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『お弔いの現場人』を書くのに役立った本たち③『退屈をあげる』

『お弔いの現場人 ルポ葬儀とその周辺を見にいく』という本が中央公論社から出ました。若い女性の納棺師さんをインタビューしたり、霊柩車の工場を見学したりしました。お母さんが使っていたベッドを仏壇に作りかえたひとにも、実家の遺品整理をしたひとたちにも話を聞きました。下書きにあたる記事の一部はいまもnoteに掲載してありますので、ご興味をもっていただけましたらそちらをお探しいただけるとうれしいです。

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 さて。前回に続き『お弔いの現場人』の巻末にあげた「本書を書くのに役立った本たち」の紹介の3冊めは、『退屈をあげる』(青土社)。著者の坂本千明さんは、『お弔いの現場人』でも登場します。本業はイラストレーターで、『退屈をあげる』という猫の絵版画集のほかにも絵本『おべんとう たべたいな』(岩崎書店)を出されたりしています。
 拙著の『お弔いの現場』にどうして登場するのか? 坂本さんを知る人だと、疑問におもわれるひともいらっしゃるでしょう。
 わたしが坂本さんのことを知ったのは、uzuraという夫婦でオーダーメイドの靴屋をされているひとたちの展示会に行く途中、見かけた本屋さんで黒猫の版画カードを買ってからで、その猫が主人公の『退屈をあげる』の青土社版(私家版をもとにした新版)が出たのを知ったときに急いで買ったんです。きっとこの猫(玄関に飾っている)の由来がわかるだろう、と。それで、びっくりしたのを覚えています。

 なんとなくノラを拾ったというのは想像していたけれど(面構えからして)声はダミだし、甘噛みを知らないものだからガブッと手をかまれ手は傷だけになるわ、ねこじゃらしになんぞは知らんぷり。ちょっとした問題児だったらしい。それでも、飼うと決め、しかもノラが長かったためなのか病気もちで手がかかる。ちょっとメンドーなヤツ(寝そべって目をほそめたツラはフテブテしい)なんだけれど、坂本さんの版画は憎らしいほど気を惹かれる。いつまでも見ていられる。

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『退屈をあげる』の巻末のあとがき(すごく感情を抑えたエッセイ)を読むと、雨の日に当時暮らしていたマンションの集合ポストの隅で雨避けをしていたガリガリの仔猫を見つけた様子、そこから飼うと決め猫のために転居、さらに猫が増えたりする経過が綴られていて、それが版画で描かれる本文のクロネコの表情と重なってきて、で、何度も読み返すことになりました。

 昔、仔猫を拾って家に連れ帰りながら「ペット禁止」ということで元のところに戻しにいったことがあり、そのときのことが蘇ったりしました。もう30年ちかく前、大阪で暮らしていたころのことです。出勤するときに目が合うと甘えて寄ってこられ、飼えないものだからシカトをしていた。近隣でほかにも気にかかっていたひとがいて、抱き上げられているのを目にし、数日後には目があってもそっぽを向かれ、いつしか見かけなくなったけれど。うしろめたさとともがこみ上げる本でもあって。
 で、なんでインタビューしたのかという話ですが、『退屈をあげる』のこのクロネコのことをもっと知りたいとおもい、坂本さんの昔のブログを見つけて、ぽつりぽつりと読んでいたんです。本の中では短くまとめられていたクロネコのことが詳しくわかると、猫に対する坂本さんの関わり具合がわかり、治療のために病院を何軒も変わっていくなど、とても大事にされ、猫も猫らしく気ままにマイペースで生活している。ちなみに『退屈をあげる』は猫目線で、突如現れた飼い主の坂本さんは「二つの手(傷だらけ)」で登場するだけ。

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 なんといっても猫を飼うために自分たちが新たに家を探し、引っ越ししするというのがすごい。あのときの自分にはその発想はなかったから。
 そんなこんなで、「今日もマウスで5分」というブログを読むうちに、クロネコの看取りのところでペースダウンしたものの、その後もブログ読みは続き、青森の実家の両親の介護なとで帰省する話が出てくるようになり、遺品整理の話になっていきました。ある家族の歴史を盗み見するような感覚にもなりました。
 一日一日の出来事がどことなく軽妙に書かれ、尚且つ、タイトルのイラストが毎回コミカル(『退屈をあげる』の紙版画とはまったくタッチが異なるので、同じ作家の作品だと脳内で合致しない)で、とくに新幹線に乗って実家に通勤(としかいいようのない頻度)して介護、看取り、郷里の友人や親戚とのやりとり、そして実家の片付けに至る経緯が長編小説を読むようで、これは一度会って話を聞いてみたくなり、今回拙著の中に登場してもらうことになりました。

 それで今回は「遺品整理」のことに絞って話を聞いた結果、坂本さんのファンの人たちなら知りたいであろう猫たちのことや、創作の舞台裏のことはほとんど出てこない。あっ、すこしだけ青森に長期滞在することになり紙版画の印刷機械を買ったりしたことなど、「通勤」生活のやりくりは語ってもらっています。それは時間的に「楳」というクロネコを主人公にした紙版画をはじめて制作していくのと重なっていました。

 インタビューは主に、遠方の実家の片付けをどうしたのか。ご両親が暮らした家を整理するのに坂本さんは、専門業者を頼らずセルフでやることに。お母さんは習い事の先生をしていたこともあり、道具や衣装の量は多く、その処分。実家の車を使って大型ゴミなどを処分場に運んだり、うっそうと伸び茂る庭の草刈りに追われたり。そういうこまごまとした体験談を語ってもらいました。お父さんが隠していた結婚前の元カノのアルバムが出てきたこととか、そうそう「お墓」の問題とかも。
 同じ章では、もうひとり、「孤独死」ではないですが、遠縁のご親戚の遺品整理をされたひとの体験談も載せています。ちかごろ話題になることの多い問題ですが、「遺品整理」と大括りにされることも、ひとがちがえば事情も異なるものだとおもいました。そうしたこともあり、別の章では遺品整理を仕事にしている人に会いにいくことになるのですが……。
 次回はメレ山メレ子『メメントモリ・ジャーニー』の予定です。

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