見出し画像

「第三号被保険者がお得」は大きな誤解        ~いわゆる年収の壁問題の本質を探る~

前回より続く)横浜市郊外に一軒家を構える会社員世帯の妻A子。いわゆる「年収の壁」を乗り越える選択をして、はや数か月。今回、誕生月に届く「ねんきん定期便」のハガキを見て驚くことに、、


安易な「三号のままがオトク」は大きな誤解

A子:えっ、将来の受取年金見込額がこんなに増えてる!扶養されていた第三号被保険者から、厚生年金保険に加入して第二号被保険者になってまだ「数か月」よ。こんなに効果が出るの?!
夫:どれどれ、、この年金見込額はこのまま60歳まで同条件で働いたとして、65歳から貰える金額だね。おーっ、見込額が年894,000円から年938,000円にアップしたんだ。年金には「所得再分配」機能があるから、壁を超えた直後の増額幅は特に大きいんだろうな。
A子:60歳まであと数年、月8,000円の厚生年金保険料の負担で、毎年44,000円の年金上乗せが「一生涯」続くのね。50代後半から厚生年金保険に加入しても大した上乗せは無いと思っていたけど、もう少し働く時間を増やそうかしら。
夫:俄然ヤル気になって来たね。ついこの間まで「三号の方がオトク」「年収の壁を超えたら働き損」とか言っていたけれど、超えた人でないとこの景色は見えてこないよね。
A子:そうね、「我が事」にならないとこのメリットに実感は湧かないわね。試しに壁を一度乗り越えてみる「体験」が必要かも。そもそも単なる「手取りの段差」を「年収の壁」なんて大げさな言い方にしているのは、悪意を感じるわ。
夫:二号と三号の選択肢があれば、二号の方が厚生年金保険という「助け合いサークル」に入った方が安定の老後につながる。就業調整してまで「三号のまま」がいいというのは、「結婚の安定性」を前提にした考え方じゃないかな。
A子:離婚したら年金ってどうなるんだっけ。
夫:もし離婚したら婚姻期間分の年金は「二人の合計額」を半分ずつ分け合うことになるから、安易な三号選択で「二人の合計額」を抑え続けていると、別れた夫婦ともに高齢期の貧困リスクが高まる結果になる。離婚はしないと思っている夫婦でも、もし世帯主がうつ病などの病気で働けなくなった場合、一馬力では急激にリスクが高まる。
A子:ノーテンキに「三号のままがオトク」という風潮は鵜呑みにしない方がいいという事ね。まあ、我々より若い夫婦は「共働き」がメインだから関係ない話だろうけど。
夫:キャリアアップによる自己実現の可能性を放棄してまでずっと三号を選択する人は、若い世代では少数派じゃないかな。

「企業が国からお墨付きをもらっているようなもの」

A子:とは言っても「子育て」や「介護」で、週20時間や30時間に満たない短時間勤務にせざるを得ない人もいるわよね。そんな被用者も全員厚生年金保険に入れるようにすべきじゃないの。
夫:確かに、今の制度は「短時間勤務者には社会保険料の負担をしなくても良い」と企業が国からお墨付きをもらっているようなものだからね。
A子:そういえば近所のスーパーの求人を見たんだけど、短時間パートの一日の勤務時間は3時間55分までで、週5日働いても週20時間にならない、つまり「社保には入れない」ように設定されていたわ。
夫:それはまた露骨な、、、。でも法令違反ではないしな。
A子:そして社保に加入できる求人は、いきなり契約社員の週40時間になっているのよ。一日8時間で週5日勤務だから、育児や介護で時短したいパートは門前払いね。でも仮に私が社長だとしても「社保不要で人件費が安くあがる短時間勤務者を雇用したい」というインセンティブは働くわね。やっぱりこれは制度が良くないわよ。
夫:この「非正規雇用」を促すような制度は、政府が目指している「勤労者皆保険の「格差是正の大きな取組」の枠内で早急に改正すべきなんだ。短時間勤務者も含めた「全ての勤労者」に対して企業が社保負担する制度にすれば、企業も非正規を採用するインセンティブがなくなる。そしてこれが給与の底上げにつながる。
A子:でも事業主負担が増えるから、経済界の反対が今までは根強かった。

「年収の壁・支援強化パッケージ」はなぜ採用されたのか?

夫:ところで今回政府は「年収の壁・支援強化パッケージ」という補助金を出す方策を打ち出してきたね。
妻:これはあまりにも三号を優遇しすぎよ。なぜこんな不公平なプランが成立したのかしら。

https://www.mhlw.go.jp/content/12500000/001150837.pdf

夫:なぜ成立したのかちょっと考えてみようか。人手不足の中、三号従業員には就業調整せずにもっと働いてもらいたいけど、これ以上報酬や社保などの負担を大きく増やしたくないというジレンマが企業にある場合、どんな対応が考えられるかな。虫のいい話ではあるんだけど。
A子:昭和的なやり方だけど、政治家に陳情するとか?もしくは経済団体全体の大きなテーマに仕立てて、メディアや専門家を巻き込んだ大掛かりなロビー活動にするとか?そう簡単にはいかないわよね。
夫:ところが今回は一部の政治家とシンクタンクが共同で、いわゆる年収の壁の段差を「補助金」で埋める大々的なキャンペーンを実施した結果、それが大当たりしたという見方があるんだ。
A子:何でも「補助金」で解決できれば、企業は努力しなくなるんじゃないの。創意工夫で努力をして給与を上げている企業のモラルダウンにもつながりかねないわ。
夫:そうだね。日本はここ数十年、企業や支援者からの依頼に応じ様々な「補助金」を出す、市場規律とはほど遠い「レントシーキング(簡単に言えばおねだり)」を容認しすぎてしまった。その結果として企業の付加価値生産性、つまりは報酬が上がらなかったとも言えるんだ。実質賃金上昇を最大の目標とするからには、政府はこの「レントシーキング社会」を今後も継続するのか否かを判断する時期にきているのではないかな。

まとめ

・「三号のままがオトク」は結婚の安定性を前提とした「大きな誤解」
・「短時間勤務者には社保負担不要」の現行制度は「企業が国からお墨付きをもらっているようなもの
実質賃金上昇のためには「レントシーキング社会」容認の再考も必要

つづく

参考1:

「経済政策の中心を実質賃金上昇に据え、全ての政策をそこに集中させるべき」「先進国でもっとも構造的に人手不足なのに実質賃金上昇率が低いという異常な現象は、明らかに労働市場が機能していないのと、低労働生産性企業が温存されていることに起因 」

2023 年 8 月 31 日 :第 21 回新しい資本主義実現会議 
株式会社経営共創基盤 IGPI グループ会長 冨山和彦氏 意見書 

参考2:

「おねだりすれば補助金もらえるというような社会であれば、生産性は上がりません。日本は大国であり、スウェーデンのような小国と比べて貿易依存率が非常に低く、国内市場が大きかった。そういう日本だから余裕を持って生産性が低い企業を保護して抱え続けることができたわけですけれども、スウェーデンのような小国はとにかく規模の経済を働かせて付加価値生産性を高めていかなければいけないということを明確に意識しながらやっていた。そのためには、先ほどボルボも助けなかったという話も出ましたけれども、レーン・メイドナー・モデルの中で中央で決められた賃金以下のところの企業は、労働者は守るが経営者は切っていきます。」
「経済前提と結びつけるというのであれば、私は、全要素生産性の仮定というのはレントシーキング社会であり続けるか、それともそれを脱却するかというぐらいの大きな意味を持っている示唆を、今日はいただけたのではないかと思っております。」

2023年6月30日 第4回社会保障審議会年金部会 年金財政における経済前提に関する専門委員会 
 慶應義塾大学商学部教授 権丈 善一 氏(議事録より)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?