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“嫌い“と向き合う

私の大好きな映画に

アルコール依存症の老いた父親を殺して逃亡し、父親とは違う人生を歩もうと奮闘して一時は成功を掴むも、最後には全てを失い、父親や自分が見下したものと同じように落ちぶれる。

という内容の物語があります。
(ネタバレになるのでタイトルは伏せます)

端的に言えば『どう足掻いてもカエルの子はカエル』と思えるような話です。

幸せとはいえないラストに、私は見終わった後、なんとも言い難い感情になりました。
『自分は父親とは違う!』と信じ、秘密を抱えながら足掻く人生は、輝いていてもきっと苦しかったはず。
そこからもう逃げなくて良いと悟った時、彼はほっとしたのではないでしょうか。
そう考えると、この物語のラストを一概に不幸だと思う事は出来ませんでした。

自分が強く嫌ったり、遠ざけようとするものって、それだけ意識を向けるほど関心のあるもので、自分自身を映し出す鏡だと、私は思います。

『必死に否定してでも、なりたくないもの』
私にも心当たりがありました。
父親です。

今回なぜ、こんなことを考えたかというと。
カウンセリングでの会話がきっかけでした。

『あなたは不満が態度に出る人ですね』
そうカウンセラーに言われた時、心底驚きました。
私は自分がそんな態度をとっていると、その時まで自覚していなかったのです。

『不満が態度に出ている』
それは私の父の特性を簡潔に表した言葉に思えて、ショックでした。私にとって父親とは『ああはなりたくない』と思う存在だったからです。

私が幼い頃の父は、嫌な事があるとすぐに態度に出る人でした。毎日のように言葉で、態度で、自分の感情、特に不満を表現していました。

『なんで俺のタオルが出てないんだ!』
『普通はこうじゃないの?なんでできないの?』
『お前が悪いんだろうが!』

手を出す人では、ありませんでした。
ただカッとなると、瞬間的に大声で怒鳴る。
車に乗っている時にエンジンを思いきりふかしたり、カーブをオーバーに曲がる。
大きな音を立ててドアをしめ、どすどすと足音を鳴らして階段を上る。

家族の中で一番恰幅のよい父の怒声は、それが自分に向けられたものでなくても、私にとって恐ろしいものでした。

私は『父を怒らせてはいけない』と本能的に思い、末娘で可愛がられている立場を子供ながらに利用して、ご機嫌取りをするようになりました。
父の怒りの矛先は、大半が母に向かいます。
母も意固地な人なので、負けずに大声を張り上げてお互いに引けなくなり、喧嘩になる。

『お前が悪いんだろうが!』
『なんでそんなこと言うの!』

子供の頃、両親がなぜ寝ている私がいる隣の部屋で喧嘩するのか、理由と内容までは分かりませんでしたが、激昂した父に、いつか母が殺されるんじゃないかと不安で仕方なかった。
父の怒りのスイッチは、ほんのささいな事で入るので、家の中では常に気を張り詰めていました。
姉と兄は気づいていないのか、あまり関心がないようで『母を守れるのは私だけだ』と使命感を覚えた。
喧嘩になりそうになったら、おどけた態度で気を引いてみたり、母の手伝いを率先して行い『子供らしさ』を演じて、家庭の調和をはかっていたのです。

そんな生活を続けて、小学生高学年になる頃には、精神がやつれ食事を摂ること、睡眠を摂ることが上手く出来なくなっていました。
そこから長い長い、闘病生活が始まります。

私はいまだに、その原因は父親にあると思いたいのです。
『父の高圧的な態度のせいで、病気になった』と本気で恨んだ時期もありました。
冷静に考えれば。それも原因の一つだったかもしれないけど、他にも色々な要因が重なって病んだのだと考える事はできます。
でも心のどこかで、責任を押し付けたい自分がいる。きっと感情的な面で、父親を許せていないのだと思います。

歳をとって丸くなった父は、今では末娘の私が可愛くて仕方ない親ばかになっています。
怒鳴ることも、めったになくなりました。
でも私は以前の様に、父の可愛い末娘役を素直に演じる事が出来なくなりました。
家を出てからは、実家にいる時間が限られるので前よりマシになりましたが、今でも父が私を喜ばせようとしても、ついそっけない態度をとってしまう。

残念そうにする父に、心苦しくなる時があります。
でも『今更いい人ぶらないで。あれだけ人を苦めたのだから、ずっと私が嫌いな父のままでいてよ』
そう考えると、感情がブレーキをかけてしまう。
父がいい人だと、怒りの置き場がなくなるんです。
人は変わる生き物だと知っていても。

『ああはなるまい』
父親は、反面教師のつもりでいました。
なのに自分も父親のように不満を態度に出しているということは、受け止め難いことでした。
でもよく考えると腑に落ちる所があった。 
きっとカウンセラーに指摘されなければ、気づかないままだったと思います。

私の場合は態度に出すといっても、父と違い怒声をあげたり、物音を立てるといった事ではありません。
口から吐き出せない『嫌』という感情を、それとなく態度で察してもらおうと、意図的に会話を遠ざけたり、目の前の人から目をそらす事でした。

苦しんで嫌って、なりたくないと思っていたものに、自分でも気づかないうちに近づいている。
その要素がある。あの映画の主人公のように。
死んだほうがましだと思うくらい、絶望的に嫌な感情に陥りました。

でも時間がたつと、新しく見える事もありました。

『態度で察してもらう事自体は、悪い事だと思わない』ということ。
嫌なことを嫌とはっきり言えば、言った本人はすっきりするだろうけれど、言われた側は多少なりともショックを受けたり、困ると思うからです。
(自分がそうだから、他人もそうだろうという予測でしかありませんが。)

裏を返せば、父のことも本心では責めていないのかもしれません。
表現方法が違うから、父の言動を許容できなかったけど、私の態度を嫌だと思ってる誰かがいるかもしれない。今のそっけない態度だって、父からすれば悲しい事でしょう。だったら、おあいこだなぁと。

もちろん、人間関係が破綻するほど態度に表すのは良くないと思うし、察して貰えず、自分が苦しくなる程『嫌』を口にしないのも良くない。

「あなたは否定を嫌がるけれど、やる事は嫌だという言葉を口にするだけなんですよ」
カウンセラリングの先生が言っていた言葉が、頭の中で巡ります。
確かに。これだけ長い文章をツラツラかけるのに、たったその一言だけが言えないなんて、おかしいですね。
嫌なことは、嫌と言える環境ならきちんと口で言う。
それは私がこれから、少しずつ変えていかなければいけない課題です。難しいけど勇気を出して。

ここまで考えて、ふと思いました。
もしかしたら私は『父親のせいでこうなった!だから変われないんだ!』と父親の言動を非難することで、自分の生きづらさを肯定していたのかもしれません。

否定と肯定って、紙一重なんだな。

人間っていくら考えているつもりでも、無意識に自分を守ろうとする。嫌なことからは、本能的に目をそらす生き物だと思うんです。
でも『気づけない』という事は、思考の偏りに繋がる。

これは盛大にブーメランなのですが、他人の言葉を聞いたり受け止める力のない人は、自分の考えや経験に頼るんですよね。

ただそれってやはり、どれだけ考えているつもりでも『自分』という小さな頭蓋骨の中で産まれた、思考の循環でしかない。
何度も何度も繰り返して凝り固まった脳が『私はこうやって生きてきたのだから』と開き直るのではないでしょうか。

じゃあどんな言葉でも素直に受け入れ、他人の言葉に追従すればいいのか?というと、それも違う。
大事なのは、人の言葉を受け止めて、考えること。
思考の選択肢を広く持ち、柔軟に選び続けることだと、私は思うんです。

過去は絶対的に、そこに事実としてあり続ける。
でもその事実をどう受け止めるか。
どの角度から観測して、感情の付加価値をつけるのかは、現在を生きる自分にしかできない事です。

私が『嫌だ』『父親のせいだ』と思った過去。
『でも私も同じことしてる時あるしな』
『あれは父なりに、手を出さないようにするための回避行動だったのかもしれないな』
これから新しい側面を与える事ができるかもしれない。

気づくってやはり大事な事です。
受け止める時間は、本当にきついけど。

結局の所、私は父が大好きなんです。
飲み込む事も、理解する事も、許す事も、似ているけど全部違うと思います。
私は父を許せていないし、散々こんな事を書き並べておいてなんですが…。
家族を愛しているし、昔のようになりたいとも思っているから、こうして葛藤している。
でも昔に戻るだけでは、また生きづらさを繰り返すことになる。私は成長して、きちんと一人の人間として家族と向き合いたい。

今はどんなにそれを望んでも、感情がストップをかけるので、きっと長い道のりになるのだろうと思います。
私の生きづらさにはずっと『家族』と『宗教』の2文字がありました。
だから何度でも、そこと向き合っていこうと思います。
後付けでも構わない。今を生きる自分が心の底から納得すれば、きっと未来は変えていけるはず。

このまま『家族のせいだ』『宗教のせいだ』『父のようにはならない!』と嘆き続けたら、この先もずっと、生きづらいままなのかもしれない。
そう思うと、ぞっとします。

自覚するという事は、自分ひとりでは難しい事です。
自覚した所で、急に変われるものでもない。
でも自分の中にある嫌な所(父親と同じ部分)を受け止めていけば、いつか、父の事も理解できるかもしれない。

他人に現実を突きつけられるのは辛いものだけど、たまには外部の人間の言葉を受けるのも必要ですね。
もしこれを読んでいる人の中に、同じように過去に苦しめられている人がいたら、カウンセリング、おすすめです。しんどいけど。

私は今も苦しんでいる最中ですが、きっと未来を変えていけると今は信じています。
どうせ足掻くのなら、あの主人公のように逃避するのではなく、きちんと自分と他人と向き合いたい。

現在と未来の、自分と家族の為に。

そしていつかまた、心の底から笑って
『お父さん大好きだよ』と言える日が来ることを、願って。


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