見出し画像

ゆるゆるー自分なりの魔法のことばをさがす

お久しぶりです。来週の採用試験に向けて準備をしながら、少し意識していたことをいったん記録として書いておきます。

「がんばる」の代わりになる表現がわからない

あまりにも当たり前になっているこの表現。似ているんだけど少し違うニュアンスを出す、という言葉もなんだかパッと思い浮かばないなぁと。

失業保険をもらえる期間は当然ながら決まっているし、何より働きたくないから辞めたわけではない。心もとないことはあるけれど、基本的には働くなかで得られる経験を積み上げながら生活を楽しく面白することを実行したい私にとって、次に向かって何かを行うことは紛れもなく「がんばる」ことではある。努力とも言い換えられるけれど、普段の会話で言うならやっぱり「がんばる」になる気がする。

ただ、前のように自分が感じている違和感やしんどさを無視してしまおうというつもりは全くない。自分の感情を捉えて、少しでも、前よりは伝わりやすい方法で発信して、助けてもらえるときに助けてもらえるように、フォローをしてもらいながら、私自身も相手のことをフォローできるようにしたい。だから、昔の行動としての「がんばる」と今の私のなかでの「がんばる」のニュアンスはすでに違っている。

自分で「がんばる」と言うのは良いのだけど、事情を知っている友人たちに話をするときには、やはり「無理したらだめだよ」と言われる。ありがたい一方で、もどかしさもある。その気持ちにどの言葉で返すのがぴったりなのかわからないから。

そこで、自分のなかでのニュアンスの違いを表明するために「ゆるゆる」とか「ゆるっと」という言葉を「がんばる」の修飾語としてつけるようになった。自分でも、すこーし肩の力が抜けるような気がしている。

拝啓 終わらせるのが退屈につながると思っていた自分へ

「ゆるっと」を使い始めてできるようになったのが、気合をいれないとはじめられなかった勉強や何かしらの作業。ずっと、一気に終わらせないといけない、という完璧主義からきているのだと思っていたけれど、カウンセラーさんとの話を振り返りながら日々をすごしていると、どうやら「終わらせてしまうこと」への抵抗感が強いというヘンテコな状態に気がついた。

実のところ、やろうと思えばわりとさくさくといろんなことを終わらせられるタイプではある。その結果、まだパソコンをもっていなかった時代、ガラケーだった時代、そしてインターネットや図書館で得られる情報が無限だという実感がなかった時代の私は、何かを終えてしまうと退屈になりそうだと思っていたらしい。
加えて、退屈でなくても何かしら小さな作業や仕事を頼まれがちだった私は、空白の時間ができると、それを何かに埋められてしまいそうな感覚/何かやっていないといけないのではないかという感覚という、退屈とは真逆の感覚もあったのだと思う。
そもそものとりかかりを先延ばしにすること、あるいは、一気に終わらせられないからという建前のもとになんとなく後回しにしてぎりぎりに仕上げることの裏に、そんなよくわらない感覚があった。

だけど、何かを終わらせてできた時間は「余白」扱いをしても良いし「有効活用できるもの」にしても良いし、「贅沢」に使っても良い。そして、今の私はちょっとやそっとのことで完全に「退屈」になってしまうことがないくらい興味の幅は広いし、その興味に対して向かっていけるだけの情報収集力も行動力もある。

だから、安心して、「自分のペース」で動いて良いんだよ、と思えるようになった。

周りから見たら、それは「ゆるゆる」「ゆるっと」という言葉とは程通り、スピード感のある速度での行動にみえるかもしれない。でも、ゆっくりしていても、さくっとしていても、それが自分のペースなのであれば、それはそれで良いのかもしれない。

そんなことをちょっとずつ実感して、ちょっとずつ実行していくことができてきている今日この頃。

採用試験がどうなるかはわからないけれど、準備のなかでこれに気がつけたなら、結果にかかわらず良いことだったな、と思います。
「ゆるゆる」という、魔法みたいな言葉のおかげでみつかった癖を、カウンセラーさんとのやりとりを含めて良い方向に改善していけそうで、嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?