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30歳元バンドマン、未経験からクリエイティブ企業のマネージャーへ

メンバーひとりひとりの個性や強みを引き出し、掛け合わせる「Independent,  Together」というカルチャースローガンを掲げるmonopo。
今まであまり表には出てこなかったメンバーそれぞれのバックボーンや仕事観を、インタビュー形式で紹介する企画を始めます。
第一回目に登場するのは、30歳のときに音楽業界からの転身でmonopoへやってきた田中健介。
アルバイトとしてコピーをとるところからスタートし、今ではプロデューサーと営業マネージャーを務めている田中に、転身の経緯や未経験から学んだクリエイティブの仕事、個人と会社の関係性などについて聞きました。

Profile
田中健介
Producer/Account Executive
1987年 兵庫県生まれ。ミュージシャンを経て、2017年monopo入社。
デジタルプロダクト開発・広告クリエイティブ・事業開発まで、対応領域の広さを武器に、国内外の様々な統合キャンペーン、新規サービスやブランドの立ち上げをプロデュース。2020年からmonopo Tokyoの日本国内セールスマネージャー。主なクライアントに、資生堂、YAMAHA、三越伊勢丹、ONWARD、JAL。
領域を問わず、0ベースの発想からプロジェクトの完遂まで、一気通貫したプロデュースに定評がある。

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初期衝動のままバンドに生きた20代

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―はじめに、田中さんのお仕事について教えてください。

田中:僕がやっている仕事は、大きく分けてプロデューサーと営業マネージャーの2つです。プロデューサーとしては、クライアントさんのご要望を聞いて、商品やサービスを売っていくためのプランを立て、それに紐づくクリエイティブ制作までを行っています。社内には僕と同じような役割を担っているメンバーが10人ほどいるので、全体の売上管理や個々がどうすればクライアントさんのお役に立てるかを考えるのが、営業マネージャーとしての仕事です。

―プロデューサーと営業マネージャーというのは、一般的にはまったく別の職種ですよね。

田中:そうですね(笑)。うちの会社では複数の職種を横断する働き方のメンバーが多いんです。
営業って、クライアントさんと一番距離が近いポジションじゃないですか。相手の想いを汲み取って、クリエイティブに落とし込んでいくという意味では、半分はクライアント側に立っている立場とも言えます。そういう人間が最終のアウトプットまで併走できれば、最初から最後までシームレスに仕事が進められるんです。

―確かに、組織が縦割りになっていることで、意思疎通がうまくいかないことってありますもんね。

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―monopoに入社するまで、田中さんはずっと音楽をやられていたそうですね。

田中:大学生のときに、monopoの創業者である佐々木芳幸、岡田隼と同じサークルでバンドをやっていたんですよ。彼らは徐々にビジネスのほうにシフトしていったんですけど、僕は卒業後も音楽をやっていこうと思ってて。

―もともとバンドを始めたきっかけは何だったんですか?

田中:僕、地元が兵庫県の田舎なんですけど、小中学生の頃から周りにバンドをやってる先輩が多かったんですよね。楽器やバンドがすごく身近な存在だったので、自然と「自分もやってみたい」と思うようになって。それでギターを弾くようになり、大学に入ってもバンドをやってて、ずっと「音楽で生きていくんだ!」という気持ちでいました。
いい言い方をすると「純粋なまま」、悪い言い方をすると「アホなまま」でバンドを続けていたんですよね(笑)。だから、当然のように就活はせず、大学卒業後はアルバイトをしながらバンドをやっていました。バイト代はほとんどがバンドの活動費に消えてたので、すごく貧乏な生活でしたけど。

―デビューを目指して、音楽に励む日々だったんですね。

田中:そうですね。僕らがバンドをやってた頃って、YouTubeもそんなに盛り上がってなかったし、サブスクリプションという概念もなかったんですよ。だから、マネタイズする方法はライブをするか、CDやグッズを売るくらいしかなくて。そういうアナログな時代だったんですよね。
それでも一応、27歳くらいのときに事務所に所属することになって。CDも何枚か出させてもらいました。

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―念願だったデビューを果たしたにも関わらず、音楽をやめてしまったのは、なぜだったのでしょうか?

田中:事務所に所属したからといって、音楽で食べられるようになるわけじゃないんですよ。
どうしたら売れるのかを考えていろいろと工夫はしていたんですけど、10年近く活動してても芽が出ないとなると、限界を感じてしまうところがあって……。みんなで先のことを話し合い、活動休止という決断に至りました。

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田中:僕としては、自分ひとりで音楽をやることも考えました。だけど、長くバンドをしてきたなかで、ひとりじゃできないことがたくさんあるとわかったんです。

―それは音楽的な意味だけでなく?

田中:そうですね。バンドを組むって組織を作ることなので、それで稼ぐというのは会社を経営していくようなものなんですよ。だから、音楽で稼いでいくためには、曲を作る人、演奏する人、売る人が必要になります。
僕は音楽を作ることより、いろんな人とコミュニケーションしながら自分たちの音楽を紹介するのが得意だったんですよ。バンドにおける営業的な立場というか。そういう役割が性に合っていたので、薄々は気づいてたんですよね。「自分はステージに立って活躍する側の人間じゃないな」って。
若い頃はとにかくがむしゃらだし、周りが見えてないことも多いから、何でもできると思ってました。でも、年齢と経験を重ねていくうちにだんだんと現実が見えてきて、自分の向き不向きが露骨にわかるようになってきたんです。

音楽業界からクリエイティブエージェンシーへの転身

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―バンド活動をやめた後、monopoに入社しようと思ったのはなぜだったのでしょうか?

田中:きっぱりと区切りをつけて次に向かったわけではなく、当時はまだメンバーを集めて音楽で売れたいという気持ちが残ってました。そのために今まで自分にはなかった広報やマーケティングの視点を取り入れたいと思ったんですよね。
佐々木、岡田とは大学卒業後も付き合いがあって、monopoが広告をやっている会社なのも知っていたので、ちょっと勉強させてもらいたいなと。それで、最初はアルバイトとして入ったんです。何にも経験がなかったから、コピーをとるとか、請求書を作るとか、そういうことをやっていました。

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―そこから正社員として働くようになるまでには、どのような経緯があったのですか?

田中:まず、30歳で何のスキルもない人間が雇ってもらえたら、めちゃくちゃ頑張るじゃないですか(笑)。

―あぁ、「何か貢献したい」みたいな気持ちで(笑)。

田中:そうです、そうです。だから、すべてのことに150点を出すつもりで仕事に向かっていました。コピーをとる、請求書を出すといった単純作業にしても、求められている以上のことをやる。企画のアイデアが10個ほしいと言われたら15個、20個は考えて、しかも期限よりも早く出す。相手が何を求めているかを常に考えて、それ以上のアウトプットで応える。そうしていくうちに、いろんな仕事を任せてもらえるようになったんです。

仕事の基本だと思うんですけど、信頼がないとお願いごとって発生しないじゃないですか。なので、信頼を得られるようにめちゃくちゃ頑張りました。

monopoはどんどん裁量をもたせてくれる環境なので、目の前の仕事を一生懸命続けているうちに自ずと状況が変わっていったんですよね。それがすごく楽しくて。

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田中:そうしてmonopoで働くなかではっきりわかったのは、やっぱり僕は自分で何かを作るより、作るための企画を立てたり、それを提案したり、売ったりするのが好きだということでした。
ずっと音楽を作るのが好きだと思ってバンドをやってたけど、それよりもたくさんの人に知ってもらったり、買ってもらうためにアレコレ考えることに面白さを感じてるんだなって。しかも、音楽に限らず、他の商品やサービスを扱ってても同じように楽しかったんです。

―あぁ、なるほど。それってまさにプロデューサーや営業の仕事ですよね。

田中:そうなんですよ。楽器を始めたときにはバンドしか見えてなかったんですけど、いろいろと経験していくうちに、その背景には様々な役割の人がいることを知りました。僕が楽しいと思うのは、そういうサポート役の仕事だったんですよね。それで、ちゃんと腰を据えてクリエイティブの仕事をやっていきたいと思ったんです。


バンドでもプロデューサーでも変わらない「敬意」と「感謝」の基本姿勢

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―未経験でクリエイティブの世界に入った田中さんは、どのようにして仕事を覚えていったのでしょうか?

田中:もうひたすら実践ですね。とにかく場数を踏むっていう(笑)。まずは見学をして、そこからゆっくりと慣らしていくという考え方もあるとは思います。でも、個人的には実践を繰り返すのって、仕事を覚える上ですごくいい方法だなと思ってて。音楽をやってたときも、同じような経験をしてたんですよ。

―同じような経験というのは?

田中:音楽を始めたときは、教則本を見たり、CDに合わせてギターの練習をしてたんです。でも、それって練習のための練習にしかならなかったんですよ。実際に披露する場がないから、反省もしませんし。つまり、トライ&エラーができていない状態だったんですよね。
だけど、バンドを組んでステージで演奏するのは実践じゃないですか。そこには当然失敗もあるけど、その分、反省もしますよね。そうやってトライ&エラーが生まれることで、技術が一気に上達するという経験があったんです。
これって、仕事でも同じことが言えるなと思ってて。いろんなビジネス書を読んだり、セミナーを受けて勉強をした気になっても、実際に試す場がないと力にならないんですよ。

―使い道のない筋肉を鍛えてるみたいな。

田中:そうそう。だから、monopoでは失敗もたくさんしましたけど、それが成長のスピードに繋がったのかなって。まずは見学して、徐々に慣らしていくやり方をしていたら、仕事ができるようになるまでにもっともっと時間がかかったと思います。

―広告のお仕事って、毎回違うクライアントさんや商品と向き合うことになるわけじゃないですか。その都度、求められるアイデアやアウトプットも変わってきますよね。

田中:そうですね。クライアントさんの業種も様々で、飛行機もあれば、楽器もあれば、化粧品もあります。扱うものも、具体的なプロダクトやサービスの場合もあれば、会社のパーパスのように形がないものを作ることもあるんです。
だから、僕らの仕事って「こんなサービスを売ってます」とか、「このパッケージでウェブサイトを作ります」ってことではなく、毎回オートクチュールを作ってるような感じなんですよね。そこは大変なところですが、楽しいところでもあります。

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―広告のお仕事のどんなところに楽しさを感じていますか?

田中:広告って、自分たちのものではない商品を、いかにして広めるかという仕事じゃないですか。そこには、クライアントさん、販売会社さん、お客さんというように、たくさんのステークホルダーがいます。そうやって関わっている人たちが喜んでくれているという実感を、ダイレクトに感じられたときが一番嬉しいですね。クライアントさんから「あの商品めっちゃ売れてます」と報告を受けたり、実際に商品を使っている人を見たりっていう。
それと同時に、僕らサイドには制作に関わってくれたクリエイターがいるんですよ。お客さんはもちろんなんですけど、クリエイターが喜んでくれる仕事になると本当に最高ですね。クライアントさんとクリエイターをマッチさせて、しっかりと結果を出して、関わる人みんながハッピーになれるゴールを目指すというのが、プロデューサーの存在価値だと思っているので。

―今のお話って、ちょっとバンドっぽいですね。お客さんやレコード会社が喜んでくれて、なおかつバンド側も手応えを感じられるライブを目指すみたいな。

田中:最終的に関わる人がみんなが「よかった!」と思えるゴールを目指すというのは、バンドにも広告の仕事にも共通する楽しさだと思います。

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―田中さんの仕事哲学の根っこには、やはり音楽で育まれたマインドが流れているんですね。

田中:バンドをやってた頃は本当にがむしゃらだったので、物事を俯瞰で見ることができなかったんです。でも、振り返ってみると音楽活動で得た経験が今の自分のDNAになっていると感じます。
今は違うかもしれないですけど、昔のバンド業界ってめちゃくちゃ体育会系だったんですよ。ライブの後、朝まで説教されるなんてことが日常茶飯事で(笑)。だけど、そこで教わったことは、今も本当に役立っているんですよね。

―バンドの先輩たちから教わったのは、どういうことだったんですか?

田中:僕がずっと言われていたのは、「何をするにしても敬意と感謝は大事にしろ」ということでした。今でも本当にその通りだなって思うんですよね。
僕らプロデューサーって、自分ひとりで何かができるわけじゃありません。クリエイターの人たちに依頼して、アウトプットを形にしてもらうという立場なので。だから、本当に敬意と感謝がないと成り立たないんです。むしろ、僕らに必要なのは敬意と感謝だけかもなと思ってます。

田中健介が思う「monopoらしさ」とは?

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―田中さんが思う「monopoらしさ」って、どういうところですか?

田中:僕が思う「monopoらしさ」は、一言でいえば「チャレンジ」ってところですかね。組織としていつも新しいことにチャレンジしてるし、個々にもチャレンジを求める会社なんですよ。「何事も簡単にはできない」というのは当たり前のことで、「じゃあ、どうやったらできるようになるか」をひたすら考えるし、やってみせる会社だと思います。
今でこそmonopoは海外にも拠点があって、海外出身のメンバーもいるので、グローバルカンパニーと呼べる状況になりました。でも、創業してからしばらくは日本人しかいない、本当に小さな会社で。その状態からグローバル化に向けてチャレンジするって、かなりハードルが高いじゃないですか。

―かなりジャンプアップしないと届かない気がしますよね。

田中:そうなんですよ。僕も英語なんてできなかったので、「グローバル化って、どうやってやんの?」みたいな感じでした。だけど、それをどうにかやろうとする。そのこと自体がすごいチャレンジだし、結果的に実現させちゃうんですよ。
そういう「やってやれないことはない」って精神は、本当にすごいなと思うし、僕もそこに共感したから今もこの会社で働いています。個人的にもいろんなチャレンジをさせてもらってるお陰で、どんどんとステージが変わったし、それが会社自身の成長にも繋がっているんじゃないかなって。成長痛はつきものですけど、自分には合った環境だと思ってますね。

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―最後に、今後のビジョンを聞かせてください。

田中:会社って人が作ってるものじゃないですか。だから、そこにいてくれる人がすべてだと思うんですよね。メンバー各自がやりたいことにチャレンジしていければ、それが結果的に会社のキャパシティを広げてくれます。
そうやって個人の成長が会社の成長に繋がっているので、それを後押ししていきたいですね。僕が知っていることは全部教えたいですし、逆に僕が知らないことを教えてもらいながら、会社が伸びていけばいいなと思ってます。

執筆:阿部 光平 (https://twitter.com/Fu_HEY )
撮影:馬場雄介 Beyond the Lenz (https://www.instagram.com/yusukebaba)

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