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「こどものため」は誰のため?

こんにちは、モンブランひとみです。

私には3歳の息子がいます。
息子が産まれてから、いや生まれる前も妊娠中から。
ずっと息子が生活の中心です。

それが苦しいというわけではなく、振り返れば自然と息子の生活リズムや特性を中心にして生活しているなと。もちろん日々の生活は大変ですが。

子供が今日もすこやかに生きられるように。

それは子育てと向き合うすべての親が思うこと。
そのために毎日「こどものため」とあれこれしたり、我慢したり。

そんなことが当たり前になりました。

でもひとつだけ。
私が普段から気を付けていること。
子育ての中で大切にしていること。

それは「こどものため」と言いながら
「親のため」になっていないか
を問い直すこと。

子供に…
 楽しく生きてほしい
 健康に長生きしてほしい
 好きなことを見つけてほしい
 趣味を持ってほしい
 友達を作ってほしい
 毎日学校に行ってほしい
 勉強ができるようになってほしい
 将来困らないように良い職に就いてほしい
 結婚して子供を持ってほしい

子供への望みは、挙げればキリがありません。
このような望みは「こどものため」を思うからこそ。

そうかもしれない。
だけれど、そうじゃないかもしれない。

私はなるべく「そうじゃないかもしれない」に
気が付いていきたい
なと考えています。

なぜなら、子育てには 自分のため=エゴ が必ず混ざるからです。それは必ずです。エゴがまったくない0%ということは、たぶんなくて。むしろどれだけ意識しても半分以上、自分のため(親のため)かもしれない

だからこそ「自分のため」が混ざっていないかを、
常に自分に問いかけたい。

息子は広汎性発達障害です。
3歳という年齢相応な部分以上に、人への関心の少なさがあります。

「友達をたくさん作って欲しい」

と親が望んだとして、それが果たして息子自身の幸せになるかはわかりません。「毎日学校に行って欲しい」という望みもまた、状況によっては息子を苦しめる呪いになるかもしれません。

「友達がいた方が人生は楽しいし、学校に行かないと将来の可能性が無くなってまう。だからこれは子供のためを思って言ってるんです」

もし将来の私がそう言い出したら
私はこう問いかけます。

「それ、本当に目の前の我が子のために言ってる?」
「子供に友達がいない不安に自分が耐えられないだけじゃない?」
「学校に行くという”ふつう”から外れるのが怖いだけじゃない?」

子供は、親の望みに対してとても敏感です。
それが自分を苦しめることになっても親の望みや願いをくみ取ろうとします。

子供は親に好かれていたいから。愛されたいから。
それは本能です。愛されるために自分を押し殺すことだってしてしまう。

だからこそ、「こどものために」というオブラートに包みながら親である自分の望みを押し付けないように
それを頭の片隅に置いています。

息子は、生まれてきてくれた時点で私たちの望みに120%答えてくれています。子供を産むことは、親のエゴです。

これから先は息子が人生をハッピーにエンジョイしていくお手伝いをすることが、私たち夫婦が息子にできる”恩返し”だと考えています。

息子の人生の主人公は息子で、
息子の人生の舵を握るのも息子。

息子はいつか必ず私たちの手を離れていくので、その日にひとりで生きていくために困らないように。そのための準備期間がこれから10数年私たちがお手伝いできる時間です。

我が家の子育ての軸は

「生活を自立させられること」
「好きなものを見つけられること」

親のエゴと、子供の望みの重なる部分を広げていくことが子育てだと思っています。

それともうひとつ。

自分が子供の頃に「やって欲しかったけどやってもらえなかった」という理由で何かをするのは避けています。

なぜなら、子供から期待した反応がもらえなかった時「せっかくやってあげたのに」の気持ちが頭をもたげるから。小さい頃の満たされなかった自分を満たすことを目的にすると、心の中にいる幼い頃の自分が「ずるい」と我が子に嫉妬するんです。

「やってほしかったことをやる」よりも
「やってほしくなかったことをやらない」
それだけで十分かなと。

何かを与えるよりも、邪魔しない親でありたい。

でもどれだけ気を付けていたって、子供に嫌な思いをさせてしまうことはあります。私と子供は違うから。何が嬉しくて何が嫌かは、その時にならないとわからない。

嫌だった時に子供が「イヤ」と言えて、それに対して親が「ごめんね」と言える関係であること。
そのことを大切にしたいです。

「こどものため」や「あれをしてあげたい」を手放して子供をひとりの別人格として扱う。

もしかしたらその時に一番必要なのは、まずは親である私たち自身が、人生の舵を取り戻すことかもしれません。

そんなことを考えながら、息子の視線の先にある未来を一緒に追っています。

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