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観客が手助けしたくなるドキュメンタリー映画。『精神0』の想田和弘監督に聞く

「いちばん大事なことは、聞かずにすませたい」


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 4月中旬。「きょうは天気がいいので近くの公園にいます」という想田さんと、パソコン上でスカイプをつかい、まごまごしながらインタビューを始めた。自宅にいるわたしにとっては初スカイプで、操作がうまくいかず、配給会社「東風」のひとにナビをしてもらいながら。三者がそれぞれ別の場所にいて、会わずに画面だけで話をするというのは妙なものだ。これがスムーズにいきはじめると、「わざわざ会いに行き、対話する」というインタビューのやり方や意味も変わっていきそうだ。
 聞きたかったのは、「観察映画」で知られる想田和弘監督の最新作『精神0』のいくつかの場面について。2008年公開の『精神』は、岡山県内の木造造りの小さな診療所(入院施設をもたず患者は通院していた。待合室など味のある空間が印象に残っている)を舞台にしたドキュメンタリーで、患者さんたちは全員モザイクなしで登場し、カメラを前に自身の病歴を含めた人生の断片を語りだす。様々な患者が入れ替わり立ちかわりあらわれ、彼ら彼女たちを診察、それも一人ひとり何十分も話に耳を傾けていたのが、70代の山本昌知医師だった。
 その山本医師が引退(撮影時82歳)するというのを聞きつけた想田監督が、急遽カメラを携え、岡山に向かった。そこで見たものは……という作品だ。

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聞くひと=朝山実
話すひと=想田和弘さん
劇中写真©2020 Laboratory X, Inc


━━前作「精神」を観たのは十年くらい昔なので、だいぶ忘れていたところはあるんですが、今回『精神0』を観て軽いショックを覚えました。それは山本先生が働く診療所の様子がずいぶん変わっていたことです。以前は、たくさんの患者さんの溜まり場のようになっていてワチャワチャとした賑わいがあったのに、ひっそりと静まりかえっている。診療所じたいに変化があったのでしょうか?

想田さん(以下、略) 鋭いですね。じつは、まず経営母体が変わったんですね。今回撮影に入った2018年当時、すでに「こらーる岡山」は閉じ「大和診療所」が引き継いでいました。山本先生は大和診療所で診療を続けていたんだけど、それもお辞めになるというので撮影に入ったという経緯になります。
 ですから、診療所の建物は同じものではあるんですが、待合室の使い方も変わっていたので、雰囲気も前作を撮った頃とはすいぶん変わり、スタッフも変わっています。

━━患者さんたちの顔ぶれはどうなんでしょう?

 山本先生の診察を受けられていた患者さんの大半は、そのまま大和診療所に移られたと思います。

━━なるほど。これは想田監督のドキュメンタリー作品の特色ですが、そういう事情を明かさずに場面が展開していく。前作の記憶があるぶん「何があったの?」と驚かされるわけですよね。子供の頃にいった親戚の家を訪れる感覚というか。

 はい、わかります。

━━だから、頭の中はグラグラしながら観ていました。

 そのへんは僕も、最初テロップで説明しようかと思ったんですが、でも、無しでいいかと(笑)。そこが主眼ではないし。先生がずっと診察を続けてこられたのを辞めて、まったく別の生活を始められるというのが僕にとってのポイントで。経営母体が変わったという経緯は、知りたいひとは、たとえばこういう形で知ってもらえたらいいかと。

━━想田さんらしいですね。そうした「事実経過」を伝えることは重要ではないということですか?

 たしかに「ドキュメンタリーとは情報を伝えるものだ」という考え方からすると、そこは欠かせないものだとは思うんです。でも、僕はそういうことにあまり興味はなくて、今回の映画で言えば人間関係のあり方や老い、死とか、お別れとか、そういうものに対する向き合い方、社会の姿に興味が向くんですよ。
 テロップも作りかけはしたんですが、柏木(規与子・プロデューサーで妻でもある)が作りかけのテロップを見ながら、「そんなの要らないんじゃない?」と言うのでやめてしまったんです。

━━想田さんもそうですが、柏木さんも相変わらずですね。

 そうそう(笑)。

━━それで今回、観た印象としてつよく残ったのは、山本先生がやめられるということから起きる患者さんたちのパニック。口々に訴える不安を、先生が診察室で耳を傾けている。この場面がけっこうロングで、患者さんたちの訴えから、医療全般がどんどんシステム化し「患者の顔を見ずにパソコンを打ち込む」診療のやり方、何時間も待ったあげくに「診察は3分もない」では何も話せないと患者さんが訴える。どうしたらいいのかと。
 山本先生は、引継ぎの医師を「いい先生だから」と言うけれど、わたしも、この不安はわかるというふう観ていました。そこで感じたのは、山本先生の「代わり」はいないし、患者さん一人ひとりもまた「固有の存在」なのだということです。

 おっしゃるとおりですね。「取替え」がきかない。なんというか、あらゆる人間関係がそうなんでしょうね。
 自分の親とか配偶者、子供、友人。このへんまでは、ふつうに「かけがえのない存在」だという実感を誰しもがもっているんでしょうけど、本当はその範囲はもっと広いというか。
 とくに精神科の医療となると全人的な関係になってきて、山本先生は、患者さんにとっては命綱のような存在ですから。患者さん一人ひとりにしてみたら、これは人生上の危機ですよね。その危機に僕は立ち合わせてもらっているのだという感覚を今回僕は、撮影中に抱いていました。

━━わたしは、じつは歯医者さんが苦手で、転居を繰り返すたび同じ歯医者さんを頼って、いちばん遠いときは片道2時間くらいかけていた。だから患者さんの気持ちはわかるというか。最近、その歯科医の先生が老けてきたのをみると、不安だなぁと。

 歯医者さんでそうなんだからね。「3分くらいしか診てくれない」と言っていた患者さんのシーンで面白いのは、その話を延々10分くらいしていて、それを山本先生は遮らずに聞いているというところなんですよね。

━━そういう患者さんと先生との診察室でのやりとりを撮りながら、想田さん自身は、どういうことを考えているんですか?

 患者さんにもよりますけど、みなさん、先生に会うのは「今日が最後かもしれない」と思って来られているわけです。今生の別れのような、特別な時間に自分はカメラを構えさせてもらっている。そうした、のっぴきならないものをずっと感じていて。恋人同士の別れ話の場面のように見えることもありました。「もう会えないんですか」という言葉には。
 他者同士がそういう場面に直面しているときに第三者が立ち会うということは、普通はないことですから、不思議な感覚でしたね。先生は高齢とはいえ、まだまだお元気なんだけど。
 これは人間の根源的な苦しみのひとつでもある。老いがあり、死がある。そのために別れがおきる。「愛別離苦」という言葉がありますが、じつは僕も涙をこらえながら撮っている場面もありました。

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━━それで、なぜ先生が診療所をやめると決めたのか。老いもあるのでしょうけど、映画の中で言明はありませんよね。理由があきらかではないのだけど、先生の奥さんが映りこみ、どうもお加減がよくないようだ。わたしはいつもそうなんですが、映画の試写にあたりリーフレットも読まないので、どこかで事情が語られるのかと思っていたら、待てどもまったくその気配もない。
 それで、突然、先生のご自宅を一緒に訪問する映像になる。あの場面、意図を教えてもらえますか?

 山本先生が診察をされているときには、医者として、ひとに助けを与える人なんですよね。その方が診療所から一歩外に出てしまうと、ひとりの高齢者でしかない。むしろ、周囲の助けを必要とする存在なんですよね。そのことに僕は愕然とするわけです。(年齢からいえば)当たり前なんだけど。
 あれだけ頼れる存在だったひとが、百メートル歩くのさえ難儀をする。これから先生と芳子さんはどういうふうに時間をすごしていくのだろうか。
 そこに映画のひとつの焦点がくるんじゃないかという予感はしてきたので、一度は先生のお家におじゃましないといけないとは思っていた。ただ、行くと先生が僕をもてなそうとしてくれる。観ていただければおわかりでしょうが、お茶ひとつを淹れるのにも一大プロジェクトで、結局アクエリアス(ペットボトルの)になってしまう。
 これはもう何度もおじゃまするというのは、負担をかけてしまう。「今日一日だけだな」と思った。実際あの一日だけなんですよ、おじゃましたのは。
 でも、うかがってよかったと思います。先生と芳子さんがお家の中でどのように過ごされているのか。キッチンの様子から、山本先生は、家事は芳子さんに任せておられたんだなというのはわかるし。そういう山本先生を芳子さんが助けたがっている。きわめて日常的な時間なんだけど、いろんなことがわかるでしょう?

━━たしかに。見ていて驚いたのは、ダイニングキッチンの大きなテーブルの上に、物があふれていたこと。頂き物らしいお菓子の包み袋だとかがそのまま。一目で、家事をとりしきるひとがいないことがわかる。流しに食器がそのままになっているし。見方によっては残酷なくらい、暮らしが破綻しかけている状況をカメラがとらえていて、飲み物を注ぐためにコップを三つ出そうとするんだけど、あちこち探して、ようやく戸棚から見つけだした、その三つがバラバラのグラス。
 些細なことだけど、そうした様子から、妻の状態が思わしくないから医師の仕事をやめる決断をしたのだろうと察知させられるんですね。

 でも、山本先生は、そうして時間はかかるんだけど、最終的にやりとげられる。僕だったら途中であきらめそうなんだけど、そこはすごいなぁと見ていました。

━━想田さんらしいと思ったシーンがありました。先生がもてなしにお酒を振舞おうとして、でもシャンパンの王冠のようにして留められているものだから、不慣れで開けるのに苦労する。それを手助けすることもなく、想田さんは、芳子さんに振ったりしながらカメラを山本先生に向けている。

 どなたかが、あの場面を見て「容赦がない」と言われましたね。たしかにそうかもしれない(笑)。
 でも、さっきも言ったようにチャンスは今日だけだと思いながら撮っていたので、ここで手助けをしてしまうと、おふたりがどんな生活をされているのか。二度と撮らせてもらうチャンスはなくなってしまう。だから、あのへんは心を鬼にしていたんです。
 ほんとうは、お皿だって洗ってしまいたかったんだけど。ぐっと堪えていた。
 
━━それで、ご夫婦の暮らしは掴めはしたわけですが、取材者であれば、自宅を訪ねたのだから「何か聞くのだろう」と思いながら観ていたら、最後まで何一つ質問をしないんですね。

 何も聞かなくても、だいたいわかるかなと。ただ、僕自身は、そこにいないかのようには振舞ってはいなかったでしょう。

━━存在じたいはあきらかなんだけど、取材者ならばするだろうやりとりはゼロ。そこが取材を仕事とする立場の目からすると、まあ、すごいなぁと。

 ああ、でも質問は、いま聞かなければいけないと思うことがなかった。たとえば、何で引退されるのか。アサヤマさんは説明が出てこないと言われたけれど、じつは僕自身、聞いていないんですよ。だから、わからないんです。本当のところは。

━━ハハハハ。まったく想田さんだわ。

 だけど、見ていればだいたい想像はつくし、先生がお答えになったとしても、ぜんぶを網羅したものだとも言えないかもしれない。なにより僕自身は、いちばん大事なことは聞かずにすませたいタイプだから。ハハハハ。あえて質問せずに、想像するのにとどめておくのがいいんじゃないかというのはありますね。
 聞けば、先生が雄弁に何かを語ってくださったかもしれない。それでわかった気になるのも「どうかなぁ」というのもありますし。それは、ふだんの生活でもそうで、いちばん大事なことは聞きにくいというのはあるでしょう。聞かなくとも、だいたいは想像がつくというのも。そのへんの加減でちょうどいいのかなぁという気がしています。

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━━つまり、質問しないかわりに撮りつづけたということですか?

 そうですね。説明よりも「時間を共有する」ことのほうが大事なんじゃないかなという気がしていて。実際、映画をごらんになったひとたちは、いっこうに僕が助けようとしないものだから「自分が何とかしたくなった」とおっしゃるひとが多くて(笑)。
 あと、お墓参りをする場面(険しい山の一角にある)では「おふたりが転ばないか、ハラハラした」という。そういう感想を言ってくださるひとが多いんですけど。そういうふうに気持ちを共有する、それができていたら映画として十分だと思っています。

━━おそらく、じつは想田さんは、そういうふうにお答えになるんじゃないかと思いながら質問したんですけどね。

 アハハハ。読まれてしまっていたか。

━━ただ、わたしは想田さんと違い、「そうかもしれない」と思うことも一度聞いてみようとする。最終的に書くことを仕事にしている生理なんだとおもいます。映像だと、観客の個々人が、表情とか、まわりの様子などの微妙な要素から「答え」を探りだすことは可能だけど、文章は書き手の眼や「主観」が大きく作用しすぎる。想像力に託すことも大切だけれど、そこは言葉のやりとりはしたいというのもあるから。

 でも、いまの僕の答えもウソかもしれないですよ(笑)

━━それでも、いいんですよ(笑)。そう答えたという事実は確かに残るわけだから。

 そうですね。

━━それで、あのご自宅の場面で、いいなと思ったのは、山本先生から「こんなことは、めったにねぇけぇ」とお酒をすすめられますよね。「車で来たから」と辞退していた想田さんが、押し切られてしまう。三人で乾杯となり、映像はそこでカット。「ここからだろう」というところで別の日に場面転換してしまうんですよね。

 ハハハハ。そうですよね。あのへんは小津映画でさんざん結婚のことを話題にしてきて、結婚までの過程を撮りながらも結婚式じたいは見せない。あれと同じ呼吸だと思ってもらえたら。

━━小津安二郎ですか(笑)。では、あの乾杯以降も、カメラは回していたんですか?

 回していました。ただ、ふつうに飯を食っているだけ。寿司を注文し、届けてもらい、吸い物のお椀を先生が探す。準備するところほどは面白くはないので、「はい乾杯」でサッと終えたほうが想像を掻き立てるんじゃないか、そのほうがきれいだと思った。

━━つぶさにカメラを構えた「支度をするところ」までが本質だということですか?

 そうですね。そっちからわかることが多いし、重要だと思いました。

━━言われるように確かに、なんでもないことなのに、ハラハラしながら観ました。

 ありがとうございます。

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━━それで、別の日に、奥さんのご友人のお宅を訪ねていきますよね。あれは、妻である芳子さんのことを理解しないといけないということですか。

 あっ、ちょっと待ってください。パソコンの電源があと6㌫しかなくなってきた。すぐ移動して、アパートに戻ります。

「いいですか。ごめんなさい」という言葉でスカイプは切れた。前半はここまで。後編に続く(https://note.com/monomono117/n/n9fa4ba65e74f)

タイトル部分のノラは重要な映画にとって意味をもつ存在で後半にその話が出てきます。

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『精神0』2020年月5月2日(土)より〔仮設の映画館〕👇 http://www.temporary-cinema.jp/ にてデジタル配信、ほか全国順次公開
監督・製作・撮影・編集:想田和弘 製作:柏木規与子
製作会社:Laboratory X, Inc 配給:東風
2020年/日本・アメリカ/128分/カラー・モノクロ/DCP/英題:Zero




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