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オリンピックの演出は女性蔑視演出だったのか問題

先日、オリンピックの演出を手がけるひとが渡辺直美さんをブタに見立てて、
オリンピッグという感じで演出したらどうだということが問題になった。

「女性をブタに見立てるとは何事だ!女性蔑視発言だ!」というのだ。

先日、森喜朗氏が女性蔑視発言で役職を辞任したところだから、火に油という感じになっている。

しかし、本当にそうだろうか?

僕は森喜朗氏の発言は女性蔑視発言だと思う。「「女性がいたら会議が長くなる」という発言をしたひとがいた。」という発言だ。しかし、今回の女性をブタに見立てるという案件についてはどうだろうか?

渡辺直美さん本人がブタに見立てられるのが「心外だ!」と怒ったという内容ならわかる。もしくはイスラム教徒のひともいるのでヒトをブタに見立てるのはまずいという問題提起なら理解できる。イスラム教徒のひとはブタを不浄の生き物として、食べ物としても認識していないし、ましてやブタに見立てられるなどかなりバカにした行為なのでもってのほかなのだ。

今回の渡辺直美さんをブタに見立てるという演出がひととして問題があるという問題提起ならわかるのだが、これを女性蔑視問題とすることに問題があると思うのだ。

この問題を女性蔑視問題と捉えている人が
男性蔑視だと僕は思う❗️

どういうことかというと、この問題を女性蔑視とするということは渡辺直美さんが男性だったら問題なかったのか?ということになるということだ。

男性であっても問題あるというならば、これは女性蔑視問題ではなく、
ひとをブタに見立てるという侮辱の問題でないといけないのだ。

つまり、この問題を女性蔑視とするひとはこの問題は男性だったら問題ないと言っているのと同じなのだ。

誤解のないように言っておきたいのは僕はこの演出には問題があると思っている。それはイスラム教徒のひとから見ると気分を害する人がいる可能性が高い点にある。

僕が言いたいのは演出に問題はあるものの、
問題の捉え方を間違っていないか?

ということだ。

多分こんなことで怒ったりするひとではないと思うが、仮に渡辺直美さんがこの演出を「心外だ!」、「気分が悪い!」と言っているなら単純に演出のひとと渡辺直美さんの問題だ。

この問題を女性蔑視とする方はどう考えているのだろうか?

この演出が女性なんだからブタに見立てようという発言があったなら、
女性蔑視だろう。

しかし、この演出の考えからいくと、体型でイメージを作っていると思われるので、渡辺直美さんが男性であっても同じ案を出していると思うのだ。

実際本人に聞いた訳ではないので、いい加減な内容ではあるのだが。

ということで、僕は今回の問題は女性蔑視とは思っていない。
ここだけ見ると誤解を招くかもしれないが、ここまで文章を読んでくれたひとなら内容を分かっていただけたのではないだろうか。

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