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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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#図鑑

「全国最中図鑑」69 飛騨街道 旅がらす(岐阜県高山市)

飛騨高山の和菓子店「まるでん池田屋」の「飛騨街道 旅がらす」は、飛騨情緒あふれる個性的なもなかだ。 飛騨街道は、越中富山と飛騨高山を結ぶ街道で、江戸時代は富山でとれた「越中ぶり」を大量に運んだことから「ぶり街道」とも呼ばれた。もなかの形を表した「旅がらす」とは、定住の地を持たず旅から旅へと渡り歩いていた渡世人のことで、三度笠を深く被ってマントをまとった姿は、まんま、さすらいの旅がらす。への字の口がユーモラスで、見ていると思わず頬がゆるんでくる。旅人をイメージして作ったそうだが

「全国最中図鑑」64 羽二重もなか(福井県福井市)

福井県の人に郷土の代表的な和菓子は? と尋ねると、ほとんどの人が「羽二重餅」と答える。羽二重餅とは、餅粉を蒸して砂糖と水飴を加えて練り上げた、牛皮によく似た菓子である。 福井藩では、江戸時代から高級織物「羽二重」の生産が盛んで、日本一の生産量を誇っていた。明治30年代に、この羽二重の色合い、風合いをそのまま和菓子に取り込んだ「羽二重餅」を考案し、売り出したのが、老舗の和菓子屋「松岡軒」。「羽二重もなか」はその松岡軒が、看板商品の羽二重餅と、甘さを控えたこしあんを詰めて作ったも

「全国最中図鑑」55 讃州最中 (香川県丸亀市)

明治維新後の都道府県制が敷かれる前、日本の地域行政区画は六十余州(66国と2島)と呼ばれる「国」が単位だった。武蔵(国)、信濃(国)、三河(国)など、今もさまざまな固有名詞に名付けられていたりする国名だが、これらは正式名よりも通称「○州」(例えば武州、信州、三州など)と呼ばれることが多い。香川県はご存知「讃岐うどん」で知られる「讃岐」の国。通称「讃州」である。 その「讃州」の文字を浮き出させた風格のあるもなかが「讃州最中」。 香川県丸亀市、讃岐のシンボル讃岐富士のお膝元で昭和

「全国最中図鑑」50 柚もなか(和歌山県西牟婁郡)

昭和10年創業、地元和歌山県産の素材を生かした和菓子作りに定評のある老舗和菓子店・港屋の看板商品、柚もなか。 和歌山県南部を流れる日本屈指の清流「古座川」の最上流の地域は、朝晩は霧が立ち込め、日中は気温が上がる。そのせいで、ここで栽培されるゆずは特別に香りが良く、美味しいと言われている。 そのゆずの皮をミンチにして白あんに練り込んだゆずあんは、舌触りはねっとりとしているが、噛んでいるうちに口中にふんわりと風味が広がり、爽やかな食後感。たっぷりのゆずあんを包んだ皮はとても軽く、

「全国最中図鑑」48 とまやの最中(大分県杵築市)

大分県北東部の国東半島の南端にある杵築市は、江戸時代の風情が色濃く残る城下町である。この町の代表的な商家である苫屋は、享保年間(1716〜1736年)に創業した老舗のお茶屋で、お茶一筋に営業を続けること約280年、現在の当主は10代目になる。 白壁瓦ぶき・純木造入母屋造りの本店の建物は明治8(1875)年築で、平成30年に杵築市で初めて国の指定登録有形文化財に指定されている。 その苫屋が、家業のお茶に合う和菓子として作ったのが「とまやの最中」。屋号の苫屋の由来から、草葺き屋根

「全国最中図鑑」44 ひょっとこ最中(宮崎県日向市)

昔、日向の塩見永田という村に「ひょう助」と「おかめ」という夫婦が住んでいた。二人が子宝に恵まれるよう毎日稲荷神社に豆飯を供えていたところ、ある日、神主が空腹に耐えきれずそれをつまみ食いしてしまった。怒ったお稲荷様が、きつねに姿を変えて現れたが、そこにいたおかめの美しさに目を奪われ、おかめの気をひこうと手招きしながら踊り出した。それを見たおかめもつられて踊り出し、亭主のひょう助も一緒に踊り出し、成り行きを伺っていた村の若者たちまでみな踊り出した。 「日向ひょっとこ踊り」は、この

「全国最中図鑑」42 火山桜島もなか(鹿児島県鹿児島市)

鹿児島のシンボル・桜島は、北岳・南岳から成る複合活火山で、年間200万人の観光客が訪れる鹿児島屈指の観光地。今も噴煙を上げ、灰を降らせ続けている世界的にも珍しい火山だ。周囲約50キロ以上、面積約80キロ平方メートルで、名前のとおり元は島だったが、大正3年の大噴火で対岸の大隅半島と地続きになった。 誕生したのは約2万6千年ほど前。日本の火山の中では比較的新しい火山だが、有史以来頻繁に噴火を繰り返してきた。噴火の頻度は数週間に一度のこともあれば1日に2、3回の時もあり、鹿児島のニ

「全国最中図鑑」40 北海道クマ最中(北海道札幌市)

世界には8種類のクマがいるそうだが、日本にいるクマは2種類のみ。北海道に生息するヒグマと、本州以南にいるツキノワグマだ。大人のヒグマは体長2〜2.5メートル、体重は150〜250キロ、日本にいる最大の陸上動物である。古代には、大きいということは崇拝に値する特徴だったから、アイヌの間ではクマは神とされていた。 そんなクマを、アメリカ人は「テディベア」という可愛いぬいぐるみにしたが、札幌の餅菓子店では美味しい最中に仕上げた。明治39年創業の美好屋が作った「北海道クマ最中」である。

「全国最中図鑑」39 青森りんごもなか(青森県むつ市)

日本における西洋りんごは、明治4(1871)年に日本に導入され、青森県へは明治8(1875)年春、当時の内務省勧業寮(1874年に設置された殖産興業を推進する省庁)から3本の苗木が配布され、県庁の構内に栽植されたのが始まり。 その後、同年秋および翌9年春と計3回に渡って数百本の配布を受け、研究心に富んだ農家に試植された。その中から明治27(1894)年に京都博覧会で受賞者が出たことから。青森りんごの評価が高まった。 現在は、津軽地方に世界有数の生産団地が形成され、青森は全国の

「全国最中図鑑」36 飴もなか(新潟県長岡市)

大正元年創業の老舗・長命堂飴舗の初代桂吉が、2年の歳月をかけて失敗を繰り返しながら開発した「飴もなか」が、この店の原点だという。 あっさりした水飴と香ばしい最中皮のコンビネーションが意外にピッタリで、口に入れるとトロッと溶ける独特の食感が何とも言えず美味しい。半分に割ると、透明な水飴が糸をひいて伸びる。中身は水飴のみという潔さで、味も素朴、熱い日本茶にとても合う。そのままでも充分美味しいが、冷やして食べると、皮がパリパリになり、中の水飴が程よく固まって歯切れが良く、また違った

「全国最中図鑑」27 天明最中(栃木県佐野市)

佐野の町には、1000年も前から作り続けてきた鋳物がある。 「天明鋳物」である。天明とは、江戸時代の佐野一帯を表した地名である。 天明鋳物の歴史は、「天慶の乱※」を鎮めるための武器を作ろうと、下野の豪族・藤原秀郷が河内国から鋳物師を招いたことに始まる。その後、風呂釜や鍋などの日用品から茶釜・花瓶・火鉢などの美術工芸品、燈籠や梵鐘など、数多くの鋳物製品が作られた。 「天明最中」は、その中でも名品と呼ばれるものを最中に型取った菓子。皮の模様には重要文化財の「六角釣燈籠」、惣宗寺の

「全国最中図鑑」26 卍最中(青森県弘前市)

弘前の目抜き通り・土手町通りに店を構える開運堂は、明治12年創業の和菓子の老舗である。その開運堂の代表的銘菓が「卍最中」。卍は一般的には寺の地図記号として知られているが、実は弘前城主だった津軽家の旗印でもある。 明治39年、津軽藩の藩祖・津軽為信公の没後300年を記念して、開運堂の初代・木村甚之助が旗印の使用を許されて作ったのが始まりだそうである。さらに明治以降、卍は弘前市の市章にもなっていて、皮全体に卍の一字が大きく浮き上がった卍最中は、弘前のシンボル的な菓子となっている。

「全国最中図鑑」 22 貝合わせ最中(京都府京都市)

京都三大祭りのひとつ「葵祭り」が行われる下鴨神社と上賀茂神社の中間あたりに本店を構える京橘総本店の名物最中、宮中古来の雅な遊び「貝合わせ」をモチーフにした優雅なお菓子である。 本来、貝合わせは、貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競いあったりする貴族の遊びだった。 また貝合わせは、夫婦和合の象徴として、また結婚や夫婦円満などの良縁を表すものともされている。 ハマグリ型の小さな二枚貝を型どった外観は、つい手に取ってみたくなる可愛らし

「全国最中図鑑」 21 かまくらもなか(秋田県横手市)

明治35年創業の和菓子の老舗・木村屋は、初代が東京・銀座の木村屋総本店で修行を積み、暖簾分けしてもらい、ここ横手で開店した店である。代々、創意工夫と遊び心に溢れたさまざまな和菓子を創案し、人気を得てきた。 かまくらもなかは、雪深い横手の冬の風物詩・かまくらをモチーフにしたもので、かまくらの灯りや暖かさを表現している。かまくらの中で、子供二人が火鉢にあたりながら餅を焼いている様子を型取っていて、かなり手の込んだ造形。横手の町の厳しい寒さの中で、かまくらでひとときの暖を取る子供た