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自分で選択しているという感覚

私は高校生でブライダルバイトを経験した。
子供の頃の将来の夢はウエディングプランナーだったほど、ブライダル業界は私にとって憧れだった。

結婚式って、一生に一度経験するかしないかの貴重な時間で、さらに親族や大切な人たちが集まる機会なんて生きている中でほとんどなく、それこそ結婚式くらいになるかもしれない。そんな大事な瞬間に立ち会えることを誇りに思っているし、バイトという立場でありながらもそれなりの責任感をもってやれていると自負していた。

そんな大事なイベントだからこそ、ブライダルスタッフはピリつく瞬間も少なくない。多少のミスさえ、スタッフにとってのたった1回かもしれないけど、新郎新婦やその他参列者にとっては一生残ることになる。

きっと彼にはその認識が甘かったのかも。その日、大学四年生の彼は、いくつものグラスを両手でひとまとめにして持っていこうとしていた。とっさに気づいた部屋長が声をかけ、トレーに乗せて持っていかせて一旦その場は収まった。しかし宴会が終わった後、部屋長の大声が響いた。

「なんでトレーに乗せて持っていかなかった?」


「ふざけんな!

  "ここは居酒屋じゃねえんだよ!!"」

怒鳴り声が怖いなあと思っていた。私は以前より、怒っている人はただの感情爆発で、自分の感情もコントロールできないような人間なんだな、と思っていた。だって怒鳴るなんてしなくても伝えられるでしょ。


けれど、"ここは居酒屋じゃねえ"という言葉を聞いて初めて、"怒っている側の人"の気持ちについて考えることができた。

部屋長は、ホテルマンとしての誇りや責任をその場にいる誰よりも感じていた。自分が一生懸命守ってきたものを壊されてしまうのがきっと許せなかった。あのとき怒られていなかったら、大学生の彼はその後も責任や自覚を持てずにいたかもしれない。

あえて"怒鳴る"ことをしたのは、伝えたいことをより伝えるための手段として能動的に選択したのだろう、と思えた。

大好きなSEKAI NO OWARIの深瀬くんが

"大人の俺が言っちゃいけないこと言っちゃうけど説教するってぶっちゃけ快楽"

というリリックを放ったけれど、そんな社会の中でも誰かに対して愛を持って叱れる大人もいるんだなって。

もちろんただの感情爆発という人もいるかもしれないけれど、やはり"自分で選択しているという感覚"は大事にしていきたいなと思う。

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