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【もののふ椿🌺本の紹介】衝撃の書『椿井文書』で私が見つけたもの③別のご先祖の名前が……

【前回のお話】
江戸時代、椿井氏によって作られた膨大な偽文書『椿井文書つばいもんじょ』。その代表作とされる大掛かりな文書の中に、なぜかうちの氏神の名前が載っていて……?

▼興福寺に所蔵されている「偽文書」

「興福寺官務牒疏かんむちょうそ」は、室町時代(1441年)の興福寺の末寺を列挙したリストです。興福寺が所蔵していることもあり、これまで真正の文書とみられていましたが、著者によると、その特徴から椿井文書とみて間違いないのだそう。

このリストには、大和・山城・河内・伊賀国などにある221の寺社があげられています。もちろん本物の興福寺の末寺もたくさん含まれているのでしょうが、この中の相当数がニセモノ(興福寺と無関係)のよう。

椿井氏は、別の偽造文書に地元で有力な寺社のことを書いたあと、このリストにその名前を追加することで、「あの寺社は興福寺の末寺」というハクを付けていたようです。

▼依頼者が誰かはわからない

うちのご先祖の氏神(W村の春日神社)も、バッチリ載っています😳

いったい誰だろう、椿井氏に依頼したのは💦
春日神社は、藤原系の氏族の氏神なので、うち(筒井)の先祖が頼んだとは限りませんが。

このリストに載せられた理由を考えてみると、W村はもともと平安時代から鎌倉時代にかけて興福寺の荘園だったので、
「だったら、W村の神社が興福寺と関係があってもおかしくないでしょ
ということで、誰かが追加してもらったのかもしれません。

それにしても、ご先祖の氏神が偽文書に載っているなんて、心臓に悪いなぁもう😰

▼「意外な先祖」が偽文書を依頼していた!

これだけならまだいいのですが、実はこの他にも、2つの偽文書が私の先祖と関係があるらしいとわかりました💦

1つは、実在した戦国武将「筒井順興」が1507年に書いたとされる文書(『椿井文書』61p)です。

そこには、順興の10人ほどの与力の名前が書かれているのですが、その1人が私の先祖(H)らしいのです。

実は、私に家系図を残した筒井N助は、同じ村のH家から婿養子に来た人でした。

H氏といえば、私の先祖じゃない

この文書に名前があるということは、これを依頼したH氏が、「うちは昔から有力な家柄(土豪)だった」とまわりに主張したかったのでしょう。

なんだかカッコつけたがりで、かえってカッコ悪いです……😅

▼偽文書を利用して出世した

2つめは、『W町史』に載っていました。

鎌倉時代(1331年)の「元弘の変」の際、後醍醐天皇に味方して笠置山にはせ参じた地侍を「南山郷士なんざんごうし」というのですが、その地侍のリストが偽造(椿井文書)らしいのです。

そして、そこにリストアップされたW村の5人の中に、「H」という名前がありました。

えーっと💦

これはきっと、江戸時代後期のうちの先祖(H氏)が、近所に住む椿井氏に対して、
うちの先祖も南山郷士だったということにして、リストに入れて!」
と頼んだに違いありません。恥ずかしーーー💦

そして、『W町史』にはさらに続きがありました。

「この南山郷士の子孫は、江戸末期の蛤後門の変の出兵連判状にも名をつらねている。
明治17(1884)年、南山郷士の子孫は、先祖の功績をたたえ、京都府に対して『士族編入』を請願しており、京都府士族になっている」

えっ??

もしかして、うちの先祖は明治時代、椿井文書を利用して士族になったということでしょうか。

いいんですか、それ……?😰

▼椿井氏のお得意さんだった?

つまり、まとめると、

・うちの先祖の筒井氏が椿井氏に偽文書を作らせた証拠は見当らない。
・しかし、別のご先祖(H氏)が偽文書の作成を依頼していた可能性が高い。

ということがわかりました。

江戸時代の私のご先祖は、ご近所だった椿井氏に頼んで、いろいろと偽文書を作ってもらったお得意さんだった。

なんという衝撃の事実……!!


いやあ、先祖探しをしていると、本を読むだけでドキドキワクワクした気分を味わえますね💖

皆さんもぜひ、このスリルとサスペンスを味わうためにも、ご先祖探しを始めてみてください!(←ちょっとヤケクソ😆)

それではまた。
もののふ椿でした🌺✨

(おしまい)

▼①はこちら

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