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#025 大好き、チャーリーパーカー

結局、僕は #チャーリー・パーカー が大好きなのだ。

つまりは、 #ビ・バップ が大好きなのである。ビ・バップという音楽哲学(まぁアンサンブルはどうであれ、アドリブがよければいいでしょ、といった潔さ)に共感するし、ビ・バップ風の曲やフレーズも大好きだ。演奏時間も(録音の制約のせいもあったけれど)短いのも好ましい。

ビ・バップというのは、最初期のモダンジャズである。即興第一主義の音楽である。チャーリー・パーカーはその開祖の一人で、あっという間にこれを完成させて逝ってしまった。衰えもなく、隙もなく、美しいまま環は閉じられてしまった。

よって、残されたジャズマンは、それを変革するというよりは、付け加るような形で発展させてゆくしかなかった。それくらいチャーリー・パーカーが残した音楽は圧倒的だった。もう少し衰えて逝ったらまた違ったかもしれないけれど。

「ビ・バップ=チャーリー・パーカー」という強固な公式が保たれたまま逝ってしまったため、彼特有の個性までが、ビ・バップの要素の一つとして考えられてしまっているような気もする。そんなことに最近気づいた。

彼の個性とはなんだろう。まずは、独特の太い音色。そして、アドリブのうねりとドライブ感。そして、かわいい作曲(彼の曲はかわいいと感じるのです)、そんな感じか。意外と列挙すると多くないものだ。

パーカーのアドリブは、後世の手によって、だいぶ正確に写譜がなされている。されど、それをなぞるだけではパーカーにならない。結局「そのアドリブでなくてはならなかった理由」が、パーカーの頭と身体にあって、それ再現できない限りは、パーカーになれないのだ。

よって、チャーリー・パーカーを形だけなぞるのではなく、己の「そうでなければならない理由」をしっかり迷いなく示しているジャズマンこそが、本当のチャーリー・パーカーの精神的後継者と言えるのだろうと思う。そういう意味で、 #スタン・ゲッツ#ズート・シムズ#エロール・ガーナ などは、パーカーを聴いたときと同じところを刺激してくる。結局「ここ」をイかしてほしいのだ。

サヴォイというレーベルに吹き込まれた録音は、パーカーの音色を残響なくよく捉えている。パーカーもちょっと丁寧に吹こうという意識が働きすぎる感じもあるけれど、まずはベーシックなものとしておすすめ。

初期のキング盤を1枚にまとまってて、音質もまったく申し分ない。コロムビア盤もいいけど、利便性と愛着から。


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