妹が小学生の頃、家で勉強を教えていたら三途の川を渡らせそうになった話【note限定記事】
僕には8歳差の妹がいるんだけど
彼女がね、もう勉強大嫌いだったのよ。
(二児の母になった今でも
大嫌いだろうけど)
妹が小学生の高学年になる頃には
僕はもう大学生になってて
実家に帰るたびに
親から勉強教えてやれって
言われたから面倒見てた。
まー、本人はやる気がないし
僕も当時は教育の経験も
無かったから
(僕は教育学部出身じゃなくて
小学校の教員免許も大学卒業後
通信でとった…)
教え方も下手だったんだろうけどさ
一度妹を死なせかけたことが
あったんだよね💦
いや❗️体罰じゃないんだよ‼️
不慮の事故なの❗️
今でこそお互い
笑い話になってるから💧
(ちょっと汚い話だから
ご注意を…💨)
勉強嫌いの天然娘
妹は末っ子だけあって
人の懐に入っていくのが
昔から超巧かった。
なんかのアイドルグループに
入るとしたら
「国民の妹」みたいな
ベタなキャッチコピー
つけられそうなタイプ💨
その分、
「できな~い❗️」って言えば
何でも周りがやってくれる
状況だった。
妹の友達も
「仕方ないな~」って
やってあげることで
お姉ちゃん気分味わってるし…
まあ、よく自分のペースに
みんなを巻き込めるな~って
その独特な人心掌握力は
尊敬に値したけどね✨
多分、周りの子達も
ただの甘えん坊なら
ウザく感じたんだろうけど
彼女の世渡りの巧さと天然さが
そういう負の感情を
打ち消してたんだと思う。
当時流行ったプリクラを
封筒に入れて友達に
送るのに
「プリクラ在住」とか
書いちゃうおバカだからぁ💨
そりゃ
「誰が住んでんねん❗️」
ってツッコみたくもなるよなぁ💧
例えるなら
「甘え」っていう苦味のある紅茶に
「太鼓持ち」というミルクを混ぜ
「天然」という独特の食感の
タピオカを入れた
タピオカミルクティーみたいな
やつなんだよね☀️
夏休みの宿題と妹と僕
僕は大学時代は
盆と正月は実家に帰省するように
してたから
その日も実家でグータラ
くつろいでた。
腹が減ったから外に
昼飯を食べに出ようとしたら
オカンに
「帰ってきたら(妹)ちゃんの
勉強みてあげて❗️」
と頼まれた。
昼飯代出してくれるって
いうから貧乏学生としては
快く了承し、
餃子の王将で天津飯と餃子を
食べて満腹で帰宅すると
妹はソファーで
「嫌や~、勉強嫌や~」と
脱力状態…。
「ほら❗️ちゃんとみてやるから
とっとと今日の分終わらせんぞ‼️」
とクネクネしたまんまの妹の手を引き
学習机に向かわせた。
机の上には夏休みの宿題の
ワークがおいてあるものの
開いてみると最初の数ページしか
できていない…。
「うわっ、これヤバいやろ❗️
今まで何しとったん?」
と聞いても
「だって、わからへんも~ん。」
とタコのようにクネクネするばかり。
オカン…この状態わかってて
僕に任せたな…💧
オカンは当時現役の小学校教員で
当時は自宅研修ってことで
夏休み中も家にいることが
多かったけど
子どもたちの勉強をみるってのは
あんまり家でやることはなかった。
料理人が家ではあまり料理しない
ってのと同じだったのかな?
学力でいうと4つ年下の
もう一人の妹の方が
頭良かったんだけど
できない子の気持ちが分からない
ところがあったから
僕にやらせた方がいいと
踏んだんだろう。
もう、天津飯と餃子食べちゃったし
仕方がない。
僕はこの日、妹の宿題を
ガッツリみてやることにした。
その日妹はお花畑をみた❗️
まずは算数から
勉強を教えようにも
問題を読む前から
「わからへ~ん」
と言っていっこうに進まない。
今でこそ
何問以上正解だったら
晩飯のおかず
一個譲ってやるとかって
モチベーション上げさせたり
考えやすい数値に直して
絵に書いて教えてあげるとか
色々やったんだろうけど
当時の僕は教育素人。
つまんない教え方しかできないから
ただただ時間の浪費になっていた
だんだん
「わからへ~ん」の声も
少なくなっていき
まぶたが重くなっていく妹。
「しっかりしろ❗️」と
声をかけ続ける僕。
その時だった…
満腹の中、じっと座っていると
お腹が苦しくなってきた。
明らかに昼飯食べ過ぎた…
餃子は要らんかったかな~。
ウトウトする妹
ムカムカする僕
辛抱たまらず僕はおもいっきり
ゲップをした。
ほぼ同時のタイミングで妹は
眠気から大あくびをした。
すぐ横で妹は
餃子風味の僕のゲップを
盛大に吸い込んだのだ❗️
妹は今までの眠気が嘘のように
目を見開き、
「ぐふぉ~っ…しむっ…しむぅ~💨」
と悶絶した。
名探偵コナンで、
被害者が毒殺される時の
リアクションみたいな
あまりにも大きい反応で
妹には悪いが大爆笑してしまった。
性格の悪い兄貴でゴメン💦
「おぎぃじゃん…いぎでけへん…
いぎでけへん…」
(お兄ちゃん…息できへん
息できへん)
なんて過呼吸気味に言うもんだから
さすがにビニール袋を用意して
背中をさすって落ち着かせた。
落ち着いた妹は
「ありえへん…ありえへん…」
と目に涙をうかべていた。
結局その日の勉強はほとんど
進まず、
学んだことは餃子のゲップは
凶器になるということくらいだった。
もっと勉強への入り方を工夫すればよかった
今でも妹は当時の話をすると
「お兄ちゃん、
アレは最悪やったで~💢」
と笑いながら話す。
もう20年くらい前の話だからね。
今は息子に勉強を教えても
クネクネすることはない。
勉強を始める前に
「めんどくさい~」
なんて言うときもあるけど
一度机に向かわせてしまえば
こっちのもん❗️
息子がしっかり切り替えができる
ってのもあるんだけど
僕自身も妹に教えていた頃より
ノセ方、教え方も成長してるから
同じようなことにはならない。
勿論、自画自賛ってのではなくて
妹や教員として教えてきた
子どもたちのおかげで身に付いてきた
ものだから本当に感謝してる。
結局、僕が今ウリにしてる部分だって
最初は全くダメダメだったんだ。
苦手だから無理と何かを
諦めている人には
マイペースでいいから
継続してみてもらいたいし
家で勉強教えられないから
どこの塾へ行かせようかって
考えてるパパ・ママは
まずは一日15分。
難しいなら週に一回でも
自分で教えるのを続けて
みてもらいたい。
改善すべき部分は
失敗が教えてくれるから❗️
学校の現状を知っている人間が 教育について行動をおこしていかなければいけない。 子どもたちの学校とは異なる居場所を 作っていかなければいけないと活動しています。 記事を読んでいただき、 僕の思いに共感・賛同して いただけるようであれば サポートしてくださると嬉しいです。