「ブルーピリオド」美術は文字じゃない言語だから。お前たちはまだ「美術」を知らない。深淵の世界へようこそ。
ブルーピリオド 概要
「ブルーピリオド」は山口つばさ先生による漫画作品。
講談社「月刊アフタヌーン」にて2017年6月から連載中。高校2年生の主人公・矢口八虎がこれまで興味を抱いて来なかった美術に目覚め、美大の最高峰「東京藝術大学」現役合格へ向けて美大受験予備校へ通い始める。そこで出会うさまざまな変人・奇人、自身の成長や苦悩、描くことの楽しさや奥深さを丹念に描いた作品。
2021年にアニメ化、2022年に舞台化。飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを増やし続けている、今もっともアツいクリエイター漫画のひとつだ。
作品の特徴
本作のテーマは「美術」。
小・中学校の必修科目であり、人生において必ず触れ合う勉学/表現方法だ。誰もが知る科目ながら、美術を真剣に学び、真摯に向き合ったことのある人間がどれほどいるだろう。
ちなみに私はその端くれで、美大受験予備校に通った経験もある。とはいえ、私の辿った道筋は本作の登場人物らからすれば児戯にも等しかった。
私にも彼らのような友人(変人・奇人ばっかだけど)がいれば――環境の違いに羨み、自らの努力の至らなさ、ちからの差を痛感しつつも、本作品の魅力を紹介していこう。
あらすじ
主人公・矢口八虎はちょっとヤンチャな見た目をした今どきの男子高校生。徹夜で酒を飲んだり煙草を吸ったりと「ちょいワル」っぽいこともするが、成績優秀でひと当たりもよい「なんちゃって優等生」の彼は、だらっと続く日常生活に刺激や達成感を感じなくなっていた。
そんな中、ひょんなことから美術部部員の描いた一枚の絵に惹き込まれた彼は、美術部に入部。次第に絵の世界に没頭するようになってゆく。
本作品について、物語ジャンキーの私による「オススメ・ジャンクポイント」を列挙していきたい。
*
【ジャンクポイント①】
深く丹念な心情描写。登場人物の誰かしらが自分に刺さる。
金髪にピアスといった不良じみた見た目ながら優等生かぶれで、ちょいワルな行動も取りたい主人公。要領もよく、ひと当たりのいい彼の素顔はいわゆる「ええかっこしい」。
なにごともスマートにこなすお調子者で、八方美人でひと好きのするタイプだが、その実、努力家で真面目。かつ人目を気にし、クソでかコンプレックスを抱えている自意識過剰/モラトリアム人間。それが矢口八虎だ。
溢れ出る自意識の高さゆえに、どの属性にも染まり(あるいは染まろうとし)それなりのポジションを築くことが出来る器用貧乏。
美大受験予備校に通うようになってから、彼はますますこじらせはじめ、絵を描くことの楽しさを存分に味わうとともに、出される課題に真摯に向き合い、頭を使い、アイデアを絞り出し、ときには具合が悪くなるくらいにのめり込み、美術作品を作り出してゆく。
無論予備校であるため、作り出された作品には講評がついて回る。その評価に一喜一憂し、作風を変え、また戻り、悩み、苦しみ、何度も戻り、そうしてようやくちょっとだけ先へと進んでゆく。
その過程、感情の揺れ動きを非常に丹念に描くので、なんなら読んでいるこちらが酔ってもどしそうにすらなる。それほどまでに心情描写に秀でた作品ゆえに、作品世界にどっぷりとハマり込むことが出来る。
そして同時に、こんな気持ちにもさせられる。
「うわぁ……コイツ……まんま私やんけ……」
スペック的には彼に追いつかないものの、心情的にはめちゃくちゃわかりみが強かったりする。そうした共感性の高さも、本作の魅力と言えるだろう。
彼のほかにも、出て来る登場人物はみんな個性的だが、共感性の高いキャラクタばかり。とんでもない絵の技術を持つがそれ以上の表現力を持った姉に翻弄される妹、好きなものに拘泥することで自分を守りたいノンバイナリー、勉強が出来て絵も描ける天才肌だが繊細で高慢ちきな頭でっかち。
このような登場人物が次々と出て来て、誰かしらが自分に刺さるからこそ、本作の深みはより深度を増してゆくのだ。
【ジャンクポイント②】
お前たちはまだ「美術」を知らない。深淵の世界へようこそ。
本作の冒頭がスゴクいい。
冷めた目線から繰り広げられるモノローグ。器用貧乏人間が語る上っ面だけの「美術論」は、ただの興味なきもののやっかみに過ぎない。しかし、美術室でこころが揺さぶられる作品を目の当たりにしたとき、彼の世界観は見事に破壊される。
これまでの理論や常識が通用しない、ロジカルを超えた世界。衝動的だからこそ面白い、アート/美術ならではの世界観だ。
しかし、同時に。美術とは非常に論理的な学問でもあるのだ。
こちらは八虎が高校の美術教師から投げかけられたことばだが、当作品の真理を表した名言である。
このことばこそが、「ブルーピリオド」のすべてと言っていい。
それが早速花開くシーンがある。早朝の渋谷から感じた「青さ」を下手なりに紙に落とし込んだ八虎は、絵を見た友人に「もしかして早朝か?」と言い当てられる。言語を超えた表現が通じた瞬間。初めて人と話せた気がした瞬間。それらを感じ取ることが出来た彼は、感じ取れなかった世界に戻ることは決して出来ない。
言語を用いていないのに、理論的に感情を伝えることの出来る世界との邂逅。つまり、彼の持つ世界がひとつ拡張されたわけだ。
かくして、世界が拡張された八虎は美術部に入部。やがて、日本一の倍率ともいわれる藝大現役合格へ向けて足を踏み出してゆく。
さらに、その過程で入ることとなる美大受験予備校では、より実践的で理論に裏打ちされた「受験絵画」を学んでゆくこととなる。ひとくちに芸術大学といっても千差万別。仔細は割愛するが、十把一絡げに同じ課題をこなしていては合格をすることが出来ない。
ゆえに八虎をはじめとした受験生らは、本気で絵に取り組みながらも各々がそれぞれの方向性を見失い、大いに迷走してしまうのだ。
美術の面白さ・奥深さはそこにある。あまりにも深く広い、深淵を覗くがごとき行為。答えが決してひとつではないから、必死になってしまう。探究してしまう。どこまでも夢中になれてしまうのだ。
それは、受験編だけにとどまらない。藝大編においてもなお――いや、一層表現の幅は広がり、自由度は増す。ゆえに、難しい。ゆえに、楽しい。ゆえに、魅せられてしまうわけだ。
【ジャンクポイント③】
描写力=説得力。絵にかける熱量が凄まじい。
本作の絵の魅力は、大きくふたつに分けられる。
ひとつめは、漫画としての描写力・表現力の高さ。
基礎的なデッサン能力の高さゆえ、絵のクオリティが担保されていることもさることながら、心情描写としっかりリンクする画面構成力、多種多様な光と影の表現力、効果的で巧みなトーンの技術力。それらが渾然一体となって、非常に説得力のある漫画表現が成立しているのだ。
例えば、感情による陰影に濃淡があることは感覚的にわかると思う。深い絶望や軽い失望。とはいえ、それを絵づくりで表わそうとすることは簡単ではない。
「ブルーピリオド」にはその多様性が存在している。
深い悩みと浅い悩みが、シナリオだけでなく絵として完璧に表現されている。だからこそ、魅了される。だからこそ、没頭してしまうのだ。
これはひとえに、山口先生の観察力によるものと思われる。観察とは世界の解像度を上げる行為だ。解像度の高い世界をそのままに漫画に落とし込めているから、ほかにはない唯一無二のリアリティが存在するわけだ。
もうひとつは、作中に出て来る美術作品の数々。
本作に出て来る作品はすべて、現役美大生や予備校生らが描いている。きちんとした実力に裏打ちされた作品群が漫画にしっかりと組み込まれているというわけだ。それら「本物」のみが持ちうるスゴさ。ことさらにこの漫画にとっては「美術作品」は主役と言って過言でないため、重要度はひとしお。
それらに一切手を抜いていない――どころかむしろ手をかけまくっていることが、作品の素晴らしさを底上げしている。ゆえに、物語に説得力が生まれるのだ。
以上、今回もまだまだ喋り足りないところだが、ここで「ブルーピリオド」の「オススメ・ジャンクポイント」を終わりとしたい。
未読の方、読み返したいと思った方はぜひ手に取って欲しい。
【補足】
東京藝大について理解を深めたい方は、ぜひコチラもご覧頂きたい。
「最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常」
二宮敦人先生・新潮社
抱腹絶倒のエピソードが詰まった藝大奇譚だ。めちゃめちゃオススメ。
【今回ご紹介した作品】
「ブルーピリオド」
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