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美しい記憶

その人と会ったのは3度目だった。

1度目は、共通の知っている方を通してパーティーに招待していただいた時。
2度目は、その数ヵ月後にばったりアウトレットブティックで。お互いに限られた時間内で服選びに集中しなければならなくて、ほとんど話はしなかったけれど。わたしが手に取ったグリーンのカシュクールを見て、「あ、それ、いいよね。わたしも、いいかも?って思った。でも、ちょっときつそうじゃない?」と言いながら笑みを見せた。「少し大きめを選ぶから(笑)」と、わたしはそれを購入した。彼女は友人のプレゼントを選びに行ったものの、自分用の買い物スイッチが入ってしまって、最終的には6点購入した!と、後にメールで告げた。

そして、3度目は、彼女からのお誘いで街中で待ち合わせをしていた。ドゥカーレ宮の入り口の中で。
イタリアらしく「12時半から13時に」とゆるい時間設定だったものの、12時半少し前に到着したら、程なくして彼女も姿を現した。「久しぶり~、待った?」と手を振りながらわたしに近づいてきて、ごく自然にハグをした。それは、まだ実際に3度しか会ったことがない人から受ける挨拶にしては、あまりにも自然で、まるで昔から知っている間柄のような、そんな錯覚を覚えそうだった。
それが、イタリア人(イタリア人の場合は、ハグよりも、親しみのある挨拶だったら、頬に頬を寄せるバーチョbacio ―「キス」の意味だが、頬に口づけしないものもそう呼ぶ ― の方が一般的に思う)やその他の外国の人からだったら、そういうものかと捉えるものの、彼女は日本人だ。ただし、アメリカ生活経験者だった。わたしの少ないサンプルでも、北米在住・経験者の日本人女性の挨拶は、日本人どうし(日本人女性どうし)でも「ハグ」が比較的に普通のようだと、その後の経験から悟った。
ただ、ハグするのかしないのか……と戸惑いや躊躇が傍目にも見られるのは、少し微妙。迷うぐらいならば、最初からハグしなくても構わない。日本人どうしだし。

パステルイエローのカットソーに七分丈のベージュのコットンパンツ、それにペタンとしたサンダルというシンプルでさっぱりとした出で立ちで現れた彼女は、贅肉の微塵もない引き締まった身体で、すらっと少し背が高く、背筋が伸びた立ち姿も様になっていた。

彼女のことを思い出すと、いつもその場面が美しい記憶として脳裏で再現される。あたかも映画のワンシーンのように。

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