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イタリアからの一時帰国と罪悪感 つづき ②

(↑写真は2020年3月10日ローマフィウミチーノ空港アリタリア搭乗口)

(※保存していた記事なので公開日と少しタイムラグあります。ご了承下さいませ。)


実は、記事を書いておきながら、公開もせず、随分経ってしまった。。と言うのも、イタリアの現状、先の見えない、日に日に増す死者数の多さに、心を痛めていた。それに引き換え、現状の日本の呑気さといったらなく、SNSで何かを投稿するのも憚られるほど、イタリアだけでなく、世界の感染者数の状況はなかなか思うように改善は見られない。

その為、この一個人の私のイタリアからの一時帰国を綴るのにもかなりの罪悪感と、この先の不安や、もちろん、何とかしていこう!と言う前向きな気持ちもあるはずなのに、エネルギーが吸い取られてしまっている。そう、エンパス体質だからこそ、あまり悪いニュースばかりに囚われては行けないのだが、親しい友人、大切な人々のいるイタリアの事を考えると、本当に気持ちが萎えてしまうのだった。

さて、気を取り直して話を元に戻す。これはもはや、誰に読まれるかより、自分用記録として残しておくべきであるという思いに至っているのであります。

規制の始まったミラノから一時帰国のため何とか列車に乗り、ローマの友人に連絡したりしながら、翌日のアリタリアが決行にならない事を祈りながら、空席の目立つフレッチャロッサに揺られていた。日が長くなった3月は、18時発の列車でも車窓からの夕日が眩しい。

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そう言えば、列車を待っている際、何本かミラノ発の列車がキャンセルになっていた。自分の乗る列車が何番線に到着するか電光掲示板を眺めていた時、隣にいたイタリア人のおじさんが、「××××!!」と急にスラングを叫んでいた。上品な方だったから、静かに、、だったが、ナポリ行きの列車が直前でキャンセルされてしまった。

そのホームを見ると、列車は到着していたものの、何やら、タンカが運ばれていく‥‥詳細はわからなかったし、あくまで私の推測だが、この状況からして、コロナの症状と思しき人がいたのかもしれない。本当にタイミングによって何が起こるかわからない、これは日本に着くまで、あまり悠長に構えてはいられないな、とまた一層気を引き締める私だった。

冷や冷やしながらも無事列車には乗れたので、その日の宿をネットで検索しローマの友人にその旨連絡だけ入れた。

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(フレッチャロッサからの夕陽)

いくら友人だからと言えど、その時点では、その2日後にはイタリア全土が封鎖とは思ってもいなかったので、ロンバルディア州封鎖後のミラノからローマ入りする私にとって、いくら帰国の為と言えど、ただの連絡のみに留めた。

一年ぶりのローマに到着してみると、観光客も少なく、ホテルも閑散としており、イタリア全土にこの余波がじわじわと広がっている事を実感した。

そして程なくして、翌日のアリタリア便は予定通り飛ぶ旨を、もう一人のローマの友人から連絡を受けた。そう、ラッキーな事にアリタリア勤務の友人がいて、電話までし、確認してくれたのだ。こんな時イタリア人は本当に優しい。できる限り助けようとしてくれるし、家族の様に親身になってくれる。勿論個人差はあり、お互いの相性もあるのだが、異国の地で、この様な状況での助けは涙が出るほど嬉しく、この忖度や建前のないサービス精神は、どんなに嫌な事があろうとも、毎回何かしらに魅了されるイタリアの素晴らしい文化であると思う。

さらには翌朝車で空港まで送ってくれ、勿論仕事柄ローマフィウミチーノ空港をよく知る友人は、お土産のお勧め、そのお店の案内まで色々親切にしてくれた。

今度はその友人に私が何ができるのだろうと考えるが、まだまだ日本での生活が長引きそうなので、いつになる事やら‥。

さて、飛行機に無事搭乗してからがまた長かった。丁度、私が乗った便が到着するその日が、イタリア他、危険地域からの日本への入国規制が実施される日に当たった為、日本政府からの要請が二転三転し、一度は降ろされそうにもなりながらも、何と機内で3時間も待たされた後の離陸だった。

その間、キャビンアテンダントの入れ替えやら、何やらバタバタした様子だったが、日本政府からの要請で、、と言う放送での説明だったので、みな大人しく待つしか無かった。機内はそこまで空いてもおらず、卒業旅行と思しき学生が多かった。こんな時やはり一人は心細い。携帯は使用できたので、友人やら家族に連絡を入れながら、日本到着後にどこに滞在すべきか、など家族間のグループチャットで連絡を取りながらも不安に駆られていたのだった。

1時間ごとに、離陸すると放送が入り、機体が滑走路に移動を始めるものの、程なくして止まる、の繰り返しで、ヤキモキするばかり。

流石に、1時間、2時間と経過する度に、状況を知りたい家族や友人に「やっと離陸!!」「‥‥いや違う‥‥」の繰り返しの説明も疲れていたが、唯一、アリタリア勤務の友人が、再度会社に電話をしてくれた際、”飛ぶ事のみわかっている”と言う情報のみが頼みの綱であった。

まぁこうして誰かしらと連絡を取っていたら気は紛れたが、3時間こうしてメールなどしながら、どこか別次元に放置された感覚だったし、SNSに翻弄されている現代の時間感覚にゾっとしたりもした。

実は当初、外国籍の乗客のみ、一度機内から出されたりもしており、おそらく渡航歴や滞在歴、日本への目的などを聞かれていたのだろうが、しばらくしてほぼ全員嬉しそうに戻ってきた。その際、少し拍手などもわいたが、それも一瞬のみ、日本人のシャイな性格なのか他人や周りの状況に無関心なのかよくわからないが、そんな独特な呑気な雰囲気にとどまっており、私のイライラは募る一方だったが、「何とかなる、一番ベストな形で帰国できる」と気持ちの中で念じるしかできなかった。

私は決して、西洋主義でも何でもなく、日本は大好きだし、日本人として誇りも持っているのだが、この時は、あまりの日本人の危機感の無さにヤキモキするばかりだった。

そして3時間後、何事も無かった様に離陸し、予定の3時間遅れで日本に到着したのだった。

つづく

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