見出し画像

体育倉庫の秘密のダンボール箱|夏休みの学校で



暑い、暑い、チョー暑い。背中のリュックとTシャツの間に、汗がつつつーと流れた。ああ、海に行きたい。
 今年の夏休みは、沖縄の海に連れて行ってもらうはずだったのに、パパは仕事が忙しくて連休が取れないんだって。
「ママと二人で行っておいで」とパパは言うけど、シュノーケルでニモ探そうって約束したのに。ママは「泳ぐならホテルのプールでいいじゃん、ね、悠人」だってさ。だったら近くのプールでいいよ、って言っちゃった。

 飼育係の悠人は、ウサギの世話をするために、学校に向かっていた。リュックには、エサの人参が入っている。
 のろのろ歩きながら、やっぱりママと二人でも沖縄に行くって言えばよかったかなあ、とちょっぴり後悔していた。

「おはよっ、悠人!」
後ろから走ってきたのは同じく飼育係の翔太だ。
「悠人、何持ってきた? 俺、キャベツの芯。オカンが店の残りでええやろ、って」
 翔太は商店街のお好み焼き屋の二階に住んでいた。五月に大阪から転校してきたばかりなのに、あっという間にクラスに溶け込んで、今ではすっかり四年一組の人気者だ。
「僕は人参持ってきたよ。ママがウサギには人参でしょ、って」
「悠人、母ちゃんのこと、ママって呼んでんの?」
「え、あ、まあ」
 なんだか急に恥ずかしくなって悠人は下を向いた。
「ふーん。悠人の母ちゃんはきっとママって感じなんやろうなあ。うちの母ちゃんは、オカンがぴったりやで」
 翔太はニカッと笑って「ほら、遅刻や、行くでー!」と走り出した。悠人は慌てて翔太の後を追いかけた。

 夏休みの学校は、ひっそりと、まるで眠っているようだ。校庭の一角にある飼育小屋に向かう。
「男子、おそーい!」
 すでに来ていた彩乃と由衣が小屋の掃除をしていた。
「すまん、すまん、すんまへん〜、許して、許して、許してちょ〜」変な節をつけて翔太がキャベツの芯を差し出すと、由衣が笑い出した。
「もう、ふざけないでよ。翔太、これ捨ててきて」彩乃が差し出したバケツには、ウサギのフンや食べ残した草が入ってる。バケツを受け取った翔太は、ほな、行ってきまーす、と校庭の横にある畑に向かった。畑のすみっこに埋めて、肥料を作るんだ。
「バケツきれいに洗ってきてよー」彩乃の声が追いかける。彩乃は飼育係のリーダーなのだ。
 悠人は人参を取り出して、キャベツの芯を切っていた由衣に渡す。
「えっと……僕は何したらいい?」
「悠人は体育倉庫に行ってウサギの草、持ってきて」
「え、体育倉庫……」
「もしかして、悠人、怖いの?」
「全然、平気。行ってくる」
 私も一緒に行こうか、と由衣の声が聞こえたけれど、悠人はくるりと背を向けて「一人で大丈夫」と校庭の反対側にある倉庫に向かった。

 悠人はひとり、校庭を横切って歩く。まだ午前中なのに、もう太陽がジリジリと照りつけていて、おでこから汗が流れた。本当は、ちょっぴり怖かった。だって倉庫にはお化けが出るって噂があったから。いつも干し草を取りに行く役にならないように、先に小屋掃除していたのに。

 ガラ、ガラッ、ガラガラ。ぐっと力を込めて重い扉を開けた。
「大丈夫、大丈夫」おまじないのようにとなえながら、倉庫の中に入る。真っ暗だ。ぷーんとカビ臭いにおいがする。
 だんだんと目が慣れてきて、目をこらしてみると、サッカーボールや竹馬が見えた。干し草、干し草、と探してみるけれど、どこにあるかわからない。ああ、こんなことだったら、由衣に一緒に来てもらったらよかったな、と思う。

 ドキドキしながら奥に進む。誰かいる!と思ったら、土をならすトンボだった。ああ、びっくりした。「大丈夫、大丈夫」とまた声に出しながら、悠人はゆっくり足を進める。
 一番奥に大きなダンボール箱があった。箱の周りに干し草が落ちている。きっとこの箱の中に入ってるんだ。悠人はダンボールのふたを開け、中をのぞきこんだ。
「あー!」

「あれ、悠人は?」空になったバケツをブンブンふり回しながら、翔太が飼育小屋に戻ってきた。
「ウサギの草を取りに行ったまま、帰ってこないんだ」
 彩乃がほっぺをぷうっとふくらませた。
「場所がわからないのかな。私が一緒に行けばよかったね」
「由衣、優しすぎるよ。悠人さぼってるんだよ」
「しゃーないなあ。俺が見てくるわ」翔太は校庭に走り出した。

「おーい、悠人、俺も手伝うで」
 倉庫に入ったけれど、悠人の姿は見えない。
「ほんまにさぼってるんかな」
 ずんずん奥に入っていくと、ダンボール箱があった。これやんな、と翔太はふたを開けた。
「うぇ〜!」

「もう!翔太も帰ってこないよ。男子はあてにならないね」
「彩乃、心配だし見に行ってみようよ」
「えー、ふたりだから大丈夫なんじゃない?」
「だけど、このままじゃ終わらないし」
「それもそうだね」
 彩乃は抱っこしていたウサギをそっと下に置くと、由衣とふたり倉庫に向かった。

 体育倉庫の扉は開いていた。
「悠人、翔太、来たよ」
 倉庫の中はしーんとしている。
「もう、ふたりともどっか行っちゃったのかな」彩乃は迷いなくどんどん奥に進んだ。
「ふた、開いてるね」
「うん。ここまでは来たってことだよね」
「もう、私達で運ぼう」
 彩乃と由衣は、箱のわきにしゃがみこんで、干し草に手を伸ばした。
「えー!」「きゃー!」



ドスン!
「いたあ。由衣、大丈夫?」
「うーん、なんとか平気。彩乃は?」
「おしりぶつけた。ちょ、ちょっと、由衣、着替えた?」
「えー!彩乃も水着着てるよ!」
 二人ともスクール水着を着ていた。しかもスニーカーじゃなくてビーチサンダルを履いている。下は白い砂浜だ。振り向くと翔太がぽかんとした顔でこっちを見ていた。翔太も水着姿だ。
「翔太!ここどこ?」
「わからん。倉庫で箱の中の取ろうとしたら」
「吸い込まれた?」
「うん、気がついたら、ここにおった」
「ところで悠人は?悠人もここに来たのかな?」さすがの彩乃も心細い様子で、まわりを見回す。
「探さなきゃ」
「悠人、どこにいるのー?」
「おーい、悠人ー!」

 その時、波の合間からぼわっと黒い頭が現れた。ずんずん浜に向かってくる。浅くなったところで立ち上がって、三人に気がついた。
「あれえ、みんなも来たの?」悠人だ。ニコニコ笑っている。
「悠人!どうして私たち海に来ちゃったの?」彩乃は今にも泣きそうな顔だ。
「僕もわかんない。でもさ、すごくきれいな海だよ。今、泳いできたけれど、魚も見えたよ」
「え、魚がいるの?」由衣の目がぱっとかがやいた。
「うん、小さい魚がいっぱい!みんなで見に行こう!」
 悠人と由衣は走り出したが、彩乃は座り込んでしまった。どうしたの、と由衣が彩乃のところに戻ると、ヒックヒックと彩乃が泣き出してしまった。おどろいた悠人も翔太もやってきた。
「ウサコとピョン太に、干し草、あげてないから、お腹空いてるんじゃないかと思って」彩乃はウサギをとてもかわいがっているのだ。
「人参とキャベツの芯を置いてきたから大丈夫だよ」由衣が彩乃の背中をなでた。しっかり者の彩乃の涙に悠人はどきどきして、慌てて翔太の腕を引っぱる。
「海、行こ!」
「実は泳がれへんねん、俺」恥ずかしそうに翔太がつぶやいた。
 意外だった。足が早くてサッカーも上手で、体育の授業ではヒーローの翔太が泳げないなんて。悠人は五歳からスイミングスクールに通っているので、早くはないけれど、クロールも平泳ぎも背泳ぎもできる。バタフライはまだ無理だったけど。
「翔太にも苦手なこと、あるんだね」彩乃も由衣も、驚いたように翔太の顔を見上げた。
「苦手なこと、いっぱいあるで。まず算数やろ、音楽もアカン。一番苦手は、東京弁や!」翔太の言葉に皆大笑いした。

「じゃあ四人で手をつないで浅いところまで行こうよ。足が立つところだったら大丈夫でしょ」由衣の提案に三人がうなずく。
 悠人の右手は翔太、左手は彩乃。翔太の反対側の手は由衣がしっかりと握った。
「レッツゴー!」ビーチサンダルを脱いで海に向かう。
「あちちち」翔太が声を上げる。砂が暑くて足の裏が焼けそうだ。その時、さーっと波が寄せて、冷たい水が足の指をくすぐる。
「ひゃー、冷たい!」

「この辺かな。水中メガネかけて」悠人の声に、え、水中メガネ?と、翔太がおでこを触るとメガネがあった。由衣と彩乃も手をつないで輪になった。
「さあ、顔つけるよ。せーの!」ざばっ、ざぶっ、ざぼっ。三人が顔をつけた。慌てて翔太も顔をつける。ぎゅっとつぶった目を思い切って開けてみた。
「うわー!」小さな青い魚が泳いでいる。黄色い魚もやってきた。宝石みたいにキラキラしている。息が苦しくなった翔太が顔を上げると、三人も顔を上げた。
「魚、見えた?」
「うん、とってもきれい!」
「かわいかったー!」
「海、すごいな」
「もう一回!」今度は四人そろって、いきおいよく、ざぶんと顔をつけた。

何度かくり返しているうちに、魚はどこかへ行ってしまった。
「魚、いなくなっちゃったね」
「そろそろ、帰らないと」
「でも、どうやって帰ったらいいの?」
 四人が顔を見合わせていると、大波がやってきた。
 ざぶーん!

「あれ、ここは?」
気がついたら、四人は体育倉庫にいた。水着も水中メガネもビーチサンダルも消えて、洋服を着ている。
「ねえ、海に行ったよね?」
「うん、魚見た」
「水着着てた」
「ビーチサンダルはいてた」
四人は目の前のダンボール箱をじーっと見つめた。干し草の入っている大きなダンボール箱。
「どうする?」
「やってみる?」四人はまた手をつないだ。今度は悠人がはしっこだ。
 悠人はおそるおそる手を入れたけれど、何も起こらなかった。
「よかったー。じゃあ草持って小屋に帰ろう。ウサコとピョン太が待ってるよ」彩乃は両手で干し草をすくい、由衣がポケットから取り出した袋に詰め始めた。
「あれ、これ?」悠人が箱の中に手を伸ばした。干し草の上には、小さな白い貝殻があった。


  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?