8.イマソラ →
「イマソラ」は主に「インスタ」で見かけることの多い「ハッシュタグ」。「」内の3つのカタカナは、いずれも新しいコトバだ。イマソラとは文字通り今の空で、フォトジェニックな空のヨウスを共有したいときに使う。イマソラの語感は、とてもいい。作ったヒトは、とてもセンスいい。
こうして新しいコトバが生まれるんだなあ@さよお
カミナリ、雲、雨、夜空、日暈(ハロ)のほかに条件が偶然重なって太陽の光が織りなす各種アークや彩雲。さまざまな「空のできごと」を見逃すまいと私はしょっちゅう空を見上げている。心もとない足取りで、口元は無自覚に半開きのはず。おそらく顔はアホの子だ。ほげー。
空のできごとは刻々と変化する。見上げて「あ!」からカメラ(スマホ)を取り出して再度、上空を確認。「あ!」のときの空と近似値(?)であればそのまま写真を撮って「#イマソラ」をアップする。運が良いときは「あ!」の空よりも、もっとキマった空が撮れることもある。
その後のInstagramに投稿するまでの自分的な流れは、こんな感じ。
というわけだが、撮ってすぐにはここまでできない。帰宅後、あるいは外出中に足休めで入った喫茶店などでの作業後になるため、もうその時点でぜんぜん「イマ」のソラではなくなっている。むぅ、仕方ない。
妥協するほかなくイマソラを付けてしまうが、すでに数時間経過している画像に対して「イマ」というのはどうしても違和感が拭えない。気が引けながらも、気は心で「#さっき空」あるいは「#カコソラ」のタグも追加する。
ヘンなところが几帳面で神経質な自分には、毎度ひっかかる点である。そういえば最近、「きょうのイマソラ」というハッシュタグを見かけた。まとめて投稿するのに良さそうだが、どうだろう。
どんどん新しいコトバが生まれているんだなあ@さよお
(モーエーチューネン)
Instagramでは空の好きなヒトをたくさん見かける。自分の目に映るイマソラも良いが、空好きなヒトがアップしてくれる画像も好きなので、たまには 「#ダレカニミセタイソラ」で検索する。
皆それぞれに違ったユニークな視点。王道ともいえる海+空、虹や星空の美しいこと。また、お気に入りのバイクや車と一緒に空があったり、ぎらぎらしたコンビナートから湯気がぼうぼうと立ち上る工業地帯の夜空も素敵である。贅沢にも、世界各国の空が手のひらの中で簡単に眺められるとは。。。
本当にありがたい時代になったなあ@さよお(いい加減にしなさい)
▼私のInstagramはこちら。空だけではないが、よかったらどぞ。https://www.instagram.com/s_sayo_345/
小学生からハタチになるまでの間、そこらじゅうを観察してそれをネタによく詩を書いていた。空のできごとや自然が好きなのは先天性かもしれない。
季節に関係なく、近くの神社へ行っては地べたに座り込み、画用紙を広げて時間を忘れる。特に好きだったのが、いろんな色の落ち葉が重なり、あちこちから自然の織りなす音が聴こえてくる秋。そして、とても冷え込んだ真冬、ざくざくと霜の降りた早朝に太陽が昇ってきてキラキラ輝く地面。沈丁花の香る頃、神社の手水舎の水が温むことにも感動した。
春本番を過ぎて初夏になると、やたら元気すぎる太陽の眩しさがつらくなる。苦手な季節の到来だ。そのためかどうかわからないが、突発的に入院することになるのは4〜5月が多い。
▼なぜか8年周期で入院するハメになる件▼
気温と湿度の塩梅がいい日には布製の手提げバッグひとつに、おばあちゃんからもらった地味ぃ〜な小銭入れを持参して、自宅からけっこう離れた町まで一人で歩く。てくてく。
一人はラクでいいな、と思いながらどんどん、てくてく。
あるときは果樹園の棚の下をくぐり、友だちの家がやっている銭湯の前を過ぎてウチから遠い神社に到着してゴール。
別の日には、道幅が広くて長い長い下り坂をひたすら降りていく。深くて小さな川を渡ると隣の県に入り、もう少し進んで大きなカーブの途中にあるヘンな祠がゴールとなる。
そのコースのずっと先にも好きな場所がある。ただ、所要時間がかかるため、めったに行けないスペシャルプランだ。
そこには細く長い石の階段がせり上がった、鉛筆のような山がそびえている。下から見上げると山門の頭しか見えない。頂上にあるのは古いお寺。
子供目線の記憶しかないので、このサイズ感の表現は大げさかもしれない。機会があれば確かめに行こう。
階段を登りきると、チベットの有名寺院かと思うほど碧空の色は濃く、空気が違う(気がする)ことに驚く。ギリギリ隣町で、ウチからなんとか歩いて行ける距離。それなのに五体投地で巡礼の旅をしてきたような達成感を得られる、ありがたいお寺なのだ。
10歳になる前なので体力はあるし、尿意の心配もなく、どこまでも てくてくできる。そして自分しか知らないつもりでいるヒミツの場所がたくさんあって幸せだった。
友だちはいらないがカメラはほしかった。自分の目で見た風景や、道に落ちている砂利すらも記録しておきたかったのだが、家にあった父親のカメラは、「壊すといけないから」と持ち出し禁止。家の中では自由に触れるが、フィルムは買ってもらえなかった。
もらっていたこづかいは毎月、集英社のまんが雑誌「りぼん」と、こっそり買う駄菓子に消えてしまうためフィルムは自力で買えなかった。
絵を描くことも好きだったが小学校で苦手意識を植え付けられたようで、すんなりとはいかなかったため、こうした風景を見ながら感じたことをコトバにして画用紙に書きまくっていた。
幸い、中学校での美術の授業がリハビリになって以降、絵しりとりがこなせるまでに回復した。
ハタチになる頃から写真を撮り始め、自作の詩と組み合わせた小さな本を作ったことがある。当時のカメラは、坂本龍一が好きでがんばって買った「SAMURAI」。フィルムサイズはハーフだった(35mmの半分)。
その頃 勤めていたのがまだ小さな印刷会社だったのだが、今ではずいぶん大きくなって東証に上場している。
当時の上司に「個人的に創作物をつくりたいので、カラーコピー機を使っても良いか」訊ねたところ、特に何も聞かれず「いいよー。休日とかに作業しろよ」と寛容だった。印刷の勉強になると思われたのかもしれない。とにかく、ありがたい。
レイアウトをざっくり考え、色、フォントの種類とサイズなどを自分で指定。グラフィックデザイナーや作図(CAD)、電算写植のオペレーターにも協力してもらって写真入りの詩集「移りゆく──。」が完成した。表紙込みで総ページ数8P、CDブックレット判である。
まさか、この7年後、出版社に転職して書籍編集者になるなんて夢にも思わない。
写真は無加工、印刷はカラーコピーだが表裏印刷の機能はなく、のりで貼り合わせて製本するという方法だった。すべて手作業のため10部くらいしか作れなかったうえ、元となるモノはデータではなく紙なので、長期保存が利かない。おそらく現存するのは自分の手元にある一冊だけだろう。
どれだけ未来を想像してもDTPは登場しない時代。印刷会社の仕事も、ほぼ同じである。判型が大きくて部数が多いだけの違いだ。
写真や写植を手で切り貼りした版下(はんした)ができあがると、下版(げはん)といって営業車などで隣県にある工場へ運ぶ。工場でフィルムにしたものを元に、かまぼこ型をした金属製のハンコを作って、CMYK各インキを1色ずつ4回くっつけ、ばかでかトイレットペーパーのような輪転紙に刷っていく。
自分の創作への熱意はこの頃がピークだったように思う。それから徐々に冷めていき、というより仕事が忙しくなりすぎて時間が取れなくなってきた。元来、時間がわからなくなるほど不規則な仕事に就きたかったので自業自得ではある。
ドリンク剤のCMソングは世相を反映したように、「24時間たたかえますか」と意気揚々。ブラック企業というコトバすらなく、当たり前に馬車馬の如く、がむしゃらに仕事で徹夜。「きのう寝てないんスよ」と得意げに笑って、そのまま翌朝接待ゴルフへ行くくらいハードなのがカッコいいとされるバブル期だった。
そのうち、わけもなく悲しく、涙があふれる日を迎える。自覚のない状態でいつの間にか うつ病のトリガーが引かれていたようだ。編集としていちばん多忙な時期に、気がついたら、もうどっぷりヤミ(病み、闇)だった。
心を病むと外部への関心は皆無に等しく、視野も狭くなる。自分の眼差しは常にインカメラとなり、無意味なことを自問自答をしては涙を流す日々が続いた。
写真を撮る理由は好きだから、の他に、写真が心のバロメーターともなるからだ。うつ病早期発見の術。
ヤミに落ちると写真にも現れる。たとえばピントが合わない、常に手ブレする、視点があやふやなため被写体が定まらず構図がおかしい、カラーで撮っているのに色を感じない。
「忙」とは「心を亡くす」と書くだけのことはある。忙しすぎると意欲ばかりか心までもしぼみ、病んでしまう。これからも一日に一度は空を見上げるくらいの余裕を持ちたい。
イマソラのおかげで、ここ何年も私のInstagramはとてもカラフルだ。空は良薬なのである。
じゃ、次!「ら」
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