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雑談2

先日、発達障害のお子さんを持つ方(40代男性)と話しました。私はお子さんが発達障害だと知りませんでした。
(⚠発達障害については知識不足だと思います。間違いや不適切な表現がありましたら申し訳ございません。)
雑談をしているとお子さんの話になりました。
何年か前のことですが、学校でお子さんの様子がおかしいということで先生から検査を勧められて受診したそうです。
知能検査や脳の検査など検査の種類の多さに「大変だった、今は病名が多過ぎる」と言っていました。
お子さんは癇癪(かんしゃく)を起こすけど、ちゃんと話しをすれば理解できるそうです。(軽度発達障害)
そして「俺が子供の頃にもそういう子供はいた、けど検査なんてなかった」とも言っていました。お子さんは普通の子と何も変わらないから検査は必要ないという感じでした。

会話の途中からずっと私は違和感が感じていました。それは私とその方の考え方の違いです。
違いは2つあります。
①症状あるから病名が付く。
②自身の子でも違いを認め、将来を考える。

①発達障害や知的障害の内部疾患は健康な(内部疾患がない)人は理解できないのかも知れませんが、多くの内部疾患者は他人に理解されない様々な苦痛に悩んでいると思います。その悩みに対して医療の研究が進み、病名が付いて治療がされているのだと思います。病名を付けて病気にしているわけではないです。

②発達障害の方(30代)との会話を思い出したのですが、大人になって診断されたけど親が疾患を認めたがらないと言っていました。子供の頃からずっと対人関係や自分だけ作業ができないなどに悩んでいたそうです。もっと早く診断されていたら良かったと言っていました。
発達障害は幼児期からの治療が大切だと思います。幼児期は普通に生活出来ても大人になってからの悩みや苦痛は親にも本人にも分からないと思います。
自分の子供が大切なら専門の知識を調べて理解するのは当然だと思います。
※厚生労働省サイトみんなのメンタルヘルス>こころの病気を知る>発達障害など

【あとがき】
考え方の違いがありますが、私もその方の気持ちは理解できます。いつも親としての責任感が強いと感じていました。お子さんと一緒に遊んだり叱ったりしながら体でぶつかっていく昭和タイプの人です。
家族というコミュニティに対して強い思いがあるみたいに感じます。
推測ですが自身が幼児期や青年期に家族に対して不満があるから、子供への愛情が親の強い責任感という形へと変わってしまうのではないでしょうか。
この場合は理解ある愛情が子供の為で、強い責任感は親自身の為のだと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。不定期で更新するのでよろしくお願いします。

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