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自分が今できること

何が本当か、どうなるか「分からない」から不安になる

テロや戦争といった出来事が地球上で起きる度に
毎回、「どう考えたらいいんだろう?」と悩む私。

無力さを突きつけられて、自分の足元が
揺らぐような気持がしてきます。
自分への疑いを起こしそうになる。
「こんな平和な場所から何を言っても嘘くさくないか?」
「アメリカの同盟国だし」
何故か、戦争が終わったわけでもないのに
既に心が侵略者に敗北しそうな気さえしてくる。
「結局シリアみたいになってしまわないだろうか?」

情報においては一旦置いておかねば、判断できない。
分からないことが多すぎて、「何が本当か」を
判断できないために揺らぐ。
「どうなるか分からないから」不安が大きくなる。

こうして、根本的なところをひっくり返そうとしてくる
出来事に、あまりにも無知な自分は分からない故に
余計に悲観に暮れそうになる。

自分の中の揺るがない価値観

こうした流れの中で、重要だと感じたのは
自分の価値観を持っているかどうかだと思いました。
私は、「命を奪うこと」は許されないと考えています。
だから戦争は反対です。
この一点だけは揺らぐことがないです。

こうした自分の揺らがない価値観があることにより
希望を失わせ、不信感を与えようとする出来事に対し
抵抗する力が自分の中で生まれる。

テロもそうですが、争いを起こすことにより
私たちの価値観を根本から覆そうとします。
911の後CIAが拷問を行っていたというのは、
まさにテロへの敗北に他ならない。
フランスでテロが起きた時、フランス国民の方が
普通に遊びに行っていてインタビューに答えていました。
どこへでも行きたいところへ行く。それをやめたら
あいつらに負けたことになるからだと。

普段から私たちは戦争はだめだ、とかそういう
価値観に対し、試されていることを感じています。
私もテロリストが画面に出てくると毎回信じられないほどの
怒りを感じるのですが、その度に、この負の感情こそが
こいつらの目的じゃないかと冷静にするようにしています。

私たちの中を負の感情でいっぱいにして、
あいつらを殺せ!排除しろと言わせたら向こうの勝ちです。
希望を失ったり、私たちがこれまでに大切にしてきたものを
見失うようなことは相手にとって都合が良い。

私はプーチンに対して腹立たしい思いが湧き上がってくる。
しかしそれはウクライナに侵攻する前からそうでした。
そのことも今回の注目度と同じように、知られた方がよいと
感じています。シリアやイエメンなどの当事者は今
ウクライナに関心が高まっていることをどう見ているのか?
と想像します。

ロシア寄り批判は悪影響。誰もが偏っている。

戦争について出てくる情報は、ウクライナの物、西側諸国の物
そしてロシアの物、全てを見れた方が良いとは思うのですが、
見ても安易に判断を下さない冷静さが必要で難しいかもしれない。
強い感情を伴う動画などが、本当かどうかも分からないから。
それに精神的にもあまり見すぎると良くないでしょうし。
事実は分からないので、徐々に時間が経って分かってくることも
出てくると思います。

私は色んな人の見方や主張を見て知って自分なりに
考えていくのですが、SNSなど沢山の人の意見が知れる
機会があるのはとても素晴らしいし学びになるし良いですよね。
一方で「ロシア寄り」とロシア寄りの人を批判するのは
私は違うと思っています。と言うのは言ってる方も何かに偏って
いるから。ほとんどの人が何かに寄ってる。
では寄っている人の意見は無駄かと言うと、全くそうではない。
むしろ、ウクライナ寄りの人の話しか分からない状況だと
思考停止するしかないです。ゼレンスキーに疑いを持っている人が
いても、言いにくい空気を生む気がするのです。
それってこうしたことを真剣に考えている人にとっては
とても悪影響なのです。

プーチンが悪いのは分かり切っている話ですが、では
プーチン本人の言葉はすべて無意味かというと違う。
本人が話さないと分からないこともあるでしょうし、
日本は西側なのでどうしてもメディア等は偏るでしょう。
政府の意向とか無関係に、メディアは元々偏っているものです。

色んな意見が自由に出てくることが健全ではないかと思います。
どんなものであれ、それを判断するのは聞いた方です。
ただし、あからさまに悪意を向けたものについてはまた
別に考えねばなりません。それはここでの話とは別物です。

議論は意味を共有しないと時間の無駄になる

「アメリカだっておかしい」の議論はおかしいとか
色々な意見がありますが、アメリカは勝手なことをやりすぎてきた
せいで、要は信用を失っているというだけのことでしょう。
そもそもプーチンが悪くない等誰も思っていないのではと思います。

議論において気をつけなければならないのは
「プーチン」について話すにしても、それぞれの話したいことと
プーチンのとらえ方がバラバラなのを、最初に共有したうえで
話し合わなければバトルになるし、論点が互いにずれていて
全然違う話を争いあうので時間の無駄になると思います。

家にいても出来る平和への一歩

パレスチナが徹底的にイスラエルに攻撃されたりするとき、
シリアで化学兵器が使われたとき、など
酷い最低な気持ちと共に、私はいつも
今ここで自分が出来ることは何かなと考えてきました。
そして、自分の周りの人関わる人にとって、
私と関わった瞬間ハッピーな気持ちがするようにしたいと
思ってきました。
今ここで自分が、そこにいる人の気持ちを幸せなものに
できれば、その人から人へと伝わっていくからです。
逆に「これくらいかまわない」が、地球を一周することで
大変な事が起きる。人間は同じ場所で生きていて
動物やあらゆるものとの繋がりの中にいますから、
悪い石を投げればそれが自分に帰ってきた時に
酷いもの酷い世の中になっているでしょうし、
出来ること、ほんのちょっとしたことでも、
温かなものを投げかければ、それが巡っていくことで
全然違った結果になると思っているからです。

もう何も信じられない、希望もないとあきらめそうに
なることもありますが、諦めたら戦争好きな連中の勝ちです。
今平和な場所にいて私たちにできることは
日々の中にきっとあるはずだと思うのです。

私は横になって起き上がれない時もあります。
ただでさえ病気で生きていることで迷惑をかけているような
酷い気持ちがすることも。けれど、横になっているときでも
ネットからアムネスティの署名活動に参加はできる。
横になっていても、オーディブルで本を聞ける。
世界で何が起きているかを知ることは出来る。

知ることは基本だと思います。
知る、考えるだけでも平和の一歩だと思います。
平和と言う言葉に対しすぐに理想だと言う人がいます。
しかし理想がなければどうやって良い社会を築くのか。
それに、「しょせん人間は」は屁理屈です。
歴史を振り返ると人間の愚かさも分かりますが同時に
素晴らしさも分かるからです。

その人間の素晴らしさを信じるのを、諦めてしまうことは
世の中の独裁者にとって素晴らしい事でしょう。
独裁的な考え方の権力者にとってもです。

今回は私の今の考えをざっとまとめた話をして長くなりましたので
目次を入れておきました。



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