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香港でのその後の展開と初めての上海

前回書いた初めてのポップアップショップ(2015年5月)が先方の期待値を越えていたのか、はたまた、とりあえず試しにもう一度だったのかは定かではないが、その年の12月にも運よくチャンスをもらうことができた。その際は、前回の事もあり、個人的にも少しは売れる自信があったので、2週間でチャレンジする事とした。更には、前回の香港で気を良くしていた僕は、たまたま上海で知り合いが和雑貨店を運営していることを知り、そこでもほぼ同じタイミングで2週間のテストマーケティングをすることとしていた。しかも、上海も香港と同じ、もしくは、むしろ上なんじゃね、くらいの完全にイメージだけで、実施を決定していた。あろうことか、現地の下見もせずに・・・。それが、その後の様々な不幸につながっていくことになろうとはこの時は1ミリも思っていなかったのであった。更に、上海は、テストマーケティングすら終わっていないのに、別ルートで翌年の2月上旬の春節、日本で言うところの正月の初売りのタイミングで日系の百貨店での11日間のポップアップショップと、3月中旬の1週間の催事への参加も決めてしまっていた。今思えば、この時の僕は、5月の香港でのちょっとした成功で気を良くしてしまい、「海外(特に中華圏)=売れる」というほとんど根拠のない、大きな誤解をしていた。更に、上海は香港よりも人口も多く、中国全体としての経済成長も著しかったので、その誤解に拍車をかけてしまっていた。

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そして、12月、香港を皮切りに上海もスタートした。香港は、12月のクリスマス商戦の真っ只中の百貨店という事もあってかなりの集客があり、滑り出しも好調で、あっという間に前回の売上をクリアした。これで更に気を良くし、意気揚々と上海に乗り込んだのであったが、そこで想定外の事態に遭遇した。売場にほとんどお客様が来ないのである。場所はローカルの高級百貨店地下の高級スーパーに隣接する和雑貨店であった。百貨店全体は香港同様クリスマスムードで盛り上がっており、スーパーもそれなりの集客があるにもかかわらずだ。最初は何が起こっているのか理解できなかったが、冷静に観察してみると、徐々にその理由が明らかになっていった。そのショップのすぐ脇がバックヤードに続く通路となっており、更にその通路を挟んで向かい側がスーパーの野菜や果物売場となっており、とにかく寒いのであった。しかも、商材としての関連性も薄いため、スーパーの買い物客も通路の向かい側からチラ見して、早々にスーパー中央のクリスマスムード漂う温かいエリアに引き返していくのであった。現地視察していれば、一目瞭然とまではいかなくても、おそらく気づくことができ、少なくとももう少し暖かくなってからのタイミングにズラす、もしくは実施を見合わせていたのは間違いない。この痛恨のミスを起点として上海は明らかに負のスパイラルに巻き込まれていくのであった。

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それはさておき、好調の香港はと言うと、その後も順調に売り上げを伸ばし、気が付けば2週間でなんと日本円にして400万円以上を売り上げていた。スペース的には通路の一部程度の狭いスペースでしかも商材は箪笥だけで、である。monmaya+(モンマヤプラス)と言ったデザイナーズラインも展示はしていたが大半が従来型のmonmaya TRADITIONALでの売上であった。販売員も不慣れな点が多く、しかも上述のようにスペース的にも微妙なため、ぶっちゃけ売場としての完成度は高くないにも関わらずだ。これでまた一気に香港熱が高まり、勢いで翌年3月の2週間の開催も決定してしまっていた。

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更に、この時の開催においては、その後の商品開発へと続く大きな気づきを得ていた。それは「拭き漆」と言った比較的簡便な技法の定番化である。本来仙台箪笥は、「木地呂塗り」と言った、より手間のかかる技法が主流であったが、monmaya+の開発の際に製造コストを下げる目的もあり、「拭き漆」もラインナップに加えていた。そして、それがたまたま香港で展示しており、それを見たローカルの方の反応が「木地呂塗り」と比べても、決して劣らない、むしろ人によっては価格的なことは関係なく「拭き漆」の方が好きと言う方も思った以上に多かった。日本ではあまり見られない反応のため正直驚いたが、色々とリサーチしてみると、中華系民族は「木」が総じて好きなため、より木質感と木目の躍動感を味わえる「拭き漆」を好むという事に気づいた。一方で、日本人は「木」も好きなのだが、それ以上に「漆」の艶やかさにありがたみを感じる方が多いが故の反応なのではないかという事にも気が付いた。このことをきっかけに、今後の海外展開も見据えた結果、今までは一部商品以外では定番ではなかった「拭き漆」を全商品において定番化した。

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さて、問題の上海である。その後も全く動きがなくあっという間に2週間が過ぎていた。先方も悪いと思ったのか、2週間の延長を打診され、売れる気配は全くしなかったのだが、このまま引き下がる訳に行かないので、消去法で延長を決めた。もちろん、僕は帰国したが。
そして、結果はある意味想定通りで、全く売れなかった。商品はそのまま全て、次回の日系百貨店でのポップアップショップまで和雑貨店の倉庫行きとなった。

日系百貨店でのポップアップやその後の残念な事の顛末等は次回以降で書かせていただきます。


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