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檀家廃止と「長屋寺院」

お寺にとっては切ってもきれない「檀家」制度を廃止し、信徒が集う「会員」制のお寺へ。「お布施」の明朗化、「収支決算」公表など大改革を行う「仏教界の異端児」住職に話を聞きました。

聞き手=朝山実(撮影も)


 あらわれたのは、すっ、と背筋の伸びたお坊さんだ。
 埼玉県熊谷市の曹洞宗・見性院(けんしょういん)住職の橋本英樹(えいじゅ)さんは、「仏教界の異端児」として知られる存在。寺院を訪ねたのは今年の5月のことだ。

 ネット検索で「見性院」と打ち込むと、「みんなのお寺」という公式ホームページが出てくる。インターネットを活用し、住職のコラムを発信するだけでなく、境内の風景もパノラマ画像で見られるなど、お寺らしからぬ充実ぶりだ。
 橋本さんの顔写真を拝見すると、歌舞伎役者のように眼光鋭く、ちょっとおっかなそう。歴史を重んじる仏教界の中にありながら、「遺骨」の宅配供養、「檀家」制度の廃止など、次々と思い切った改革を実践してきた。
 いったいどういう人なのだろう? というのが今回のインタビューだ。

「これ(送骨サービス)を始めるときには迷いましたが、やってよかったと思っています」(橋本住職、以下同)

 送骨サービスというのは、希望者が遺骨を「ゆうパック」で寺院に送ると、永代供養してもらえる。橋本住職が始めたのは2013年から。
 流れを説明すると、申し込むとダンボールの郵送キットが送付されてくる。キット込みの料金は3万5千円。依頼者は、届いた箱に遺骨を納めて返送するだけ。寺院の敷地内の納骨墓での共同納骨となるが、その後の管理料金などは一切ナシ。
 本当に、この料金ポッキリ? と念押ししたくなるくらい、近年増えているビル内の「永代供養墓」と比較しても破格に安価だ。
 反響は大きく、利用したいという問い合わせがある一方で「けしからん!」と批判を浴びもした。わたしも何かの記事で知ったときは「ゆうパック」というモダンさに、お寺もドライになったものだという感想をもった。

 ただし、調べてみると簡易さを優先してサービスを始めたわけではない。故人に遠縁の親戚しかないなど「行き場のない遺骨」の相談を受け、引き取り供養するようになった。当初は出向いていっていたが、遠方からの問い合わせも出てくるに及んで、現在の形式に至ったという。
 ちなみに、ゆうパック以外の宅配便では規制上、遺骨を送ることはできない。送り状の品名欄には「遺骨」と記すことになる。

「数は少なくなりましたが、それでも月に10から15はあります」

 インタビューの前に、境内にある共同供養墓を見せてもらったが、新鮮な供花に囲まれていた。墓参に訪れる人が多いということだろう。
「送骨」と聞き、侘しいものを想起しがちだが、実際に目にすると印象は大きく異なる。のちに寺院を訪ねてくる遺族や、法要を頼まれることも「数は多くはないですが、あります」と聞き、すこし安堵した。

──送骨だけでも年間100を超える数になりますよね。今後も増え続けていって、大丈夫なんでしょうか?

「これは先代に先見があったんでしょうね。永代供養塔の下が納骨堂になっていて、まだまだ置けるスペースがあります。さらに今年中には新しい納骨堂ができる予定で、500柱は入るようになっています」

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 ちなみに「永代供養墓」には、年数を限って個別に納骨した後、共同埋葬することも選択可能だという。期間によって供養料は異なるが、細かな料金はホームページなどで紹介している。「墓誌」に故人の名前が刻まれるので、「ニュータウン」に住まう感覚にちかい。さらに敷地内には、「戸建て」仕様の「宗派・信仰を問わない」霊園もある。

「昔は『(公営あるいは民営の)霊園か、うちの墓地か』で迷われていたんですが、いまは『うちの霊園か、永代供養か』で迷われた末に、永代を選ばれることが多くなり、新しく造った霊園が半分まだ売れていないんですよ」

 次々と改革を実践し、将来を見通してきた感のある住職だが、「そこは、すこし目算がはずれました」と苦笑う。改革をこころよく思わない人たちからは「ビジネス坊主」と陰口を叩かれることもあるが、明快な話し振りにあるのだろう。
 取材に訪れる数日前、曹洞宗のお坊さんたちが集まる規模の大きな会合が長野県で催され、橋本住職は講演者の一人として出席した。「仏教界を揺るがす大会で、若い人たちから賛同をいただきました」と声を弾ませる。


 取材者であるわたしは宗教的なことに関しては門外漢だけに、橋本さんが「画期的な大会」と強調する意味合いを掴みかねた。改革を行うたび、仏教界から槍玉に挙げられ、正体を隠して指弾する「怪文書」が流布されるのは度々だという。
 批判があれば、なぜ膝を交えて直に話さないのか。お坊さん同士なのに。
 ヘンだなぁと思うが、「ないんですよ」という。
 それだけに、宗門の県支部が主催する公式の会合に、講演者として招かれたのは、かつてない出来事で「時代は変わりつつある」のを実感しつつあるという。

「そこで私が言ったのは、『皆になるなかれ、一人になれ』。
 足並みを揃えることも大事ですが、信念は一人ひとり持たないといけない。それは僧侶としての矜持でもある。そもそも『戒律』は、自己の意思で守るものですから」

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 橋本さんがその存在を知られるきっかけは、2012年に決断した「檀家」制度の廃止からだ。
 見性院では、これまで寺院経営の基盤となってきた「檀家」制度(注=江戸時代に幕府が、キリスト教の拡張を防ぐため、全村民を近在の寺に登録させる「寺請制度」を取り決めた。結果、各寺院は住民管理の役割を担うとともに、檀家からのお布施という経済基盤を得た)を廃止している。
 檀家に代わるものとして「会員」制度を発足させている。「家」単位の檀家に頼らず、個々人の判断で「信徒」となることを選択するものだ。

 従来の「檀家」制度の下では、個人の意思とは関係なく○○宗の「檀家」と決められてきた。これはよくよく考えると、憲法が定める「信仰の自由」との関わりからしても問題がありそうなことだ。
 橋本さんも同様の疑問を抱いてきたという。そして、住職でながら、個人の意思で見性院の信徒になるかどうかを選択する方式に改めることにした。
 並行して、これまで「お気持ち」とされてきた「お布施」の金額を明示し、お寺の収支決算も公表する。そうした行動が注目され、テレビなどのメディアにも度々登場してきた。

──それで、今回のお聞きしたかったのは、橋本さんが、どうして仏教界からの批判、旧檀家さんの猛反対にも挫けず、改革を貫いてこられたのか。橋本さんの「個人」の精神的な背景を探りたいと思ったんです。
『お坊さんが明かす、あなたの町からお寺が消える理由』(祥伝社新書)や『お寺の収支報告書』(洋泉社)といった橋本さんの著書などを拝読すると、駒沢大学の大学院を卒業された後、30歳になってから米国に留学をされていますよね。海外体験は大きかったのではないかと思うんですが。

「いろんな要素はありますが、確かに米国留学がなかったら改革はなかったでしょうね。
 私の父親は、早くに両親をなくして、本寺を継ぐはずが、末寺に行かされ、若い頃に苦労しました。本にもすこし書きましたが、本山を乗っ取られたような格好で、後見人となる人もいなくて、孤独でもあった。だからこそ可愛い子供には旅をさせようという考えがあったのかもしれないですね」

 橋本住職が、留学した先はロサンゼルス。当初は日系寺院の手伝いをしながら語学学校に通った。

「カルチャーショックは大きかったですね。これまで見たこともない世界でした。日系の寺院といっても、向こうのお寺は、日本のお寺とは違い、どこも解放的なんです」

──日本の寺院と何が違っていたんですか?

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