凡人は天才を超えられないのか?

武術研究家のモノノフです。

同じ努力をし、同じことをしているというなら天才には絶対勝てません。正直努力する天才に凡人は勝てません。そうそして僕は凡人。凡人の中でも少し鈍い方ではないかと自覚している。しかし、

凡人にしか辿り着けない境地がある

と僕は考えている。

それは、できないことを努力することでできるようになるということだ。天才はできてしまっていることが多い。つまり、自分が何ができていて周りが何ができていないからできないのかがわからないのだ。よく、天才はいい指導者にならないと言われるのはこのためだ。努力で気づきあげた凡人は何をしなければいけないかなどをよく分析して練習しているためだ。

誤解のないように言っておきたいのは天才が努力していないわけではない。天才と凡人では努力の種類が違うのだ。天才の場合は身体の使い方ができているので、そのひとに合わせた感覚を大事にした練習をするべきだ。
凡人は徹底的に自己分析をしてから、足りないものを補いつつ、いいところを伸ばすべきだ。ひとによっては徹底的にいいところを伸ばすでもいいと思う。

ちなみに僕が伝統空手の選手だったころ、僕はひどく才能のない選手だった。練習は頑張っていたのでボチボチ成績は残していたが、本当にただそれだけの選手だった。スポーツや武道をしている人は周りにもいるのではないだろうか。よく練習するけど、そこそこの選手。それが僕だ。マラソンなどの個人競技であれば練習すればするだけ伸びるだろう、しかし、対人競技はそうはいかない。低いレベルでは才能の要素が大きく出てしまう。

一応、空手で例え話を進めていくと、いろんなファイトスタイルがあるだろう。しっかり実力のある選手は自分の型に相手を嵌めてしまって戦うとか、自分はここが得意で相手はそこが苦手なので、その部分で戦うとか。

僕は実力があまり芳しくなく動きが鈍重だったので、相手のリズムを崩してズルズル泥試合をするタイプだった。泥試合になったら勝ちがどう転ぶかわからないじゃないかと思うひともいると思うが、ずっとそのファイトスタイルできた僕には泥試合を押し切るキャリアがある。
しかも、敵の分析が得意だったので、試合中にクセを盗んで、読みでも勝てていた。

しかし、このファイトスタイルには欠点がある。相手のリズムを崩す前、クセを読む前にパパッと押し切られる可能性があるのだ。これが僕のそこそこの理由だ。上に上がれば上がるほどこんなもの通用しない。少なくとも、ある程度の実力があって選択肢の一つ程度にしていないと、これは本来メインの戦術になるものではない。

そんなこんなを経て、僕は現役を引退し、達人技など一般的に不思議な技が好きだったので、そういったものの研究をするようになる。自分の仕事の関係もあったが興味が何より興味があった。

僕は才能がなくなにもできないので一つ一つ積み上げていったのだ。何が必要で何が間違っているのか。トライアンドエラーの連続だ。

今は、これは間違い無いだろうという理論に辿り着いたが、それまでにいくつもの理論を捨てている。今の理論に自信はあるが捨てることになるかもしれない可能性は常に自分の中で持っている。

できていなかったからこそできるようになった時にずっと何をすればいいのか何が間違っているのかを分析し続けたのだ。

これが天才が辿り着くことのない凡人の境地だ。

天才はできてしまっているので、何ができるようになったとかが土台の部分がわかっていないことが多い。高いレベルではあると思うが、土台の部分は飛ばしている。その点僕は土台からできていないので、全部積み上げてきた。ここが凡人の境地だ。

好きこそものの上手なれというが、本当にそうなのだろう。僕は選手としてはイマイチ花開くことはなかったが、武術研究では他のひとが明らかに気が付いていないところに気がついている。


モノノフ




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