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コンタクトレンズ探しの踏み絵

「あっ!コンタクトが!」

大学のある授業が終了した時に椅子から立ち上がった瞬間に、片目のコンタクトレンズが落ちて、微妙に視界がぼやけるの感じた。
いやっ、こんなところでコンタクトを落として、見つかるかどうか、誰かに踏まれてしまわないかという不安で、一気に青ざめる。

「どうしたの?コンタクト、なくしたの?」

周囲にいた、同じ授業を受けていた学生の何人かが、一緒に探し出す。あやまってレンズを踏んでしまわないように気を配りながら。わたしのコンタクト探しの人だかりを見て、同級生のPくんもその仲間に加わった。
みんなの親切は本当に助けだったものの、もし、このまま見つからなかったら、どの時点で「ありがとう、もういいよ」とストップをかければよいのか……わたしには分からなかった。みんなの貴重な休み時間をどこまでいただけばよいのか……
こういう人助けに関わってしまった時、どの辺りが引き際なのかと悩む人もいるだろうし、それが先に思い浮かんでしまったら、迂闊に人助けの手を差しのべられないかもしれない、とも。
それほど長い時間は経っていなかったのだろうけれど、わたしには非常に長く感じられた。もしかして、探し始めた人の中にも、移動しなければならずにその場を立ち去った人もいたかもしれない。

「あった!」

同級生のPくんが、叫んだ。
わたしのコンタクトを見つけてくれたのだ!

それが、バッグの上に落ちていたのか、机の上だったのか(これは違う気がする)、わたしの服の襟元などにくっついていたのか……(床に落ちていたのではない気がする)、記憶が曖昧なものの、Pくんが見つけてくれたことは覚えていて、そのことには、今でも感謝しているのだ。
それは、見つけてくれたという結果だけではなく、前述のようなことで人助けに対して躊躇せずに、コンタクト捜索隊に参加してくれたことに対しても。

このエピソードを、何のテーマだったか?こちらで参加していた英語のクラスで、イタリア人のクラスメートたちの前で発表したことがある(英語で、そんな話を説明したのかと自分でも驚くが)。それを聞いたイタリア人クラスメートたちは口々に「それは、そのコはあなたのことが好きだったからよ!」と言ったが、それは違うと思うと、わたしは断言した。

彼は純粋に親切でやさしい人なのだと思う。きっと、わたしでなくても、助けの手を差し伸べたのだろうと。両親の育て方がよかったのではないかな、と。

Pくんは、ひょろっと背が高く、バスケットクラブに所属していたが、体育会系というイメージよりは、人当たりがよく、やさしげな雰囲気を纏っている人だった。そのエピソードの前から、クラスの中で友だちになりたい人のひとりだった。同級生ではあったものの、友だちと呼べるほど親しくなることもなく、大学卒業後は会ってもいないのだが。

彼は2時間半ぐらいかけて通学していたが、ある冬、新しいコートを着て学校に来て、それは嬉しそうに話していた。
しかし、その数日後、また前のコートを着てきたのを目にして、「あれ、新しいコートは?」と尋ねたら、「実は……帰りの電車で脱いで網棚にのせて寝ていたら、盗まれちゃったんだ、、、」と。そのしょんぼり具合は、なんとも痛々しかった。それはそうだ。気に入ってお小遣いをはたいて購入した新しいコートを数日で盗まれてしまったのだから……

もし、会ったり、連絡を取れるような機会が降りてきたら、ぜひ、彼の性格の良さについて触れて、再度お礼を言ってみたい。

この話を記すにあたり、フルネームを思い出したが、今、Pくんとは繋がってはいないものの、Pくんと同じ名前(下の名前で、漢字も同じ)の友人がいることに気がついた。偶然かもしれないけれど、その名前の人に縁があるのかも?と思うと、人の巡り合わせは面白いものだ。


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