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リード島のこと

まだ、アナログカメラで写真を撮り、スマートフォンが登場していなかった頃、ヴェネツィアに足を運んだ。
遅めの夏休みということで、それは9月の半ば過ぎ。ちょうどヴェネツィア国際映画祭が終わって少しした頃。ヨーロッパ映画好きとして、また、邦画も評価されているその映画祭には関心もなくはないものの、混雑と宿の高値を避けるべく、少し落ち着いた頃に行った。

ヴェネツィア2日目、その映画祭の開催地のリ―ド島/リード・ディ・ヴェネツィアにヴァポレットと呼ばれる船バスで向かう。

ヴェネツィアは、数々の島の集合体の自治体で、基本的に多くの島内には電車・バス・車は走ってはいない。島から島へはヴァポレットで移動することになる。とは言うものの、リ―ド島は細長く端から端までは距離があるため、この島内にはバスや車が通っているのが見られる。
ヴァポレットから降りて、バスを目にした瞬間、とても懐かしい気がして、わぁっとテンションが少しだけ上がった。たった1日そういった風景を見なかっただけなのに。バスで向かったのは、映画祭の会場になるカジノやパラッツォ・デル・チネマ、俳優や監督等の関係者やVIPがボートで乗り付けるエクセルシオールホテルなどが位置するエリア。映画祭期間中は、関係者や一般の鑑賞客で混みあっているのだろうと想像されるが、終了後のその頃はほとんど通りに人も見られず閑散としていた。そこが、わたしにとってはとても心地よかった。前日に見学したヴェネツィアの中心も中心、サン・マルコ広場の混雑と比べたら、同じヴェネツィアとは思えないほどの違いだった。
リード島にはまた長く伸びる海岸に海水浴場もある。天候はよかったにもかかわらず、海辺にもあまり人が見られないのも意外だった。日本では、9月半ば過ぎに海水浴というのは、クラゲの発生などもあり、考えにくいとは思われるが、イタリアでは9月にはまだ海水浴を楽しむ人も多い。
ひとしきりその辺りを散策し写真撮影を楽しんだ後、近くにあったトラットリアで昼食を取ることとする。こじんまりとしたお店だったが、垣根で囲まれた屋外席に案内される。そこには、それなりに食事をしている先客が何組かいるのが見られた。今のわたしにはあまり考えられないことだが、なんとお店の写真も料理の写真も1枚も撮っていないようだ……現像しなければならなかったため、そこは省略したのだろうか?何を食べたか?おそらく、わたしのことだから魚介類のパスタを食べたのだと推測する。ただ、通りが閑散とするその辺りで人口密度がやや高いそのトラットリアでは、着席していても、化粧室に立った時にも、周囲の客の視線がわたしに注がれているのを肌で感じた。おそらく、外国人や東洋人をほとんど見かけない地域だと、珍しい存在ということで注目され、じろじろと見られることはあるかと思われるが(そういう場合、日本人は見ていないふりをしながら目の端で見ていることが多いが、こちらの人 ―イタリア人だけではなく、こちらに住んでいる他国の人も含め― は、気になると上から下までがっつり見る人もけっこういる。電車などで、そういう視線に出会ったことは時々ある)、国際映画祭の会場になる場所で、ほんの何日か前までは外国人や東洋人もけっこう見られただろうに……と、その視線の意味が不思議だった。まだ、渡伊してからそれほど長くもなかったが、そういったこちらの人の傾向も知っていたので、不快感もなかった。結局、なぜ見られていたのかは分からなかった。

昼食後、トラットリアを後にし、散策を続けたが、特出した何かを見るわけでもなく、観光地ではない普通の日常風景を見たにすぎないのだが、そのゆったりとした時間を甘受した。
ラグーナのブイにとまる鳥を眺めながらぼーっと過ごす時間はひどく贅沢で、ヴェネツィアの他の島の時間感覚とも、他のイタリアの町の時間の流れともまったく異なるように感じた。そこでは、今まで感じたことがないようなおそろしくゆったり、ゆっくりと時間が過ぎていくようだった。そこにしばらくいたら、もう東京のリズムには戻れなくなるのではないだろうか?というおそれを感じるぐらいに。浦島花子になる前に立ち上がり、水鳥にさよならした。

ヴァポレット乗り場に向かう道のりで、旅行者と思われる外国人(おそらく)が足こぎ四輪車をゆったりこいでいるのを目にして、お互いに手を振った場面がリード島の最後の記憶。


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