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久しぶりに「夢」ができたという話

「将来の夢」



そう聞くと、反射的に小学生、中学生の卒業アルバムを思い出す。あるいは教室の壁にかけて並べられた毛筆の字。そこに自分が何を書いたかは思い出せないのに、それが載っているアルバムのレイアウトだったりとか、誰々の字が上手だったとかはしっかりと思い出せる。不思議なことだ。今、旧友とアルバムや当時の教室を振り返ってみると、馬鹿馬鹿しくて笑えるのだろうか。それとも、純粋すぎて切なくなるのだろうか。


高校生、大学生、そして社会人になると、自然と「夢」という言葉を口にする機会が減っていった。どうしてだろう?高校生、大学生の頃なんて嫌でも進路について考えさせられた。その度に「将来の夢」を浮かべる時間なんて山ほどあっただろうに。でも、その理由が何となく分かる気もする。きっと、歳を取るにつれて"知っていること"が増えていくからだ。大人になるというのは、きっと、現実主義になることと重なる部分が大きい。小学生、中学生の頃に、馬鹿みたいに楽しげに想像した自分像が、いかに愛でたいものだったのかを痛感する。そして、そんな大きな理想に対しても、「俺ならできる気がする…!」と漠然とした、けれども輝かしい期待や自信を持って向かっていた自らの姿を思い出すと、何とも言えない気持ちになる。決して『叶わない夢なんてないんだ!』という綺麗事を真に受けていたわけでもないんだろうけど、あの頃の自分は自身のことを本気で「特別」だと自覚していたんだと思う。ただ、これがきっと誰しもが経験したことのあるものなのだということも、歳を重ねるうちに分かってきた。



才能、センス、ステータス、運、そして、努力。「夢」が叶うための要素はそれ以外にもたくさんあるのだろうけど、そのような要素を自分はこれっぽっちも持っていないんだということを自覚して以来、あまり自分に期待することがなくなった。そして、大学への進学、そして就職といった人生においてとりわけ大きな選択に対しても、「希望」ではなく「妥協」で臨んでいた。そして、それは今や当たり前になっている。将来のことを考えることはあっても、そこに「夢」という舞台は現れない。きっとこれからも何かしらのライフイベントが起こるのだろうけれども、それに対して好意的でもなく、かといって特に悲観的にもならず、ただ、冷めた目線で眺めているだけだった。





そんな平行線の毎日を送っていた時、ふと、目の前に「夢」が現れた。
何がきっかけなのか、明確には自分でも分からないけれども、その感覚には久しぶりに出会った。目の前に現れたそれを「夢」と判断するのに少し時間がかかったぐらいだ。けれども、はっきりと、冷めた目を瞑って、「夢」だと認めることができたのだ。




そもそも、「夢」ってなんだろう?
大人になった今、子どものことに習った「夢」という定義が少しずつ霞んできている気がする。
『「理想」とはどう違うのか?』
『それが叶ったら必然的に幸せになるのか?』
『叶えるためにお金はどれだけ必要か?』
そんなことを子どもの頃に考えた覚えはない。
一方で、大人になった今でも、「夢」という言葉に対して子どもの頃に抱いた感触と同じものを1つだけ持っている。



それは、「興奮」だ。
「夢」を思い浮かべた時のワクワク感。
大人になって暫く眠っていたその感覚が、この間ふと芽生えたのだ。
鏡を見ていたわけではないが、きっとその時の自分の顔は微笑みで満たされていたことだろう。まだ叶ってもないのに、とても幸せな気持ちになった。







さて、その「夢」とは何なのか。
もしかしたら気になる(気になってくれている)人もいるかもしれない。




けれども、今回それをここに書くつもりはない。
(期待してくれていた人がいたなら、ごめんなさい。





『自分の夢はなるべく多くの人に知ってもらった方が良い』という名言を聞いたことがあるが、今の自分にその必要はないと思う。それはこの言葉を信じていないというわけではないし、きっと本気で叶えるなら多くの人に公言した方が近道な気もする。でも、それをしないというのは、決して叶える気がないというわけでもないし、『そんなの無理だよ笑』と笑われるのが怖いわけでもない。




単純に、今は想像の範疇にしかなく、準備も努力も何一つ始められていないからだ。
その準備や努力がそこそこに進んで、知識やプランが整ってきたら、その時にブログ等で公言できたらいいと思う。
そして、同じ感性を持った人と話がしたい。話を聞きたい。
このブログが陽の目を浴びることなんてないんだろうけど、それでも見てくれる・読んでくれる人の中で、この「夢」に携わりたいという人が1人でもいれば、ワクワク感は膨れ上がる。



この「夢」は子どもの頃に抱いたような輝かしさは孕んでいない。



細々と、温かく、叶えるための「夢」である。





何年後、何十年後になるか分からないけど、温かくて優しい人たちと一緒に、社会の隅っこの方でこの「夢」を実現できますように。






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