生きているだけで素晴らしい…
今日、Facebookで過去記事があがってきた。
それはお友達がわたしのブログに関して、感じたことを書いてくれたもの。https://ameblo.jp/andante-capriccioso/entry-12325757714.html
母が脳梗塞で倒れたのは、3年前の4月だった。
ディサービスから
「転倒し頭を打ったので、受診してる。
保険証を持って来てほしい…」と。
駅付近にいたわたしは、悩んだ。
どう考えても弟に対応してもらうのが早い。
弟に行ってもらうよう、頼んだ。
その夜…母と電話で話した。
「大丈夫?転倒なんてビックリしたよ。」
「大丈夫よ、MRI異常なかったから。」
その日が…母と普通に会話できた最後となった。
3日後、わたしは自分の身体のケアに出掛けていた。携帯の充電が切れ、夜…家に戻った時に弟からの着信に気づいた。
「母が救急車で運ばれた」と。
姫ちゃんと次男君を連れて、急いで昭和医大夜間救急センターへ向かう。長男君は学校だったので、LINE連絡。
主治医からの説明は
「心原生脳梗塞です。心臓の血栓が脳に行ってる状態です。様々な疾患もあり、できることはしていますがこのまま意識が戻らないかもしれません。」
この日の夜、夕ご飯を家族で食べた。
体力をつけないとと思い食べたが、
味がしなかった。
翌日…母と面会ができた。
意識が混濁してるようで、少し暴れてる様子。
実家に行き、妹と一緒に母の部屋を見た。
ベッドの上には、妹の結婚式の写真や私たち家族の写真。
それ以外にも…片付けようとして1人で片付けられなくなってる様子がうかがえた。
後悔した。
なんで転倒したあの日…行かなかったのだろう(;_;)
「転倒直後の今はなにも出てませんが、
後から出ることもあるので気をつけてください」
母は不安だったのだ。
その後、母は回復を見せた。
脳内の出血量に対して本当奇跡だと主治医は言っていた。
その後指示が通り、リハビリ可能と診断有。
リハビリ病院に転院。
車椅子になんとかのれるようになり、9月。
母と再び家で長男君の誕生日を祝うことができた。
その後…老健施設に移動。
腎機能の悪化があり、介護病院へ。
母と面会し、触れあいながら話したのは2月だ。
姫ちゃんの面会はさすがにかなわなかったが、
長男君、次男君にお願いし、きてもらった。
糖尿病、慢性腎不全、心臓病、脳梗塞…。
たくさんの状況がありながら、母は今も生きている。
看護師さんやヘルパーさんから聞く母は、
いつも笑顔をみせるとのこと。
癒しの存在だったとどこでも言われた。
そして、がんばり屋さんだ。
だから、いつも伝える言葉は
「お母さん、いつも頑張ってくれてありがとう」
と。頑張ってるのがわかってるから、頑張れとは言えないのだ。
わたしは…母のことを通じて痛感したことがある。
それは「生きているだけで素晴らしい」ということ。
もちろん…家族として、様々なことで悩んだ。
在宅にしてあげたくても、できない現状もあった。
施設という選択をした自分たちを責めたことも…。
直接介護に関わってるわけではないので、
甘いことを言ってるのかも知れない。
でも、生きていてくれるというだけで家族のささえあいを体験できた。
弟には金銭管理、事務手続きを。父は洗濯を。
妹には断捨離や掃除、洋服選びなど得意なことで頼った。子どもたち、特に長男君は電車旅を通じて弟の状態を観ていてくれたのだ。
そして、わたしには、家族のような仲間もいた。
あり方スクールで出会ったスタッフ達。
その当時の気づきを書いてる。
https://ameblo.jp/monchan-0427/entry-12306580454.html
以前のわたしなら、全てを抱え込み苦しんでいただろう。仲間に話せたこと、改めて自分のままで家族といればいいと思えたことは大きかった。
このときのわたしのかかりは【聞くかかり】だと思って動いていた。
弟や父の想いを聞いたり、医師との間に家族とのことを伝えたり…
わたしは…伝えたい。
あなたのままで、生きてるだけで素晴らしい。
わたしのこの考えは甘いのかも知れない。
悩んでいても、怒っていても、引きこもっていても、ふとうこうでも…あなたの存在はすごいんだ。