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香港での初めてのポップアップ

2015年3月のグッドデザインストア香港における展示販売会をきっかけに、実施にこぎつけた香港そごうでの5月初旬のポップアップショップ。今となっては考えられないくらい短い僅か1週間の開催であった。しかしながら、その頃は、国内外含めて散々期待を裏切られてきたので、この時もそこまで期待しないようにしていた。そのため、パッとやって、サッと帰る、1週間くらいがダメでも凹まないしコストもかからないのでちょうど良いくらいに思っていた。その時の心境を考えると確かにそんな気になってしまうのも仕方ないのだが、今からしてみれば明らかに機会損失を産んでいる。やはり、マーケットポテンシャルを見る上では最低でも2週間、可能であれば1ヶ月以上はやるべきである。なぜなら、短期間だと結果が出なかった場合、期間やタイミング等のせいにして、諦めきれずにその後、何度も同じように短期間でダラダラとやることになるからである。それよりもある程度の時間とお金を最初のタイミングで投資した方が結果的に時間もコストも節約できる。そして、何よりも売れる可能性が格段に上がる。犬も歩けば棒に当たるではないが、海外、特に中華系民族の多い国においては、日本では信じられないような買い方をする、まさかのお客様が思った以上に出現する。しかしながら、こればっかりはタイミングなのでいつ来るかは解らないので待つしかないのである。もちろん、来ないこともあれば、初日に来ることもある。いずれにせよ、こちらでコントロールできる事ではないので、やると決めた以上、腹をくくって、ある程度の投資はしないとかえって多くを失う事にもなり得る。

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ところで、肝心のポップアップはと言うと、百貨店の集客力が想像以上に強く、初日からたくさんのお客様で賑わっていた。更には、以前に書いたPMQの時とは違い買い物、特に日本の良い品を求めてきているお客様が多いため明らかに売れそうな気配が漂っていた。しかしながら、気配が漂っているからと言ってすぐに結果に表れるものでもなく、良い感じの商談になり、あと一歩と言うところまでは来るものの、中々決まらなかった。もちろん、何一つ売れないと言うわけではないが、そこまでたくさん売れるわけでもなく、こちらとして売りたい高単価な物が売れるわけでもなかった。今から考えると、海外でのガチの売場や思った以上に熱のこもった価格交渉等、初めての事だらけで、個人的に手に汗握る状況となり、結果、こちらの対応もイマイチだったことも影響していると思う。そして、数日が経ち、いよいよ終わりが見え始め、諦める準備をし始めた頃に、遂に神風が吹いた。

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小箪笥のまとめ買いである。日本では通常1棹づつしか売れることの無かった小箪笥を一気に3棹買うと言うのである。もちろん、だから安くしろと言うハードな価格交渉つきではあるが。小箪笥のまとめ買いなど想定していなかったためテンパりつつも何とか価格交渉も乗り切り、遂にご成約である。値引きもあり結果的に、日本円にして60万円程度ではあったが、当時、まだウブだった僕は「これが、爆買いか」と感慨にふけったものである。今からしてみれば、金額も個数も大したことないのだが、できるだけ期待しないように心の準備をしていた当時の僕が、舞い上がるには十分な出来事であった。その後は、特に大きな山はなく、追加でちょこっと売れたくらいで香港での初めてのポップアップは幕を閉じた。結果的に日本円にして100万円も売れていないので、諸々の経費を考えると完全に赤字ではあるが、その当時の僕は、爆買いに遭遇したことで気を良くしてそんなことはどうでもよくなっていた(笑)まあ、初めての海外百貨店でのポップアップだったのでテストマーケティングと言う意味ではそれでよかったのかもしれないが、今から思えば、もっと長い期間、せめて2週間でもよいのでやっていれば少なくとも倍以上は売れていたと思う。なぜなら、日本の百貨店の催事等とは違い、広告やDM等で事前告知があり、お目当てがあってきているお客様がほとんどいない中での、1週間と言うのは、神風を吹かすにしても、お客様が検討するにしてもあまりにも短いのである。マーケットポテンシャルがあればあるほど、果報は寝て待てではないが、ある程度じっくりと腰を据えて待つことが成果につながるのである、という事が本当に今だからよく解る。当時は、先立つものばかりを計算して、できるだけ経費をかけずにやる事ばかりを考えて、結果的に赤字になっているにもかかわらず、爆買いに遭遇したと満足して帰ると言う意味が解らない行動をとっていた(笑)しかしながら、その爆買いに遭遇したことで僕の気持ちが一気に海外、特に香港をはじめとした中華圏に傾いたのは間違いない。

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ちなみに、この時の販売員兼通訳でお世話になったのが、以前書いたPMQで出会った、今や門間屋の絶対的エースK君である。その後の門間屋の海外展開の肝ともいうべき人物であるK君との付き合いはこの時から始まったのであった。

その後の香港での展開については次回以降で書かせていただきます。


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