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もしも明日、晴れたなら。

人は仮定の話をよくする。

・・・たとえそこに本心があってもなくても。

その有無は、仮定が現実になればわかる場合もあるし、
実現しなげれば結局、誤魔化されてしまうかもしれない。

仮定を話ていた時には本当に思っていたことでも、時が経って変わってしまうことだってあるし、仮定が仮定のままだったら、本心とは裏腹のことを言っていたとしても、それが嘘になることもない。

ただ、実現しない仮定を言う時だってあると思う。


あたしが一番嫌いな約束は、
「明日、晴れたら~しよう」
っていうやつ。

仮定はあくまで仮定であって、確約のない約束だ。
それに全面、天気まかせってどうなの?
代案は??
なんで「雨の時は、」って続きがないの?

そりゃ晴れてないと行けない場所だってあるけど、絶対そこしかダメって言ってないじゃん。

あたし、知ってるんだから。

明日の天気予想、降水確率が高めだってこと。
それを見越して言ってることも、
曇りでも「雨が降りそう、降るかもしれないから」って中止になんていくらだってできると高を括っていることも。

・・・もし晴れても、「疲れているから」って押し切ってしまえばいい、
そう思っていることも。


仮定は、ご機嫌をとるのに都合のいい例え話で、約束じゃない。
交わす約束の中で一番無責任で、一番優しい約束の破り方。

そんなことを何も知らず、
明日の天気を願いながら眠りについていた子供に戻りたい。

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