世、西日本の守護大名として勢力を誇った大内氏の24代目当主・弘世は、京の文化や情緒に感銘を受け、地形のよく似た山口盆地に、京都を模した街づくりを行なった。これが「西の京」山口の始まりである。 弘世は京の三条家から美しいお姫様を嫁に迎えるが、当時の山口は何もない田舎で、姫は華やかな都を恋しがった。そこで弘世は都から大勢の人形師を呼び寄せ、館いっぱいに人形を飾ってお姫様を慰め、喜ばせた。町の人々は館を「人形御殿」と呼び、弘世の愛妻家ぶりを伝えたという。 このラブストーリーから生

「全国最中図鑑」41 とんち彦一もなか(熊本県八代市)

熊本県八代地方には、昔から伝わる「彦一とんち話」という民話がある。 彦一は、一休、吉四六と並んで有名なとんち話の主人公だ。誰がモデルなのか、実在の人物なのか、などは不詳だが、設定は肥後国熊本藩八代城の城下町の長屋暮らしの下級武士で、定職は持たず、農作業や傘職人などの賃仕事をしながら生計を立てていたと言われている。暮らしは当然貧しかったが、苦しい生活の中でも明るさを失わず、近所の人々相手に、常にとんちを働かせた笑いを振りまいて貧乏な仲間たちを元気づけた。そのとんち話は後世まで語

「全国最中図鑑」39 青森りんごもなか(青森県むつ市)

日本における西洋りんごは、明治4(1871)年に日本に導入され、青森県へは明治8(1875)年春、当時の内務省勧業寮(1874年に設置された殖産興業を推進する省庁)から3本の苗木が配布され、県庁の構内に栽植されたのが始まり。 その後、同年秋および翌9年春と計3回に渡って数百本の配布を受け、研究心に富んだ農家に試植された。その中から明治27(1894)年に京都博覧会で受賞者が出たことから。青森りんごの評価が高まった。 現在は、津軽地方に世界有数の生産団地が形成され、青森は全国の

「全国最中図鑑」31 軍艦島もなか(長崎県)

中が空洞になった不思議なおまんじゅう『一○香』で知られる茂木一まる香本家には、『軍艦島もなか』というユニークな最中がある。 軍艦島は小さな海底炭鉱の島で、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」で世界遺産に登録された。正式名は「端島」。岩壁が島全体を囲い、鉄筋コンクリートの高層建築が建ち並ぶ外観が軍艦「土佐」によく似ていたところから、「軍艦島」と呼ばれるようになった。 その軍艦島をかたどったこの最中、見かけはちょっとハードな感じだが、外は

「全国最中図鑑」29 烏賊もなか(佐賀県唐津市)

九州の北西部、玄界灘に突き出した東松浦半島の北端にある佐賀県唐津市呼子町は、全国でも屈指のイカの町。10月中旬から4月中旬はアオリイカ、1月から3月はヤリイカ、4月中旬から10月中旬まではケンサキイカと、一年中美味しい烏賊が食べられる。 呼子名物の「イカの活き造り」は、鮮度抜群のイカを素早く活き造りにしたもので、味も食感も素晴らしく、一度食べれば貴方もイカの魅力のトリコになること間違いなし。福岡市内から車で約1時間という便利な場所なので、佐賀にお出かけの際にはぜひご賞味いただ

「全国最中図鑑」27 天明最中(栃木県佐野市)

佐野の町には、1000年も前から作り続けてきた鋳物がある。 「天明鋳物」である。天明とは、江戸時代の佐野一帯を表した地名である。 天明鋳物の歴史は、「天慶の乱※」を鎮めるための武器を作ろうと、下野の豪族・藤原秀郷が河内国から鋳物師を招いたことに始まる。その後、風呂釜や鍋などの日用品から茶釜・花瓶・火鉢などの美術工芸品、燈籠や梵鐘など、数多くの鋳物製品が作られた。 「天明最中」は、その中でも名品と呼ばれるものを最中に型取った菓子。皮の模様には重要文化財の「六角釣燈籠」、惣宗寺の

「全国最中図鑑」25 都電もなか(東京都)

明治44年から都民の足として都内を縦横に走っていた都電が、自動車交通量の増大により全面撤廃と決まったのは昭和40年代のこと。47年には全ての都電が廃止となった。だが、三ノ輪橋〜早稲田を結んでいた荒川線だけは、10万人を超える利用者がいたこと、軌道の9割が道路と分断された専用軌道で道路渋滞の影響が少なかったことなどから、存続が決定した。 その都電荒川線「梶原」駅前商店街の入り口にある菓匠明美が、今回のお店。都民の足として慕われていた都電の廃止が決まった時、当初は荒川線も廃止の予

「全国最中図鑑」24 チャグチャグ馬ッコもなか(岩手県盛岡市)

岩手では、昔から人々が馬を家族の一員として大切に扱ってきたことから、馬に因んだ風習や行事が数多く残っている。 その一つ「チャグチャグ馬コ」は、馬への勤労感謝を目的に開催されるもので、国の無形民俗文化財にも選ばれている200年以上続く伝統行事だ。毎年6月の第2土曜日、着飾った80頭ほどの馬が、滝沢市の蒼前神社に集まり、盛岡市の盛岡八幡宮まで約14キロの道のりを4時間かけて行進する。「チャグチャグ」の名は、馬が歩くたびに鳴る鈴の音からつけられた。 「チャグチャグ馬ッコもなか」は、

「全国最中図鑑」 23 急須もなか(静岡県島田市)

静岡県は全国の茶園面積の約40パーセントを占める日本一の茶どころ。その静岡県にあって、わずか数千人が暮らす小さな山里・川根町が生み出す川根茶は、日本茶初の天皇杯を受賞するなど、各種品評会で幾多の栄誉に輝き、全国のお茶屋さんで高級茶として別格の扱いを受けている名品である。 その川根町で和菓子店を営む三浦製菓が、川根茶とともに味わってもらおうと考案したのが、この「急須もなか」。ぽってりとした可愛らしい急須の形をした皮は、店主が形にこだわったというオリジナルデザイン。あんは「お茶あ

「全国最中図鑑」 21 かまくらもなか(秋田県横手市)

明治35年創業の和菓子の老舗・木村屋は、初代が東京・銀座の木村屋総本店で修行を積み、暖簾分けしてもらい、ここ横手で開店した店である。代々、創意工夫と遊び心に溢れたさまざまな和菓子を創案し、人気を得てきた。 かまくらもなかは、雪深い横手の冬の風物詩・かまくらをモチーフにしたもので、かまくらの灯りや暖かさを表現している。かまくらの中で、子供二人が火鉢にあたりながら餅を焼いている様子を型取っていて、かなり手の込んだ造形。横手の町の厳しい寒さの中で、かまくらでひとときの暖を取る子供た

「全国最中図鑑」20 起き上り最中(岐阜県岐阜市)

最中の由来にもいろいろと歴史上のエピソードが登場するが、今回登場するのは、あの織田信長。 永禄5年5月、信長は美濃の難攻不落の城・岐阜城(稲葉山城)の攻略を開始し、以来7回にわたって攻め続けたが、どうしても攻め落とせなかった。だが不撓不屈の精神で諦めることなく、永禄10年8月、数万の兵を率いて実に8回目の攻略を開始した。このとき信長は従者に「我、正に起き上り最中なり」と告げ、ついに岐阜城を征した。 この「起き上り最中」の由来にならい、「起き上り最中」を発案、また何度転んでも起

「全国最中図鑑」18 ねこもなか(埼玉県行田市)

埼玉県行田市にある前玉神社は、さきたま古墳群に隣接する由緒ある古社である。この神社、なんと埼玉県の県名発祥となった神社なんだそうな。知ってましたか? ま、それはともかく、県名発祥以上にここを有名にしたのは、実は猫ちゃんたち。神社にはガガ、ミント、さくら、きなこDXという4匹の猫がいて、ゆっくり境内を散策していると必ずどの猫か、あるいは全猫に遭遇する。しかもどの猫も人懐こくて、撫でてやるとゴロゴロ喉を鳴らして喜ぶ、というので、各地から猫好きが集まる名物神社なのだ。 そんなわけで