椿實、全集と拾遺

 絵で言えばドガ……なんて言ってしまうのは恐るべき短絡だが、戦後の上野の辺りの風俗を記録しながらそれをめくるめく舞台に仕立て上げてしまう筆致には目を見はる。酩酊のような、夢でも現実でもない整合性のなさを狂気という人もあれば幻想という人もある。ロマンとは現実や日常を振り切るときに出来たけっして瘡蓋にならない傷だろうと思うのは、「メーゾン・ベルビウ地帯」「ある霊魂(プシケエ)の肖像」、「ビユラ綺譚」なんかを読むときだ。これらを中井英夫は最も椿實らしい作品と呼ぶ。

 こんな風に書いたってうまく伝えられないから幾つか引用しよう。

霊魂の気圧は、外界よりも低いのであるらしく、氷片のやうな表象の吹雪は、うつかりするとめちやくちやに飛込んで来て、俺は死んでしまふ。そいつは、ダンゴのやうに見える時もあるが、時間のクシを一本とほさないと、ダンゴにならない。ところが元来が虚妄のクシであるからして、きたならしくて、きたならしくて、俺には……と俺は初恋の女に話す。 「三日月砂丘(バルハン)」
彼女は昨日の薬包紙で鶴を折りだした。「病気ぢやなくてよ。唯、夜の汽車で薬が飲みたかつたの」といひながら、そろへた指先を動かしてみせた。千代紙を折るといふことが、なんといふ美しいことであるか――と思つた。牧草地に入ると、デンマーク製といふ感じの干草小屋はきらりと光つてとほりすぎ、地平線を見はるかす一列のポプラは幾万もの葉をそよがせて、牛がゐた。 「狂気の季節」

 椿實の作品は、中井英夫が編んだ1982年の『椿實 全作品』と、全集の拾遺である『メーゾン・ベルビウの猫』で読める。他にも、短編がアンソロジーなどに収録されていることはあると思う。初めて読んだ「鶴」は『人獣怪婚』という獣姦小説アンソロジーに載っていた。80年代以降の作品はかつての輝き見る影もなく、退屈な諷刺、SMに対する意気込みがまるで感じられないのにSM雑誌に載ったという艶笑小説、ただの思い出話が並んでいる。

 整合性のある作品を書くと途端につまらなくなる人で、おそらく唯一である探偵小説もわざわざ読むようなものではないが、その血みどろ趣味は寧ろ同年の「たそがれ東京」で結実している。全集の解説では「本人の意に充たぬものとして相談の上これを省いた」(p.352)と中井英夫が書いているのだが、いやいやどうして。香港アクションすぎる伝奇小説(?)たる「人魚紀聞」は装飾過多で好きになれないし殺人トリックは探偵小説で読めば大した新味も説得力もないのだが、それらが美しき男娼やら稀代のドン・ファンのモテテク話に埋め込まれるとすっかり椿實の世界になってしまうのだからえらいものだ。

 一番好きなのは少し触れた「鶴」で、twitterでもちょっと書いたけれども少年の性の目覚めを描いた掌編と言えばそうだ。けれどもたった4ページで性のおぞましさ、得体の知れなさ、どうなってしまうか分からないことの恐怖、そしてそれが他者にはアクセスできな種類の妄執であることまでもを書き切っている、静かな傑作だと思う。


 書き方がややこしくなってしまったので、出典をゴチャゴチャと書くぜ。

『椿實 全作品』1982年、立風書房。編者としてのクレジットは無いが、解説を読めば実質中井英夫が編んだようなものなのだろう。
- メーゾン・ベルビウ地帯
- ある霊魂(プシケエ)の肖像
- 泥絵……これは牧野信一風でなかなか好きである
- 三日月砂丘(バルハン)
- ビユラ綺譚
- 狂気の季節
- 人魚紀聞
- 月光と耳の話ーーレデゴンダの幻想ーー
- 死と少女
- 踊り子の出世
- 短剣と扇
- 鶴
- 泣笑
- 旗亭
- 苺
- 黄水仙
- 浮遊生物(プランクトン)殺人事件ーーある遺書の再録ーー
- 中井英夫による解説「狂気の冠」
- 付録に柴田錬三郎、吉行淳之介、窪田般彌、澁澤龍彦が小文を寄せている。

『メーゾン・ベルビウの猫』2017年、幻戯書房。
- 金魚風美人
- 色彩詩
- 石の中の鳥
- 夜の黄金
- 乳房三十年史
- プロタゴラス先生その他ーーある古典学者のノートよる
- 我身ひとつは
- 白鳥の湖
- たそがれ東京
- 花の咲く駅にて
- 神桃記
- 黒いエメラルド
- 人魚不倫
- 紅唇ーーニオイエビネの物語
- 蝶々と紅茶とポットーーブラウン神父の登場
- 百人一朱
- 氷れるSM
- お伝の毛皮
- メェゾン・ベルビウの猫ーー豆本版
- メーゾン・ベルビウの猫ーーアメ横繁昌記
- 私と中井英夫氏
- 聖母月の思い出
- 電飾
- 無意識のロマン
-長女の椿紅子による解説「三十五年の拾遺」

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