努力は本当に美しいか?

武術研究家のモノノフです✊

僕は自分の才能の無さに迷い苦しみながら生きてきました。勉強もスポーツも。
ただ、それを僕は努力で割と乗り越えてきました。

しかし、乗り越えられないものも多々ありました。

自分に才能のないことを自覚していた僕は努力というものにこだわってきたのです。むしろ、才能のない自分というのを自覚することによってひとより頑張らないといけないというモチベーションにすることによってなんとかやってきたのです。

ずっと、努力をしてきた僕は思うのです。

努力というものが美しいものであってほしい

と。

ただ、これは個人的な願いであり、実際はそうとは限らないと思っています。

よく自分の中で努力をしたけど、ダメだった時に「あんなに努力したのに!」とか「努力が無駄だった!」というひとがいる。

基本的に努力は裏切らない。
何か間違っているのだ。
おおよそがこの3つ。

・量が足りない
・質が悪い
・方向性を間違っている

自分が間違っているのに何か自分はやるだけやったけど、ダメだった感を出すひとが多いように思う。東大行きたいのに筋トレをしているようなものだ。

僕は努力を意識してきて思うのは努力して結果が出なかったら(もちろん僕も多々ある)、自分の時間配分や方向性が正しかったかフィードバックして、また次の努力に積み重ねるのだ。期限のないものはこれでいいと思う。

しかし、期限内に結果を出す必要があるもので結果が出ないことがある。
このときしてきた努力は無駄なのか?

僕は無駄だと思っている!!!

なぜならその努力はその期限内に結果を出すための努力だったからだ。
努力が本来の目的を果たせていない。
僕は多くを犠牲にしてダメだったこともあった。
そういう時に慰めで周りは言うのだ。

「この努力がいつか足しになることがある。」

と。僕はこの言葉が心底嫌いだ。

優しさで言ってくれていることもわかっているが、
こういうことを言うひとはだいたい表面的な付き合いのひとが多い。
この言葉を言うひとにいつも思うのが、

『いつか足しになることがあるかもしれないが、
それはいつか自分が思うことであって、
今思うことではないし、
ましてや他人に言われることではない!』

と。僕が圧倒的にひねくれているのだろう。
般若心経で『色即是空空即是色』が大事とか言っているのにそこにこだわりがあるせいで自分を苦しめている。

努力は効率よく結果を求めてするものであって、むやみに時間を消費するものではなく、またそれを美化するものでもないのです。

ということで、僕の努力論でした。あまり賛同は得られないとは思うのですが、いいことばっかり言っていいひと面しても仕方ないので、本性を少しずつバラしていきたいと思います。

僕は自分をひどくひねくれているように思う😓

モノノフ

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