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現代は恐怖症量産社会

子どもがインフルエンザで1週間丸々学校を休んでいた。「久しぶりに学校に行くのが少し怖いから行きたくない。」と言う。僕は言う。

「学校に行け!」

みなさんはこれを聞いてどう思っただろうか?僕は残酷な親だろうか?実は僕はこの行動を科学的根拠をもとに選んだ。ある本を読んだからだ。エクスポージャー療法ガイドブックだったか確かそんな名前だ。ざっくり言うと暴露療法のやり方みたいなことが書いてある本だ。

みなさんは恐怖症を持っているだろうか?ちなみに僕は高所恐怖症だ。
みなさんも考えてほしい。高所恐怖症のひとはみんな高いところから落ちて痛いめを見ているだろうか?
僕はそれは子どもなりに高いところから落ちて痛いめはみたが、トラウマになるほどではない。でも高所恐怖症なのだ。

なんらかの恐怖症を治すために行うエクスポージャー療法な訳だが、そのガイドブックにもこう書かれていた。
「恐怖症を持っているひとの多くに、明確に原因になるような事故がある訳ではない。」というのだ。これは意外な盲点で確かにと僕も思った。
では、何が恐怖を増幅させているかというと、

「恐怖対象を避けたことによる成功感が恐怖症を増幅させる。」というのだ。

つまり、避けて通れば通るほどそれに対する恐怖心が増幅するのだ。

現代はどうだ?子どもや新人に無理させないと言う風潮がある。まぁ大人は自己責任の自己判断でいいだろう。子どもの場合は親の責任だ。

学校に行きたくないといえば行かなくていいという環境を作ってしまったら、家でダラダラとゲームしてていいよみたいな時間ができてしまったら、みなさんは学校に行くだろうか?ずっと居心地のいい家にいるだろう。

ここで学校に行かないことによって、家のほうがいいという成功体験ができてしまうのだ。これは学校より家のほうがいい。つまり、学校に行かなくて正解と考えてしまうのだ。

そうなるとまた次の日あなたはどうなる?
昨日家にいて楽だった。学校に行くと楽しいかもしれないし、何か嫌な思いをするかもしれない。でも、家にいたら確実に楽。

学校に行きたくない

となる。つまり、確実に楽な家とハイリスクハイリターンのギャンブルをしないと行けない学校、どっちがいいという選択を毎日迫られることになるのだ。これは中途半端に親が守ることによって起こした学校恐怖症、不登校ということになる。

これは甘やかしだと思うし、子どもの冒険心や好奇心を削ぎ、ひいては子どもの可能性を阻害する行為になると思う。

可愛い子には旅をさせろと昔から言う。これはあながち科学的にも間違っていないということだ。

例えば、学校に明確に理由があって行きたくない、もしくはこういうことがしたいので学校に行くのではなく違うことがしたい、みたいなことがあるのはいい。ただただ行きたくないみたいなものを認めるのが非常に良くないというお話。

それを認めるか認めないかは親の責任だし、僕の言うことを聞く必要もない。私は子どもを守るために家にいさせるというのもいいだろう。その子どもがどうなってもその親は責任をとる立場にいる訳だから無責任な僕の話を聞かずにもし親の立場ならば自分の判断を信じるべきだ。

みなさんは避けて避けて恐怖症を作っていませんか?

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