フランソワーズのこと / 南青山児童相談所問題

季節の風が吹いた時、家で料理をしている時。
何かの拍子にふと何かの記憶が蘇ってきて、そこらをふわふわ舞っている。
そうやって、泡のように浮かび上がっては消えて行く、記憶と共に生きている。


昨日ふと思い出したのは、フランソワーズのこと。
南青山の児童相談所反対運動のニュースをネットで見た後、料理をしている最中。

フランソワーズのことは何度もエッセイで描こうとして、上手く描けたためしがない。彼女の他にも、フランスにいた時影響を受け、今でも仲良くしている女性が何人かいて、いつか彼女達のポートレート集を出したいと思っている。
今夜はそのパイロット版。

彼女達は私にとって、フランス女性、いやフランスの民主主義のとても美しい部分を体現している。彼女達との出会い、様々な語りを通して、単なるオシャレな国のイメージだけでは済まされない、フランスの神髄を見た、と思っている。


フランソワーズと知り合った当時、彼女の二人の娘は16歳と8歳だった。
フリーのデコラトリス(装飾家。舞台の美術やショーウィンドウのデザイナー)として働いていたが、南仏での仕事では二人の娘を養っていくのは難しいらしく、知り合って間もなくしてパリへと上京していった。

南仏にいた頃、「会えますか」とメールすると、いつでも「家にいるから好きな時にどうぞ」と招き入れてくれた彼女。
パリへいくと連絡すると当然のように家へ泊まるように言ってくれた。

パリはご存知の通り、家賃が高く、住まいを見つけるのが難しい。
彼女も探しに探しまわった末、アジア系の多い、パリ南端のアパートを友人と一時的にシェアしているとのことだった。

アパートは三階建てで、一階が共有スペースのダイニングとサロン、二階に友人の父娘、三階の屋根裏でフラソワーズと娘達が寝起きしていた。

シェアメイトは彼女の友人で、美術関連の著作権専門の弁護士であるジャン=ルイと高校生の娘レベッカ。

レベッカは黒髪のショートヘア、いつもドクロマークがデカデカと入ったトレーナーを着て、全身黒づくめ。口数も少なくて、客人(しかも外人)の私とはあまり目も合わせてくれない。

思春期の難しい年頃だし、何となくコミュニケーションがとり辛い。
でもフランソワーズはそんなこともお構いなしに、二人の娘達と同様、レベッカのことも「マ・シェリ(娘や恋人など、愛しい女性に使う呼称)」と呼びかける。

数日フランソワーズの家に滞在していたが、レベッカは外出していることも多く、家に戻ってきても、サロンにいる我々を横目にそそくさと部屋へ入ってしまう。

その頃は、ちょうどクリスマスの前後で、プレゼントに何を送ろう、何をもらった、などとみなが口にしている時期だった。
ある時、サロンにいるとプレゼントをもらったというレベッカがうれしそうに、フランソワーズに見せにきた。
中身は忘れてしまったが、ドクロモチーフの指輪とか、全てがドクロに関するものだったことはよく覚えている。

いつもは無愛想なレベッカも、その時ばかりは顔を真っ赤にして、
「見て、これ。すごくかっこいい。めちゃめちゃうれしい」
と、夢中でフランソワーズにプレゼントを見せていた。
「ワオ、クール!よかったわね、マ・シェリ」
にこやかに応じるフランソワーズ。

「ねえ、ところでマ・シェリ。あなた今週もずっと家にいるの?ここの部屋、もう何週間も掃除してないから、いい加減もうカオスよね。年末の大掃除したいから、あなたも手伝ってくれない?」
「ああ…そうだよね。あさっては?」
「トレビアン!ボンニュイ、マシェリ」
おやすみのキスを交わし合うと、レベッカは自分の部屋へと戻っていた。

その後も私とフランソワーズはサロンに残って話を続けた。話はパリでの生活の大変さだった。
「パリは家賃が高いだけじゃなくて慢性的に部屋が不足しているから、住むところを見つけるのが本当に難航したわよ。子供達の学校のこともあるし。住居が決まって、住民票が手に入らないと転入手続きもままならいし。仕方ないから前の夫の住所を借りたわよ。ここだって、人を伝って伝って、やっとのことで辿りついたのよ」
「でも、適当な場所が見つかってよかったね。ジャン=ルイやレベッカともうまくやっているみたいだし」

そこでフランソワーズが声を潜めていう。「そう、レベッカのこともね。最初はとても心配だった。娘達に悪い影響が出るんじゃないかって。でもね、違った。影響を与えたのはレベッカの方じゃなくて、うちの娘の方だったのよ」

フランソワーズの顔がぱっと輝く。

「レベッカはあれでもね、今は随分落ち着いているの。以前は本当にひどかった。夜中じゅう街を徘徊して、殴り合いのケンカをして、傷だらけになって帰ってきて。最初は、あの子が子供達に危害を加えないか心配だったわ。でもね、上の娘が、彼女に自然に接するものだから。そしたら下の子もそれに習って。一緒に食事をするようになったりして、少しずつよくなっていったのよ」

フランソワーズは離婚している。ジャン=ルイも離婚している。
フランソワーズの下の娘が通っている学校の、十人ほどの仲良しグループも、半数の親が離婚しているらしい。日本と違って「子供のため」と、ダラダラと婚姻関係を続けることは少なく、愛情が冷めるとスパッと別れてしまうケースも多いようなので、複雑な思いを抱える子供というのは多いのかもしれない。

フランソワーズは誇らしげに娘を讃えたが、誰がどうみたってレベッカをいい方向へ導いたのはフランソワーズだと思う。

娘達へと何ら変わらない愛情を、レベッカにも、そして今思えば、外国にいていつも心細さが奥底にあった私にも、周りの者へ等しく注ぐフランソワーズ。
彼女の瀧のような愛情を一身に受けて育った娘たちが、非行に走っていたレベッカとごく自然に接していたと聞いても、何ら驚かない。


フランスにはこういう人達が、確実に一定数いる。
お金があるわけではない。それでも常に周りのものに愛情を注ぎ、身近な人と共有する。そしてそういう精神を誇りに思う。

もちろん、フランスにだって色んな人がいる。
お金があってもケチな人、博愛ぶっても偏見にみちている人、明らか外国人をバカにする人…

オシャレに美食、きれいな街並、芸術…
多くの外国人がフランスにそんなイメージを抱き、そんなフランスを愛している。
だけど、私が一番恋しくなるのは、フランソワーズのような愛に溢れた人々のことだ。

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