「我思う、ゆえに吾あり」
これはなんの調べも無く、根拠もない、ただの私が想像した事である。
人は本来、楽観的に生きる生き物である。
何故ならば、悲観的であれば不安に苛まれ生きることがままならないからだ。
外出すれば車に惹かれるかもしれないし、人混みに行けば病気になるかもしれないし、アウトドアを楽しめば、毒のある生物に刺されるかもしれない。
そんな不安に押しつぶされてしまう。
もっと現実的なものに例えると、
入学試験、就職面接に落ちて、ろくな就職先を確保出来ないかも。顔面偏差値、リア充度が低くて、結婚出来ないかも(する願望が無い人を除く)。親の介護が大変で、自分の生活が無くなるかも。借金をして、自己破産するかも。
なんて、考えればきりがない。
だったら楽観的でもいいじゃないか!
という事なのだが、そうでもない点もある。
麻雀でも、テストでも、社会人生活にしてもそうだが、ニンゲンは、どこか「一発逆転なるものがあるかも」と期待が無いだろうか?(私だけかも…)
一発逆転など起こるわけがないのに。
積み重ねてきた者に結果が付いてくるのであって、「ラッキーショット」は、積み重ねた人にのみ訪れるものなのである。
そんな事は分かり切っているのに、目標に向けて習慣をもって取り組めないのは何故だろう。
「継続は力なり」なんて、垢のこびりついた言葉があるのに、それが出来ない。
何故出来ないか教えてやろう。
それはお前がやらないからだ。
では、駄文でございますので。追記。
結局は、その人それぞれのやり方があるので、それを見つけるしか方法が無いのだな。
よく自己啓発本で目指したい人の真似をしろなんて書かれている。
目指したい人を真似するのも結構だが、目指したい人になるために、自分に向いている最適な方法は、人それぞれにある。
自分が成長するのに最も適した方法を見つけた人は、鬼に金棒。向かうところ(自分に)負け無しだと言える。
自分に勝つことが一番難しいのに、自分を成長させる方法を理解出来ているからだ。
それは、「これが出来たら自分にご褒美をあげる」というような典型的なものかもしれないし、「欲しがりません勝つまでは」的な、厳しい制約が合う人もいるかもしれない。
それを見つけるためには、結局やるしかない。
やって試してトライ&エラーを繰り返すしかない。
これしか言えないのは、なぜか。
誰も本当のところは分からないから。
世の成功者(何を持って成功者?)が、私はこれで成功できました。
と言うのは、その人の話であり、あなたが成功するための道は幾千通りの中から選ばなくてはならないのです。
とにかく私が言いたいのは、試験勉強が出来なくて、またしても浴槽NOWという事だけである。全く私というニンゲンは強制力がないと、物事に取り組めない。
世の受験生は、勉強してて偉いなー。
大切なのは好奇心だよ。
それがトリガーだ。
早く気がついて。
以上。
ここまで読んでくれた物好きな方。
ありがとうございました。
楽観的なニンゲン達よ。幸あれ。
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