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赤ちゃんKotobaアレルギー

しあわせホルモンのひとつ、オキシトシンの放出に役立てるべく(?)、犬・ネコを中心とするペットブログを閲覧することを日課としている。

ペットブログのなかには、ペット自身が語る形式をとられているものもあるのだが、時折、それが赤ちゃん言葉である場合もある。
それは、ペットブログに限らず、筆者がオンライン上ではそれを一種の形態として使用しているということもあり得るだろう。

実は、わたしは、その文体を見た時、なにかざわざわする違和感を感じたのだ。
それは、「赤ちゃん言葉アレルギー」なのかもしれない。

誤解がないように言えば、幼い子どもに向かって話しかけている人の口調が赤ちゃん言葉になっているのを耳にしても、特に、それに違和感を感じた覚えはない。
ただし、わたしが自ら赤ちゃん言葉で子どもに話しかけたことはないと思われる。

前述の赤ちゃん言葉のペットの語り口調も慣れると違和感はなくなってきて、なんなら、それを試すかのように、気が向いた時に、その日の記事を声に出して朗読したこともある。それは、一種の演技なので、なりきれば問題のないことだった。

実は、新卒で勤めた職場の上司(男性)で、3歳年上の人に赤ちゃん言葉で話しかけられたことがある……

それは、近場の出張にふたりで出かけた帰路の電車内であったか、それとも、残業中であったか、記憶が定かではないが、他に知っている人がいるところではなかったとは思う。

恋人やカップルの会話内での赤ちゃん言葉は、心をゆるしている、さらけ出しているコトを示しているという心理学的な要素があるとは読んだことがある。
が、そういった関係ではなかったので、彼は早まったか、間違えたか……

百年の恋も一瞬にして冷める、ならぬ、

百年の恋未満の関係は、花開くことはあり得なかった。

部下や後輩の面倒見は良い人だったと思う。

後輩たちからはマザコンだと言われていたものの、実際にどのぐらいお母さんとの距離が近かったのかは、分からない。
学生の頃にお父さんを亡くし、お母さんと弟さんと暮らしていたとのことだったので、お母さんを気遣ったり、色々相談したりしていたのは、ごく普通のことだったのかもしれない。

許容範囲というものは、人によって、年を重ねるごとに広くなるタイプと、反対に狭まるタイプといると見受けられる。

自分はどうかと考えると、どちらかと言えば前者のような気もする。

今、万が一、赤ちゃん言葉で話しかけて来る人がいたとしたら、想像としては、一緒になって口調を変えはしないだろうけれど、「はいはい」と右から左に流すぐらいには寛容になっているかもしれない。

でも、かなりキケンな賭けなので、とりあえず、わたしに赤ちゃん言葉で話しかけるのはやめておいた方が無難です。


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