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2020年9月の記事一覧
クハ75・クハ77・クハ85
70形、80形電車は長編成で使用されたけれど、地方路線に転出すると制御車が不足した。今だったらモハをクモハにする所かも知れないが、この時「サハ」は当然として「サロ」も有効活用された。他にも戦前形のクハを連結した例もある。
クハ75は70形を上越地区で使用するにあたり、サロ75に運転台を取り付けた。クハ77は70形を両毛線で使用するにあたり、サロ85を3扉にして運転台を取り付けた。クハ85は8
キニ05・キユニ07・キクユニ04
キニ05というのは、GMのキハ04を作った時に側板が残る事で知られている。知られているかどうか知らないけど、これも四国で使用された荷物気動車である。ただし、急行の先頭には立っていないはずである。ぶら下がる事はあったらしい。
郵便荷物気動車の最初は、まずは機械式の改造だったという事のようだ。
それからキユニ07というのも生まれた。キハ07の改造である。これも四国で急行にぶら下がる事があったら
キハユ15・キユニ15・キニ15
ツイッターで雀兄が話題にしていたが、「キユ25」と「キユニ15」は紛らわしいものらしい。どちらも急行列車に連結されているものの、「キユ25」はカッコいいが、「キユニ15」は「なんだこりゃ」である。「キユ25」は新造車両で冷房もあるが、「キユニ15」は改造で、暑さに耐えながら郵便物の区分けをしなければならない。
この「キユニ15」とは何か? もともとは10系気動車の中間に連結されたキロハ18が
キハ08・09から考える
キハ08、09(もとは初代キハ40、キハ45)というのは、国鉄時代、気動車の導入への要望が高かったものの、予算などの関係で追い付けず、オハフ61の改造で作られた車両である。
という事は国鉄本社から見て優先順位の低い路線に投入されたという事でもあり、「ローカル線」である事を表現するにはもってこいである。
模型の世界ではスハ44やナハフ11あたりを、同じような考えで気動車にした設定の車両を作
「あの頃」の特急電車のはなし
日本の特急電車の源流はもちろん戦前の私鉄電車(心情的にはそれに対抗する省電のモハ52も入れたいが)に始まると思うのだが、自分には1960年代の特急電車がまず浮かぶ。
近鉄の初代及び2代目ビスタカー、南海の2代目「こうや」号、小田急NSE、そして国鉄の「こだま」形、東武DRCといった所。
小田急SEは0.5世代ぐらい前になるのかなとも思う。こちらのデザインは新幹線0系につながると思うが、今回
やっぱり元レールカーはむなしい
(拙ブログ「俗世界の車窓から」とほぼ同じ内容です)
現在「ルーバー美々」さんになっているブログ(以前は「うっかりバロー兵衛」さんや「アンリ・テブレッソン」さんだった)の三両の客車のエントリーは涙が浮かんでくる内容である。
https://blog.goo.ne.jp/hon20/e/921850f27f04ccaecccb66b4c08fef7e/?cid=921c67ed80df7ab30
「地鉄電車」以後の地方電化私鉄
富山地鉄の日車ロマンスカー(後述の例外を除く)と琴電の旧型車両が無くなる事で、「中越地鉄」的な車両が無くなってしまうという話題があった。
では「中越地鉄的な車両」の後、地方電化私鉄にはどんな車両が生まれ、どんな流れで進化して行ったのだろう?
・固定編成の新車
地方私鉄の列車の特徴の1つが「生まれの異なる車両が手を取り合って走っていた」という光景だった。もちろん、そのままで路線自体が無く