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僕が思うAIの限界

2030年にはコンピューターが人間を超えると言われている。情報処理においては人間を置き去りにしていくだろう。この時大事なものはなんなのだろうか?

医療においては内科医の意味がほとんどなくなると思っている。例えば、症状や血液検査やCT、MRIなどの検査によって出たデータを入れたら森羅万象の病気の中から可能性を選び出してくれるだろう。内科医は知っている範囲でしか病名を探ることはできない。特に頭の硬くなったおじいちゃん先生に至っては自分の知らない病気があるという可能性すら見失っている。
その中で生きる可能性があるのは外科医だろうか。実際主義が必要であり、いつかは機会が手術をすることがあるかもしれないが、環境がかなり揃わないと難しいことを考えると非常に厳しいだろう。いいところは無菌で手術ができる可能性が高い点だろうか?
しかし、環境の整っていないところや、緊急災害があった場所などでは結局人間が活きることになるだろう。

みなさんはダヴィンチという手術補助の機械をご存知だろうか。こちらで手術を行えば機械が遠くで手術を行うような機械だ。これはかなり精密に動くと言われている。使ったことがある人間に聞いたことがある。「欠点はあるか?」と。
それに対しその人物はこう応えた。
「ほぼこちらと同じように動かすことが可能だ。しかし、向こうからの皮膚感覚に関する情報は入ってこない。」
これは外科医としては結構痛い感覚の欠損だ。予定手術で予定している範囲であれば問題ないだろう。しかし、イレギュラーがあった時に患者から送られてくる感覚を感じることができないのだ。
果たしてそこまで感覚を機械が味わわせることは可能なのだろうか。

昨年素晴らしい学生にあった。某大学の学生なのだが、起業して色々やっているようだった。その彼のメタバースの話が非常に興味深かったのだ。
現代の情報に求められているものやこれからも求められ続けるものがどういうものかという話をした。年齢で言えば半分ぐらいか、正直尊敬に値して年齢などどうでもいい。その中で僕はこういった部分がメタバースでは感じられない部分で、こういった部分に価値が出る、もしくはこういった違いに関して理解した上でメタバースというものを理解せねばならないという話をした。

もう少し掘り下げると、チャットGPTについて話をした。あいつは情報収集に長けているが、あくまで「知ったふうな口を聞くやつ」と思っておいた方がいいという話をした。どういうことかというと、当該の彼は今はTiktokでバズる動画を作る仕事をしている。実際1000万再生の動画を何本も出している。その彼が「〇〇が大事です。」と言ったとする。それを聞いた僕、特にショート動画になんの実績もない僕が同じことを言ったとする「〇〇が大事です。」この言葉の説得力の差がチャットGPTの限界だ。

彼は実績がある。実際動画を制作し、結果も残している。
僕はショート動画をあげたりしているがバズるなんて夢のまた夢、何も実績もないしたことないやつが同じことを言ったところで「知ったふうな口を聞くやつ」に過ぎないのだ。これがチャットGPTなのだ。

要するにAIが引っ張ってくる情報は経験や感覚に結びついていない情報なのだ。
これを理解する必要がある。いくらAIが人間の能力を超えたとて、そいつは現実世界で生きていないのだ。僕はここに活路を見出している。

みなさんはAIに取って代わられるのか、それともAIではできないことをするのか、よく考えた方がいいかもしれない。

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