38:鬱と探究心

人の心を操るのは、

沸々湧き上がる自己防衛の精神と、

見え隠れする探究心だ。


傷つきたくない、辛い思いをしたくない。

大変なことをしたくない、たくさん作業したくない。


どれも人の根本にある自己防衛の精神から来るとすれば、

それは正常に働いているのである。

自らを表舞台から隠し、

普通の歩幅を矯正する。


ズレること、羽ばたくことを良しとしない。

己を守ることの延長戦でしかない。


だがその二元性の対をなす、探究心を忘れてはならない。

知りたい、やりたい、楽しみたい、わかりたい。

日常のあらゆる現象にそれは目を向ける。

趣味のガーデニング。

仕事の膨大なタスク。

家族との時間。

どれにでも当てはまる。

探究の心が、ヒトを一歩先に押し出してくれる。


この日本は今、どうだろうか。

保身のために舞っていないだろうか。

今一度みて欲しい。

その惨状を。


恐怖、不安、脅威。

これらは人の心に強く刻まれる。

そしてメディアは利用する。

もっと見てくれと。


引き出された過剰な自己防衛が、

二重圧のシェルターに誘う。

保身と抑圧。


自己責任の主張が叫ばれるこの世の中で、

何かのせいにすることは、容易ではない。


だが、何かのせいにしてでも、

一旦前に進めるのであれば、良いのではないだろうか。


薄っぺらいシェルターを、

置き去り、

探究心の若葉を、

守り、

私は、

生きる。