見出し画像

書くこと

先日書いた、”もの書き100問100答”の中に、こんな問いがあった。

10 あなたにとって「書く」とは?

その回答として、パッと思いついたまま書いたのは、これ。

難しい質問・・・。
自分を語ってくれる分身であり、自分を前に進めてくれる相棒のような存在、であってくれ。

効能、喜び、忘れること、思い出すこと、自分の生活の一部、そんな思いが色々と立ち上がってきて、整理してみようとした答えがそれだった。

そして、最近、時期を同じくして、フォローしている方々が「書くとは何か」を考えていらっしゃった。


僕は、ほんとうに書くことが好きなのだろうか。このごろ、考える。

noteの街には、素敵な書き手がたくさんいる。素晴らしい文章をスラスラと書いている方々に出会うと、「僕も書いてるんです」、なんて恥ずかしくて言えない。

書くことを生業にはしていないし、書かずにはいられないとか、書くことが渋滞しているわけでもない。書くことが好きだ、と言えるのは、上手な人じゃないと格好悪いんだよなぁ・・・と気後れしてしまう。

誰かを元気にしたいとか、社会(周囲)を変えたいとか、あるいはお金を稼ぎたいとか。そのどれもが目的ではないけれど、時々はそんなことが起こってもいいよねとも思う。

僕にとっての書くは、おそらく「文字が書ける」が始まりだったはずだ。

ひらがなを漢字を書く、きれいに書く、たくさん書く、小さく書く、大きく書く、難しい漢字を書く、それらは小さな成功体験となって積み重なっていった。

文字が、言葉となり文となり、文章になって、書くことが好きだと思えるようになった。原稿用紙に文字を埋めるのがたまらなく好きで、どうしたらびっしり書けるだろうかと考えながら書いていた。

成長して、原稿用紙における書き方の決まりを授業で知って愕然とした。

「埋めるのではなく、空ける」

ワープロが家に導入されると、カリカリと紙に書いていたのをやめ「はときいん」に並んだキーボードを睨みながら、出かけた時の思い出を書いていた。

それでも、あらすじで分量のほとんどを使い果たしてしまう読書感想文は、書くのが苦手だった。いまだに、読書をしたあとに、その本について書く文章は難しいと感じる。

日記を毎日書くわけでもなく、ブログを続けたわけでもなく、単に、何か書くことに抵抗がなくなっていたような感覚だった。


高校生になると、レポートや論文で、その書くことを活かしていった。見ず知らずの生徒が僕のノートのコピーを持っていることはザラだったし、レポートの代筆を頼まれたことも度々あった。学年の3割の生徒が僕のノートのコピーを持っていたらしい(友人調べ)。

一冊の本を題材にした課題では、主人公が善か悪かというテーマに対して、3つの答えを用意。そのうち良く書けたものを自分用にして、ほかの2つは語尾を修正したり、表現を修正したりして、ほかの生徒に渡した。

ジュースを奢ってもらったり、中には紙のお金をくれる奴もいて、レポートの代筆だけでも高校時代に1万円以上は稼いだのではないかとも思う。(先生ごめん)

高校の部活のホームページを立ち上げ、活動報告だとか、過去の資料の公開を行なっていたけれど、とある保護者から絶賛のメールをもらったのは、編集後記“製作者のぼやき”のコーナーだった。


このnoteをはじめたきっかけは、書いたものが保存されていく感じとか、誰かに読んでもらえる場があること、そして、続けられるような仕掛けがあったから。

・忘れたくないことを書いておく
・忘れていないことを書いてみる

僕のエッセイは、殆どがどちらかの動機だと思う。

そして、書くことで分かることも沢山あった。自分の考えていること、好きなもの、やりたいこと、心配なこと、得意なこと。

書いてみると、どこからか別の僕がやってきて、あーでもないこーでもないと喋り続ける感じがする。それに合わせて指を動かしている感じだ。書き終えなければ、ずっと画面の中にいて、noteの編集画面を映すたびに顔を出す。

書くだけで、落ち着かない気持ちが晴れたり、悩んでいたことが霧消することがある。そんなとき、書くことは、告白なのかも知れない。

読んだ人が、もしかしたらホッとしてくれたり、ニヤッとしてくれたりするかも知れない。そんなとき、書くことは、おしゃべりなのかも知れない。


こうして書いてきたけれど、やはり書くことは難しい。


#かんがえたこと #書くこと #苦手 #得意 #好き #noteでよかったこと


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd