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『精神0』の想田和弘監督に聞く(後編)

「あの場面を撮らずに終えようとしていたのは、ショッキングでした」


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前編(https://note.com/monomono117/n/n94e0cf5f1b1d)よりつづく


 公園に出ていた想田監督とスカイプを通じてインタビューをしていたが、想田さんのノートパソコンの電源が落ちそうになり、あわててアパートに戻っていかれた。後半は、想田さんの背後に映るリビングまわりを見ながら。ときおり人影が映りこむのは、妻でプロデューサーの柏木規与子さんだろう。立ち止まることもなく片付けらしきことをされている。想田さんと会話しながら『精神0』に出てきた、山本先生のご自宅の風景が脳裏をかすめる。


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聞くひと=朝山実
話すひと=想田和弘さん
劇中写真©2020 Laboratory X, Inc


━━では、続きをはじめますね。芳子さんのご友人のところに行かれた意図は何だったんですか?

想田さん(以下、略)  あれは、じつは山本先生の提案だったんですよ。「これでだいたい撮影は終わったとおもいます、ありがとうございました」と言ったら、「もう一軒いかん?」と。芳子さんのお友達のお家に行くから、そこで撮りませんかとご提案をいただいた。そんなことは初めてのこと。「ぜひ」というので一緒にうかがったんですよ。
 そしたら、めちゃくちゃ重要な場面になったということですね。

━━確認なんですが、前作の『精神』では、妻の芳子さんは登場していないですよね。『精神0』の中ではモノクロの映像部分が挿入されていて、昔に撮られたとおもわれる映像があり、まだ若々しい彼女が先生をサポートしている姿が映っている。あれはカラーで撮影したものをモノクロに変えているわけですよね。

 そうです。あれは2007年に『精神』を撮ったときの映像素材なんですが、『精神』では使っていないんですね。

━━じつは気になったので、あらためて『精神』を見直したんですが、やはりないなぁと。

「こらーる岡山」は毎週木曜日は休診日だったんですね。その日になると芳子さんは、患者さんのために昼食をつくっていた。そういうイベントを毎週やられている芳子さんを「撮った」ということはよく覚えていたんです。
 それで『精神0』の最初のラフカットを柏木と一緒に見たときに、「芳子さんのシーンが足りないよ」と言うわけです。僕も、たしかに何か足りないと思ったので昔の映像を見直したら、芳子さんが写っているあの映像が10分くらいあった。最初はカラーのまま使おうとしたんですが、現在と混じってうまくいかないので、白黒に転換することにしたんです。

━━モノクロ映像の活発に立ち回っている姿を見たときに「奥さんは認知症なんだろうか」と思いはじめるんですが。ご友人のお宅を訪ねると、「このひとはね、昔は株とかやっていたのよね」と明るく話すのを、芳子さんがニコニコして聞いている。あそこがよかったですね。
 夫に頼りきっているふうに見える女性が、利発で活発なひとだったというのがわかる。「老い」を知るとともに、ひとりの人生の多面性を知ることもできる。そのあたり、もちろんのこと想田さんは意図して組み込んでいるということですか?

 どの場面を使って、どういう順番にするのかというのは、もちろん意図があります。ただし僕としては、山本先生に促されてギリギリのところで「あれが撮れてよかった」と思う反面、反省もしているんです。
 あの場面から分かるように、山本先生の仕事は芳子さん抜きにはありえなかった。そのことは『精神』撮影時にも薄々気づいていたことではあるんだけれども、『精神0』を撮るまで彼女の存在に光を当てようとはしていなかった。それは僕自身が、どこかしら男性優位の社会の視点に絡めとられているところがあって、先生ひとりに目を奪われていたという状態だったのかもしれない。
 危なかったなぁというか。あとから考えると、あの場面を撮らずに終えようとしていたことじたい、ショッキングでしたね。

━━なるほど。でも、ありがちなことかもしれませんね。

 そう。その話をしたら、柏木から「うちも、そうだろう」と言われました。

━━ハハハハ

 とくに、こういうことは男と女との関係の中では起きがちかなとも思いましたね。

━━それで、ご友人のお宅で撮影を始めたとき、想田さんの後ろにだれか撮影スタッフがいましたよね。おそらく柏木さんだと思いますが、「自分はいないように思ってください」と応えるやりとりがありました。

 そうそう(笑)。柏木がそういうふうに応じる場面ね。あのへんは難しいところでもあって、最近は、僕や柏木が映画の場面に入ってもいいと思ってはいるんですよ。ただ、ときどき絵作りのために「いまはゼッタイ入ってもらいたくない」ということもある。そういうときには、僕はカメラを構えながら「入るな!」と左手で合図を送るんだけど。
 規与子さんからしたら、僕が何を撮ろうとしているのか百㌫わかるわけではないので「ここで入っていいのか、いけないのか」がわからない。そういう迷いがあるものだから、「ここに自分はいません」というふうにしたほうがいいとなりがちで、それがあの場面になったと思うんです。
 たとえば『港町』のときも、けっこう彼女が映画の中でしゃべっていたりするんでしょう。ところが本人としては、今しゃべっていいのか悪いのか迷いながらしゃべっているらしく、ふだんのしゃべり方とちがっているから「見ていて気持ちわるい」とか言うんですよね。

━━面白いのは、そういうドタバタとした場面をカットせずに、そのまま使っていること。撮影の臨場感が伝わってくるのと「背後にもう一人いるんだ」という撮影体制も自然とうかがい知ることができました。

 なぜ切らなかったのかと言えば、柏木の痕跡をこの映画の中に残しておきたかったというのはあるんです。
 じつは、今回は急に撮影が始まったので、柏木はニューヨークにいて、最初のほうの撮影には立ち会っていなかったんですね。唯一現場にいたのが、あのお友達の家を訪問する場面だけ。それ以外はずっと僕ひとりで撮っていたんです。
 だから、あの場面を外すと柏木の痕跡がなくなる。それもあって、残しておきたかったというか。あの場面、面白いのは、スエキさんというお友達も、映画に出るということをすごく意識されていて、ソファのクッションを山本先生と芳子さんにすすめ、山本先生が芳子さんに渡そうするんだけど、結局自分のクッションにしちゃう。そういうおかしなやりとりが間にあって、この流れをくずしたくないとかいうのもありました。

━━なるほど、いろいろやりとりに臨場感があってよかったですよ。山本先生のご自宅の場面はハラハラしながらだったですけど、一転して、スエキさんが芳子さんの嫁姑事情について話し出す。なるほどなぁというか、昔はどこの家にも家族制度ならではのそういう出来事があったんだなぁというのがわかる。夫婦の暮らしぶりの一端を知ることができましたし。
 それで、最後にこれはツマラナイ質問なんですが、今回もノラ猫が出てきますよね。あの猫は厳選した一匹だったんですか?(じつは、今回もっとも聞きたかったことでもある)

 選んだりはしていないです。たまたま出会った猫ですよ。

━━ずっとカメラが診療所の近くを歩く猫を追っていくので、自然とこちらも目で追うわけですが。「そうそう、想田さんの映画にはノラ猫はつきものだなぁ」と見ていると、右足がほんのちょっと曲がっている。歩き方もちょっとおかしい。この映画は「老い」をテーマにしていると思ったときに、あの老齢らしき猫が現われ、やがて隠れてしまう。意味深だなぁと思いました。偶然ならシメタと思ったのでしょうか?

 じつは「かなり年をとっているなぁ」と思ったのは編集のときで、撮っている最中は「悠々としていて面白い猫だな」と。僕らのことを嫌なんだけど、逃げているのを隠すようにしている。「見栄っ張りな猫だなぁ」と思って見ていたんです。
 それで編集中に何度も見ていると、あきらかに高齢で、最初はお腹に子供がいるのかなぁと思ったんだけど、そういう年齢じゃないし、病気を抱えていたんじゃないか。それでも悠々としている。飄々として生きている。偶然だけど、山本先生や芳子さん、患者さんたちとも重なる部分を感じて、これはあまりにも出来過ぎかなぁと(笑)。

━━ただ通り過ぎてゆくあの猫がテーマを物語っているようで、いい場面だと思いました。ほかにも猫は撮ったんですか?

 いや、撮っていないです。探しはしたんですが。
 あの場面を撮ったときには柏木もいたんですが、「いゃあ、今回の映画のベストショットを撮れたね」と言われ、えっ!?となったんですよね(笑)。

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━━では、想田さん自身が考えるベストショットはどこなんですか?

 そうだなぁ……。ベストと問われると困るんですが、ラストの場面(急坂にある墓地に墓参りにふたりで行かれる)は僕自身、めちゃくちゃ心を動かされていますね。ほとんど、山本先生と芳子さん、おふたりの「人生の縮図」があると思ったし、生きるというのはこういうことだとも感じる場面でした。だから、これ以外にはないというショットで終えている自負はありますね。

━━わかりました。ありがとうございます。

 OKですか。

「はい」と答えると、フレームの脇から手をふって柏木さんがあらわれた。何度か「らしき姿」が想田さんの後ろを横切るのが見えていたと言うと、「映らないようにはしているんですけどね」と柏木さん。想田さんも「まさに入ってよいのか悪いのか、ということですよね」。
 そういえば、同様にスカイプを使って、おふたりには「夫婦対談」を「週刊朝日」の企画でやってもらったことがあった。ファイルを探し出すと『牡蠣工場』の公開のころだ(2016年4/22号掲載 
https://dot.asahi.com/wa/2016041500103.html?page=1)
 ニューヨークの柏木さんと、東京にいる想田さんとでパソコン越しに対話してもらう。連載史上初めての試みだったが、食い違う馴れ初めの逸話からお互いに日ごろ思うことを吐き出してもらえ異色の誌面になった。
 インタビューを終え「どうも」とふたりが手をふっている。さて。どういうタイミングでスイッチを切ればいいものか……。
 ふだんの取材ならICレコーダーとノートを鞄に仕舞い、あとは部屋を出ていく。だが、手を振る相手を見ながらスイッチを切るのは失礼かと思うと、なかなか発車しない新幹線ホームの風景が頭をかすめた。みんな、どうやって終えているのだろうか……。

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 ところで『精神0』は5/2(土)から「仮説の映画館」で観ることができます。本来は劇場のスクリーンで公開するはずだったものを、コロナの影響で全国のミニシアターが休館中とあり、配給会社「東風」と劇場と製作サイドの三者が協力、インターネットの世界に「劇場」をつくりあげるという試み。ユニークなのは、お客さんが好みの劇場(全国30館以上)を選べば「その劇場の客席」にいるかのようにして観られ、入場料も三者に配分されるというもの。こんな時期だから助け合おうという精神がイイ。それで前編を読まれた海外で暮らすひとから映画を観たというコメントをもらい、今回の「仮設の映画館」のよさは国境がないことだなとおもいました。
詳しくはコチラを👉http://www.temporary-cinema.jp/


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