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『裸の聖書』1.総司令官ミカエルの名において-1

こんにちは、もんぱちです。
今回から本文に入ります。
史上もっとも有名な書物ですが、一体どれだけの人が全文を読んだことがあるのでしょうか。事実上ほとんどの家庭にあるのはオリジナルではなく、絶えず改定、修正されてきたもの。削除され消えてしまったものさえある、、
聖書の翻訳者、マウロ・ビグリーノ氏はイタリア人。不正確な翻訳を発見した彼は、聖書はありのままに読めばいいといいます。

副題「総司令官ミカエルの名において」3回に分けてお届けします。

前回の記事はこちら↓↓↓

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総司令官ミカエルの名において -1

もし間違っていたら?
いい質問だ。何について?
すべてについてだ。私たちが何者なのか、どこから来たのか。
そうか。それがどうした?信念をひっくり返して捨てればいい。ほとんどすべてについて、考えを変えよう。世界観も、人間観も、地球上での人間の冒険観も覆すんだ。
狂氣?
そうではない。それは起こるんだ。以前にもあったし、また起こるだろう。
遅かれ早かれ、それは起こるに違いない。なぜなら、常に勝利するのは人間の本性であり、私たちの抑えがたい好奇心だからだ。
それは常に起こることであり、時間の問題なのだ。ある日誰かがやってきて、太陽が地球の周りを回っているというのは真実ではない、正反対だ、と言う。傍観者の顔は想像に難くない。
その時、発見者は彼らに望遠鏡を見せ、自分で見てみようと誘う。最初の反応はいつも同じで、不信感、厳しい否定、嘲笑である。おいおい、そんなことが可能なのか?まじめな話、誰もこのあたりで、特に特定の事柄についてバカにしたくはないのだ。
ガリレオはユリシーズを思い出させる。ホメロスの英雄の冒険は、今日に至るまで私たちに直接語りかけているようだ。未踏の地に飛び込むには、既知の島々を視界から消し去り、従来の知識を手放す意志が必要だ。
ホメロスについて言えば、もしあなたの名前がハインリヒ・シュリーマンだとして、ある日突然『イーリアス』を愛するようになったとしたら、そこから何が推測できるだろうか?
そこから先は確かに上り坂だ。どんなに名作と崇められようとも、単純な文学の一ページが現実の歴史の一章を解き明かす可能性があると信じるなら、あなたの前に立ちはだかる道は困難なものになるだろう。
彼らはあなたを『氣違い』『世間知らず』『妄想家』と呼ぶだろう。
また、あなたには最初から深刻なハンディキャップがある。学者たちのカースト、つまり公式な知識保持者たちの自称排他的な聖域に属していないのだ。
しかし、ひとたびトロイの実際の遺跡に出くわせば、その嘲笑は突然、彼らの顔から拭い去られるかもしれない。そのとき、懐疑的な人たちは、歯を食いしばって、不可能を認めるだろうか?
彼らは、古代のテキストが厳然たる真実を語り、精密かつ地理的に詳細な情報を含んでいたことに、同意するだろうか?
確かに驚くべきことだ。
というか、明らかだ。少なくとも、あなたの判断、あなたの論理によれば。
いったいなぜ古代人は複雑なトリックに頼らなければならなかったのだろうか?神のみぞ知る謎を隠し、ベールに包むために、なぜごく少数の人しかアクセスできない不明瞭な象徴主義に逃げ込んだのか?当時、読み書きのできる人はごく少数派だった。言葉でかくれんぼをすることに何の意味があったのだろうか?
あの有名な文書を文字通りに受け取る方が適切ではないか?そして、内部の人間は皆、古代のテキストには作者が意図したことが書かれているだけで、それ以上でもそれ以下でもなく、それらの文書を解釈するために想像力を働かせる必要もないという先験的な考えを、何故頑なに捨て去ろうとするのだろうか?
研究の対象がトロイ戦争についての詩ではなく、史上最も有名な書物である『大いなる一冊』であれば、問題はさらに複雑になる。世界で最も人氣のあるテキストである。『毛沢東語録』よりも、『ハリー・ポッター』よりも、『指輪物語』よりも。
しかし、一体どれだけの人が全文を読んだことがあるのだろうか?
それも奇妙な本で、幾何学的に変化するコレクションである。訪れる国ごとに異なるバージョンがある。この本を構成する特定の本が有効な国もあれば、そうでない国もある。それでも、このコレクションのタイトルは変わらず、常に同じだ。大きく変わるのはその内容である。
これらの写本は誰が書いたのか?そして何語で?
これは不明で、確実なのは否定的なことだけである。わかっているのは、今日入手可能で、事実上ほとんどすべての家庭にあるバージョンは、オリジナル、つまり最初のものではないということだけだ。これらのページは、中世を通して絶えず改訂され、修正されてきたのである。
変更、訂正、追加、そして削除。少なくとも11冊は、全集の他の文献で言及されているにもかかわらず、数から消えている。
しかし、その巻の本当の記録はまったく別のものである可能性が高い。最もよく読まれている本では決してないが、最も話題になり、解説されている本である。
誰によって?
多くの仲介者たちによってである。彼らはしばしば、『ネイティブ』版、つまり執筆者の中東言語で書かれたものを知らないことがよくある。もし彼らがそれを読んでいたら、実際には太陽が地球の周りを回っているのではないことに氣づいただろうか?

これらは、この物語の主人公に長年つきまとってきた疑問である。
もちろん、ユリシーズやシュリーマンのことを話しているのではない。彼はイタリア人で、70歳になったばかりだが、年齢を感じさせない。しかし、彼の『発見』は単に偶然見つけたものである。彼は仕事のために、ある言語から別の言語に言葉を変えた。そして彼は次第に、古典的な翻訳が不正確であることに氣づいていった。
翼のある天使?
全知全能の神?
形而上学的思考の痕跡?魂、精神、不死?
まったくない。
存在しない言葉、存在しない概念、想像上の解釈ばかりである。
学者はこれらの誤りを指摘し、列挙した。結局、それらは箱いっぱいになった。そして、彼がその箱を空にすると、14冊の本が出てきた。

それはわずか10年の間に起こったことだ。彼は出版界でセンセーションを巻き起こし、正真正銘の現象となった。
イタリアだけで何十万部も売れた。そして、わずか数ヶ月の間に、彼の真新しいYouTubeチャンネルは数百万回の視聴回数に達した。
内氣で控えめで地味な男、そして山の静寂を愛する男にとっては数奇な運命だ。アルプスを愛するピエモンテ出身の男。自然、花、キノコ、鳥、昆虫に情熱を注ぐ。そして、学びと研究への飽くなき渇望という奇妙な病に苦しんでいた。
彼は高校在学中にすでにギリシャ語とラテン語の古代言語に夢中だった。何年もかけて、亜原子物理学、宇宙の謎、インド神話、考古学、地球物理学、遺伝学、天体物理学の進歩、人類学の輝かしい業績など、次から次へと、果てしなく本を読み漁った。
ただひとつ確かなことは、疑いに対する揺るぎない信頼である。ソクラテス的な意識は、十分な知識など決して得られないということを熟知している人たちのものであり、それこそが、終わりなき研究の理由なのだ。
ただ留意して、彼は真理を売ろうとしていない。彼はいわば、仮説を提案することに限定している。そして特に注目したいのは、あの世界一有名な本の原書に書かれていることがすべて真実だとしたら?
それはかなり厄介なことになる。
もしそうだとしたら、あの歴史上最も有名な書物の原書から読み取れることがそうだとしたら、世界は完全にひっくり返ってしまうからだ。
そこには、本質的で最も重要な要素、『神』が欠けているからだ。
というよりもむしろ、欠けているのは神の正式な所在だ。
神はそこにいないのか?その書物に、神を見つけることはできないのか?
「研究した詩編の中で、私は一度も神に出会ったことがない。」
翻訳者はあらゆる場所で神を探したが、神はそこにはいない。神の痕跡はないのだ。
確かなのか?
「もちろんだ。」
ここではっきりさせておこう。前提が必要だ。神は存在するのか?
それは誰にもわからない。翻訳者はそれについて語らないように細心の注意を払っている。しかし、無神論者のような揺るぎない確信を持っているわけでもない。彼は信者に最大限の敬意を払い、いかなる判断からも遠ざかっている。しかし、彼が知っているのは、一神教が讃える神は、残念ながら古代の巻物の中にはまったく存在していないということだ。たまたま、そこに立ち寄ったことさえないのだ。
とんでもない誤解?
「そういうことにしておこう。」
訳者は、自分の主張の重大さを理解しているのだろうか?
もちろんだ。だからこそ、私たちはここでその話をするのだ。
「はっきりさせておきたい。私は自分が知っていることに基づいて発言しているだけということだ。私は聖書に書かれていると思われることをその言葉のまま伝える、それだけだ。」
それだけだ、と彼は言う。
ここ数年で、何百万人もの人々が文字通り考え方に革命を起こしたことを、彼はまるで知らないかのように。これも、マウロ・ビグリーノのおかげなのである。


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総司令官ミカエルの名において-2 へ続く
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