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食べる顔。


『ひるけ』(木楽舎)は、お弁当を食べるところを写した写真集で、「おべんとうの時間」シリーズの撮影をしてきた写真家・阿部了さんの作品だ。

『おべんとうの時間』のほうには、取材を受けたひとのモノローグが入っているが、こちらは写真だけ。巻末のIndexに、被写体の名前と職業と撮影場所などの表記はあるものの、めくっている最中はそうした文字情報はない。
 だから、このひと、どんな仕事をしているひとなんだろう……じっと眺め、想像を働かせる。

 巻頭にある、おにぎりを手にする男性。

 
 服の感じから、
 大工の棟梁かな? 
 顔貌は、
 理系の研究者かな、とか。 
 

 正解は酪農家で、牛の乳を集める仕事だそうだ。

 場所は、幼稚園だろうな。
 三人がけの席の端っこにすわっている男の子が、お弁当のフタを手にしながら、片方の指を唇につけ、弁当箱の中を覗いている。

 ン、どうしたんだろう? 




 
 みんな、もくもくと食べている。
 テレビを見ながら食べているひと。
 パソコンのディスプレイを見ながら、箸を動かすひと。




 
 青い作業着から建築関係かと推理した、凛々しい顔つきの男性は、鹿児島の宇宙空間観測所の職員さんだった。
 思いきり前かがみの姿勢は、京都の茅葺き職人さん。 

「おべんとうの時間」のほうは、お弁当が主役の感があるが、こちらは表情がポイントになっている。
 なかでも、目。箸を手にしながら、視線が何かをとらえている。
 ぼんやりとだったり、一点を見つめていたり。

 いったいどんな仕事なんだろうか?
 いちばんわからなかったのは、このひと(右頁)。

 
 職場のグループで食べるひと。ひとり部屋で食べるひと。
 ここまで近づきますか、というくらいカメラを近づけで撮ったものもあれは、背景から職場の様子がつかめるものなど、いろいろ。
 なんだかよくわからないが、職業は何だろうと推理しながら一回、二回と読むんだけど、見ているのが楽しい。あきない。

 目を閉じていたさっきの男性は、芸術大学の教授でした。音楽に聴き入っていたところらしい。たぶん『おべんとうの時間』を探すと、このひとの話が読めるのだろうから探してみよう。



 表情といえば、このところのお気に入りの絵本が『あめだま』(訳・長谷川義史/プロンズ新社)。

 いつも老犬をひきつれ公園で、ひとりでピー玉遊びとかしている男の子の話。すごいのは、作者のペク・ヒナさんはこの絵本の、ひとつひとつの場面にあわせて人形を作っていること。でもって、一瞬の表情がすばらしい。

 ある日、主人公の少年が、玩具屋なのか駄菓子屋なのかで、ビー玉のかたちをした、きれいな飴を買った。
 その飴を口に入れると、部屋のソファが話し出すのを耳にしてしまう。

「きみのパパにや…、
おならせんといて……」

 そういうといてくれ、という。長谷川さんの翻訳が関西弁になっている(笑)。

 
 ソファがしゃべっているゾ!!

 口をあんぐりとあけた顔が、ほんとうにびっくりした表情で、これはもう絵じゃなくて、人形でないと面白みは伝わらないだろうなぁというもの。でもって、かわいい。


 もうひとつ食べたら、今度はいつも一緒にいる老犬のぼやきが聞こえてくる。
 あくびをしたり、後ろ足で首をかくときのしぐさがまたリアルで、めちゃいい。


 この絵本、表紙の裏にまで話が続いていて、彼は父親とふたり暮らしらしい。なぜ父子家庭なのかの事情はいっさい描かれていないのだけど、「あめだま」をきっかけにして、誰にも話しかけたりしないコドモだったのが、自分から離しかけてみようとする。気持ちの変化が、表情から伝わってくる。



 ワタシの仕事は、インタビューして文章にすることだが、この職業につくまでほとんど人と話すこともなかった。人と接するのが苦手なのはいまもそうだか、人に「会い」、話を「聞く」ということの繰り返しは自身を海に-放り込むようなもので、溺れそうになりながらも続けていくうちに、人と接するのは苦手ではあるけれども「嫌い」ではなくなってきた。20年くらいはかかったけど。だから『あめだま』の〈ぼく〉には親近感がわく。



 その後の展開が、奥付のあとに描かれている。
 映画でいうなら、エンドロールのあとに「おお!!」というシーンが登場するかんじ。むかしのトモダチの顔がふと思いうかんだりした。



「顔」というと、鬼海弘雄さんをあげておきたい。写真を見るには大判の写真集『PERSONA』がいいが、ちくま文庫の『世間のひと』だとめぐりやすいし、価格も手ごろだ。

 東京・上野、浅草寺の境内にやってくる人たちに声をかけ、簡単な会話をしながらポートレイトを撮る。

 40年間に約1000人を撮影してきた中から80人を選んでいるのだが、むかし渋谷ジァンジァンで見たイッセー尾形の都市生活カタログのように、平凡ながら濃厚なひとたちが立っている。

 本棚からひっぱり出して広げるたび、探すのは先年他界した父親そっくりの顔をしたおじさん。ほかのものには付箋をしていたりするのだが、その頁には付けてないものだから、いつもパラパラと全体を見ることになる。

 半裸にウェスタンの帽子をかぶった壮年男性。
 映画の脇役でよく目にした俳優にそっくり、鼻の下にチャップリン髭をはやした「行政書士」さん。
 鞄を肩にかけ、姿勢が斜めになった「四個の時計をする男」。売れっ子の脚本家をつい連想させる男……とめくっていくうちに、このひとだ。
「野菜市場の片付けが仕事だという人」というキャプションがついている。

 レジ袋を提げた直立姿勢が晩年の父そっくりで、父の面影をかさねて見てしまう。


 どの肖像写真も、姿勢にどこかしらちょっとしたゆがみがあって、そういえばイッセーさんが演じたキャラクターも、独特なゆがみに着目しながら、チャーミングに市井のひとたちを演じていたなぁと思う(初期の観客の中には蔑視だと怒り出す観客もいたとそうだが)。


 大判の写真集の右頁は、見るたびに「山ちゃん」の愛称でシリーズキャラクターになっていたサラリーマンの山中くんに思えてならない。
 彼はいまどうしているのだろうか。
 バブルの頃、深夜にタクシーがつかまらず、時間つぶしにビルの隙間に潜り込んで、抜け出せなくなる。「ヘイ、タクシー!!」は有名なもちネタだったが、わたしは後年の作品でカラスを拾った話が好きだったりする。
 山ちゃん、定年まで勤め上げることはできたのか。いつか「その後の山中くん」を、舞台で見たいものだ。


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