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音楽と心理学が人生を変えた物語。【黄昏に咲く虚ろな青春】


申し訳ない気持ちが、心を蝕み、共演者の演奏が輝いて見えた。
目の前には素敵な音楽も、カフェのメニューもあるのに、
何も見ることができなかった
残念な結果の後には、残念なフィードバックが返ってくる。
「大丈夫だよ。次頑張れば良いさ。」
こんな情けをかけてくれる人。
「酷かったね。正直言って聞くに耐えなかった。」
こんな非情採点をくださる人。
正直言って、自覚がある分、率直な後者の方が嬉しい。
変に情けをかけられると、本当に情けなくなるから堪らない。
イベント自体は無事に終え、他のみんなが素晴らしかったから、
上手く俺の存在が薄れた形になった。
なんとか挽回をしたかった。
スクールの方から提案されるライブは、ほとんど参加の意思を表明した。
実力もそうだが、場数も足りない。
コインを投げて、一回裏が出たからと言って、そこで止めればただの敗者。
次に表が出るかはわからないが、やってみなければ成功はない。
そこから毎月、最低一本はステージに立ち続けた。
最初の頃は同じ失敗をしたり、調子が良かったりと
波が激しく、自分自身の起伏振り回されてはいたが、充実はしていた。
気がつけば一年が経ち、俺の中では、変化が感じられなくなった部分があった。
意を決して、視野を広げて感性を養うために、
二週間だけ、旅に出ることにした。
ただ練習するだけでは、変わらない部分もあるだろう。
全く違う世界を見るために、夏にカナダのトロントに渡った。
生まれた時から、曲がった事が大嫌い。
それ故に、最初にこうと決めたら、曲げない意固地な部分がある。
おそらくこれが、音楽には足かせになっているのかもしれない。
様々なことに偏った考え方を持っていること自体に、違和感を覚え始めた。
異文化に触れ、多文化に触れる。
それこそが手っ取り早い変革なのだと信じて、初めて日本以外の地に降り立った。
日本の夏は30度が当たり前。湿度も高く、空気がへばりついてくる。
しかし、ここはどうだろう。20度程度だろうか。
半袖でいるのが少し苦痛と感じるくらい、季節感が違った。
見たことのない景色。母国よりも空が広く感じる。
透き通った空気に乗って聞こえてくるのは、ほとんどが英語。
意外にも日本車が走っている。
ホームステイの申請をしていたので、送迎車に乗って向かう。
全てが新鮮だった。
眼に映る一面が全て、映画のワンシーンかのように思えた。
ホームステイ先に到着し、迎えてくれたのはフィリピン人のホストファミリー。
これから始まる、数日間に未来の予測なんてできないくらい、高揚していた。

家に着いてからは、すでに夕食の準備がされていた。
なんか変な感じだ。機内食ではさっき夕飯だった気がする。
これが時差というものなのか?
カナダの料理とフィリピンの料理のマッチング。
見た目はなんだか、不思議な感じで、とてつもない量が盛られていた。
案内された席の隣には、アジア系の女の子が座っていた。
そこで残念なお知らせだ。俺の顔を見た瞬間、顔を背けられた。
何か付いているのかと思ったが、明らかに顔が怪訝そうな気がする。
そして聞こえてしまった。小さな声で。
"I don't like Japanese."
わざわざ母国語ではなく、英語で呟くなんて。
どうやら日本人が嫌いらしい。
俺は料理を粗末にしたり、残したりするのが昔から嫌いだったから、
いつもの倍はあった山盛りの試練を見事に平らげた。
日は落ち、夜も更けたので、家庭内のルールを説明してもらい、
長時間のフライトの疲れを癒すことにした。
二日目の朝。時差ボケだろうか。
あまり眠れなかったので、リビングでぼんやりしていると、
「今日は、庭で歓迎バーベキューをするわよ。」
重たい頭をなんとか体で支えて、澄んだ青空の下に顔を出した。
ホストファミリーはお父さん、お母さん、双子の娘二人。
そして、俺が嫌いな女の子。名前はチェリー。
他にもチリ人の女性が二人いるらしいのだが、あまり家に帰ってこないらしい。
カナダはサーモンが有名だ。
バーベーキューの網の上には、
そう言った魚介と肉や野菜がたくさん焼かれていた。
ーーーああ多分、この数日間で俺は人生で初めて太るかもしれない。
これに共感してくれたのか、チェリーも食材を見て苦笑いしていた。
団欒を楽しみながら、カナダのこと、日本のこと、そしてチェリーの中国のこと。
それぞれの母国の文化や言語、将来の夢なんかを語り合った。
お互いのことを話し合えば、自然と距離は縮まるらしい。
数時間してやっと、チェリーから笑顔がこぼれ始めた。
カナダの街のことを知るために、一度散策へ連れて行ってもらい、
異文化に密に触れることができた。
帰宅してからは、夕飯の食卓の準備だと言って、
俺とチェリーは二人で手伝いをした。
少し打ち解けられていたので、
社会的に対立関係のある我らの国について話し合うことになった。
「ごめんね。誤解していたわ。日本人のイメージ。
お父さんが、日本のこと嫌いだったから、頭が硬かったのかも。」
「いやいや。俺も中国人と話したことなかったし、分かり合えてよかったよ。」
不自然なわだかまりは、自然と消え、意外とすぐに仲良くなれた。
知らない土地で、生まれる新しい感情。
未知に満ちた世界に足を伸ばす。

次の日からは、語学学校に通い始める。
前日に準備をして、寝床に着いたわけだが、
これがどうも眠れない。驚くほど目が冴えている。
時計の設定を現地に変えていなかったから、日本時間のままだった。
午前10時。そうか、これが時差の恐怖か。
色々施策を講じてみたものの、結局日が昇り始めるまでは眠れなかった。
そしてこれが問題だった。
日が昇ってから眠り始めたせいで、起きた時には出発の時刻を過ぎていた。
焦って起きるが何かおかしい。体が重いし、目が回る。
その場を30分近く動けなかった。
しばらくして、なんとか重たい体を動かし、学校に向かった。
せっかくの知らない土地なのに、景色に集中できない。
到着して、諸々の手続きも朦朧としながら、
あっという間に、初登校が終わってしまった。
観光もしたかったけれど、諦めて家に帰ることにした。
俺はいつも自己管理が甘い。悔しい。
旅とは言えど、気合を入れなければならない。
そう奮起して、ゆっくり休むことにした。
翌日。完璧な体調で目覚め、完璧に登校することに成功した。
道端を駆け回るリスや、大きな犬を連れて歩く現地の人。
日本とは勝手が違うバスや電車の雰囲気。
一番驚いたのが、見ず知らずの人でも会話が始まる街。
英語力の乏しい俺にも、話しかけてくれる人たちに一喜一憂していた。
トロントの都心は、東京のそれとは違う、
品さえも感じるほどの近代感を醸し出していた。
少し歩けば、英国植民地時代の名残が感じられる建物もあり、
風情を詳細に描いたような街並みだった。
トロントには5大湖の一つ、オンタリオ湖が存在感を放っている。
そこに浮かぶ島から見えるダウンタウンに聳え立つCNタワは壮観だ。
トロントの街を二日かけて歩き回った。
それだけ動けば、夜に現れる大量の料理も朝飯前だ。
路上で歌うミュージシャンや大道芸人、絶賛開催中のお祭りの
賑やかな記憶を思い出しながら、素晴らしい毎日を送る。
チェリーとは、日に日に仲良くなる。
仲良くなるというか、距離が近い。
英語での会話も慣れ、家にいるときは常に一緒にいて、
お互いの話を何時間でも楽しんだ。
こんなにも人と触れ合うのはいつ以来だろうか。
それを海を越えたこの地で味わえる喜びを噛み締めた。
刻一刻と近づく別れの時間を惜しむように。

この旅を一言で言うと、壮大だった。
どこへ行っても、見たことの無い景色ばかり。
澄んだ空気が心地よくて、毎朝通う道にはリスが走り回っている。
授業で使える言葉は英語だけ。
母国語を全く話さない生活は生まれて初めてだ。
ホームステイでは、みんな違う国から来ていて、
文化を超えて、一つ屋根の下で過ごす時間はかけがえのないものになった。
人間は、新しいものを感じると時が止まったように感じる。
日本での同じことの繰り返し、当たり前が当たり前では無くなって、
瞬きをするだけで、新鮮なのだ。
あっという間ではなくて、一週間が何年もの歳月に感じた。
それほど濃く、嬉々として欲張れることができた。
そして、ついに別れの時間。
仲良くなったばかりなのに、離れなけばいけない現実を受け止める。
一人一人とハグをして、思い出をより深く刻み込む。
最後のチェリーとは、少し長く触れ合った。
離れた後の、寂しそうな彼女の表情が忘れられない。
空港へ向かう電車の中から望む景色は、哀愁に満ちていた。
憂を帯びた、窓越しの瞳は、明日を見つめる準備をしていた。
空へ発つ。また海を越える。
狭い世界から飛び出した俺は、いつもより手を伸ばした。
日本に帰ってからは、目まぐるしく日常が変化した。
曲は死ぬほど書けるし、歌も上手くなった気がする。
気がするだけでは、まずいから、戒めながら歯を食い縛る。
ただ外へ飛び出しただけなのに、
周りからは、音が変わったねと驚かれた。
それから数ヶ月、研鑽を重ねて、年を越したある日。
「 CD作ろうか。」
お世話になっていた先生と、エンジニアの先輩が
その一言を投げかけた。二つ返事をするに決まっている。
自信があったわけではないけど、自分の音を形に残せることが嬉しかった。
トントン拍子で進行し、夏前には無事に制作を終えた。
物事はそんなに上手くはいかない。
約20年間で死ぬほど学んだつもりだった。
そして案の定、上手くいかない。
売れ行きは怪しく、自分を否定される気持ちに苛まれてしまった。
過去を責める癖が治っているわけでもなく、
自分の感情の浮き沈みに、苛立ちさえ覚えてしまった。
そんな中、俺が通うスクールで音楽の趣味が合う、
一人の女の子がいた。
帰国子女という彼女は、美しい容貌で、性格はすこぶる明るい。
俺とは真反対に存在する人ではあったが、よく話しかけてくれていた。
そして、夏を迎えたとある日に、街のレストランで、
人生を語り合うことになる。

彼女の名前は、ひな。
冴えない見た目を大改造してくれるとかで、
太陽のような彼女と市街地を訪れた。
実を言うと年下なのだが、本当に面倒見がいいと言うか。
彼女知り合いの美容院へ連れられ、容姿にメスを入れるよう、指示を出す。
1時間後、俺は見違えるほどの変化を実感した。
いつもと違う自分に少しくすぐったい。
高校1年までは、見た目に気を使っていたけれど、
それ以降は特にどうでもよくなって、自分自身を放置していた。
変革のチャンスを与えてもらえて、本当に嬉しかった。
俺はお礼に、食事を奢らせてもらった。
街の小さなイタリアン。
こういう店にも来ることはないのだが、彼女にはそれが似合う。
「あんまり人いないね。ゆっくりできそう。」
その言葉を合図に、二人は席に着いた。
「今日は、というか、いつも本当にありがとう。気にかけてくれて。」
「いいのいいの。なんだか放っておけなくって。」
年齢というのは、あくまで生まれた順であって、
人間性の成長には特に関係がないことを思い知る。
大人びた様子に、尊敬すらしてしまうほどだ。
料理を食べている間は、お互いの音楽活動や
所属している組織の話、将来の話をした。
音楽をやっていくことは決めていたが、
この先どうやって動いていくかは決めてはいなかった。
その点彼女は、すでに行動していて、上京することも視野に入れていた。
全てにおいて、俺とは違う。やっぱりすごいな。俺なんて。
いつもの否定的な感情が現れる。表情には出さないように気を付けたつもりだ。
「ねえ。どうしていつもそんなに自信がなさそうなの?」
突然の質問に、拍子抜けした。
「え?そうかな。うん、確かに自信はあるわけじゃないけど。」
彼女の眼は真剣そのものだった。
「人生って、常に前を向いていないといけないと思うの。
後ろを振り返ったって、何も得られないし、楽しまなきゃもったいない。」
楽しんでいないわけではないけれど、前を向いているかは怪しい。
自分自身のことを振り返りながら、言葉にたじろいだ。
「うーん。なんか恵まれてなかったからかな。
結構昔から否定的な考え方になってしまう。」
「良ければその話聞かせて。私もそれなりに人生を生きてきたから。」
俺は他人に、自分の過去を話したことが一度もない。
小学校から始まった家庭崩壊についても、
たくさん邪魔になった、自分の障害も。
そもそも今後の人生で話す気が全くなかった。
何故かって。それは恥ずかしいからだ。
親の借金、不倫、DV。狂っていく家庭内の惨状。
友達も少なく、大学に至っては、未だに一人もいない。
とにかく恥ずかしいと思っていた。
思っていたのに、彼女の表情を見ると、ついに口が緩んでしまった。

俺は、自身で不遇だと思って生きてきた人生の一部を
飾ることなく、彼女に語った。
自分の口から耳に届く、まるで他人の物語のような過去は
おどろおどろしく、心を引き裂いてくる。
途中で止めてしまいそうになる欲望が、
彼女の返事を聞くたびに、収まってしまう。
全てを話した。どんな反応が返ってくるかは不安だった。
けれど、今まで心の内に留めていた痛みは、
なぜかスッキリと洗い流された気分になった。
「そっか。大変だったんだね。
なんだかあなたの音楽から感じるものと一致した気がする。」
そして彼女は笑った。
「私ね。昔留学したことがあるんだけど。ーーー」
俺の話を受け止めた後、ゆっくりと話し始めた。
その声のトーンは明るくて、
その様子でむしろどんな話が始まるか想像できなかった。
ーーー
それから2時間くらい話したのだろうか。
時間感覚というのは、曖昧だ。
彼女の物語は、正直言って、俺の胸に深く突き刺さった。
人の過去はどんなものであれ、比較なんてできない。
けれど、俺は無意識に他人との比較をしてきた。
そして、その比較は無意味だと思い知った。
「ーーーこういう経験をしてきて、
だから、今はポジティブでいようって思えるんだよね。
ううん。前を向かなきゃ、前には進めないんだよ。」
人通りのある街並み。
きっとそこに歩いている人のほとんどが、この場所で語られる話を
自分のものとして経験していたら、心を引き裂かれるような思いになるだろう。
それほど衝撃的だったのだ。俺の存在が霞んでしまうほどに。
「あなたも前を向かなくちゃ。確かに辛い思いをしてきたのは伝わるよ。
相当な我慢で、過ごしてきたんだと思う。」
「うん…」
「けど、後ろを振り返ってる暇はないんだよ。
今目の前にある、音楽がそう言っている。
音は、今この瞬間に響いているものが、現在地を示すんだよ。」
胸が締め付けられる思いだった。
俺はなんて小さなことで、いちいち後ろを振り返っていたのだろう。
人それぞれ感じ方が違うのはわかっている。
けれど、目の前でこんなに輝いている人の姿を目にすれば、
暗闇から抜け出したくなるのは、必然だ。
そしてこの瞬間、本当の意味で、時計の針は動き出すのだ。

どれくらいの時間がたっただろうか。
店に入ってから、5時間くらい経過していた。
ここ数年、人と会話する機会に恵まれてこなかったから、
とても新鮮な気持ちで、過ごすことができた。
「落ち込む暇はないんだからね。将来のことも考えなくちゃ。
せっかくいい曲をかけるのに、自信がないのはもったいないからね。」
さりげなく褒められた。照れ臭い。
「なんだか本当にありがとう。勇気をもらえたというか。
話せて良かったよ。ここ最近で一番嬉しい出来事かもしれない。」
大げさな表現なんかではなかった。
店を後にし、それぞれの家路に着いた。
帰りの電車の中で、移り変わる景色を見ながら、
窓に映る顔は、少し微笑んでいる気がした。
数ヶ月経っても、あの日のことは忘れなかった。
ただ一回、心を打ち明けただけなのに、深く記憶に刻まれる。
曲を書く時、歌詞を書く時、ぼーっとしている時。
夢の中でも、何回も巡った。
夏に突入する少し前に、初めて県外で歌うことが決まった。
スクールに所属する一部の実力者たちが厳選される。
期待なんて微塵もしていなかったのだが、なんと選ばれた。
こんな不意打ちには驚いたが、少しは力がついたのだと嬉しくなった。
俺は見違えるほど成長していた。
奏でる音楽の一曲一曲に込められる感情は、より深くなり、
歌っている時には、たじろぐことなく、堂々とする事が出来ていた。
根本的な性格が変わったわけではないけれど、
たった一つのきっかけが、視界を180度も良化させた。
将来、どこへ向かい何をするかも決まり始めていて、
それをひなさんと話したくてしょうがなかった。
その後、県外でのライブは無事成功を収め、
また自信に繋がる大きな一歩となった。
この音楽の旅には、ひなさんも同行していたが、
他にも何人か参加していたため、二人で話す機会はなかった。
地元に帰ってきて、数日が経った頃、その機会は与えられた。
「俺は上京する決心が着いたよ。このままここにいては安心しすぎてしまう。
もっと挑戦して、もっと色んな人に出会いたい。」
長年連れ添った親友と会話をするように、思いを吐露した。
「そっか。前に進むんだね。」
彼女は微笑む。その姿にいつも魅了されてしまう。
「実は私も、上京することに決めたんだ。
あなたはいつごろ東京に向かうの?」
「俺は、来年の春頃かな。決めたことはすぐ実行しないとすぐ怠けちゃうから。」
彼女は再び微笑んだ。
「奇遇だね。私もそのくらいの時期にしようとしてたんだ。」
彼女は人に合わせて動くタイプではない。
とても自由な人で、自分の決めた道を進む人だ。
俺に合わせたわけでもない。けれど嬉しくてたまらなかった。
同じタイミングで、目標のための一歩を踏み出し、
また違う場所で、出会う事が出来る。
それだけでも、未来は明るいと錯覚できるほどに、希望に満ち溢れていた。

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